第3章 絶愛

第21話 モノクローム

 『ソール』の一角に建てられた小さな宿屋。

 そこでわたしは目を覚ました。

 わたしのすぐ隣には暖かい体温と心地良い肌触り、そしてほのかに香る甘い匂いと首筋をくすぐる吐息……。リコがすやすやと寝息を立てて眠っていた。

 体を起こし、リコの髪をそっと撫でる。

 美しかった藍色の髪はすっかり黒く変色していた。――――否、実際には藍色の髪のままだ。わたしがそう見えてしまっているだけ。

 それはこの部屋自体も同じ。どこを見渡しても白、黒、灰色。ありとあらゆる色が、わたしの世界から消失していた。

 ――――そして、それを嘆く感情も今のわたしにはない。

 悲哀、悲嘆、悲観……そういった『悲しみ』の感情をわたしは思い出すことができない。

 もちろん、そんな感情があることは知っている。むしろ、つい最近までわたしはヘイゼルが不死者になったことを悲しんでいたし、両親が死んだ時も当時のわたしは大いに悲しんだはずだ。

 ……だけど、今は『それ』が思い出せない。分からない。記憶の中のわたしがその素振りを見せていることは思い出せても、どういう心境だったのか想像することすら出来なくなっているのだ。

 このまま、わたしは戦い続ければ感情をすべて失ってしまうのだろうか。


「…………んぅ」


 リコが呻きながら頭を少しだけ動かす。

 首筋が顕になる。

 首。


「…………」


 するり、と撫でていた髪からうなじの方へと手を滑らせていく。

 心地良い体温と少女特有の滑らかな肌触り。

 


 ――――今、この首を絞めたら死ぬのだろうか?



「…………」


 ふと、思い付いた考え。

 思えば、わたしは刀による刺殺と銃殺でしか殺したことがない。今の所刀が最も命を奪った実感が湧くからお気に入りの武器だ。

 だけど直接。そう、直接この手で命を奪えるであろう絞殺という手段。自らの手で命を汚す冒涜的行為。それを愛しい恋人で試そうという禁断的思考。

 わたしは、ぐっと力を込めてリコの首を握って――――。


「――――セラ?」


「ッ!?」


 ぱっと手を離す。

 ――――今、わたしは何を考えていた?

 どっと汗が噴き出る。だがそれに反比例してわたしの顔から血の気が引いていく。冷水をかけられたかのように、体のほとぼりが冷めていく。

 リコが目を開けてこちらをじっと見つめていた。

 

「ご、ごめんなさい! そんなつもりじゃ……」


「……どうしたの?」


「え?」


 必死に取り繕って謝ろうとするもリコの言葉に思わず間抜けな声を出してしまう。

 見るとリコは寝ぼけ眼をこすっていた。そういえば彼女は朝に弱いのだった。

 先ほどの行為に気付かなかったのなら幸いだ。

 だけど、このまま一緒にいたら彼女を殺してしまうんじゃないか、という不安と恐怖に駆られてわたしはベッドから降りようとした。


「待って」


 背後からリコの静止する声が掛かるとともにわたしの左腕が掴まれる。

 振り返ると、リコは両腕でわたしの手を掴んでいた。左手は包帯に巻かれていて添えることしかできなかったが。

 

「……セラ。何があったかは聞かない。だから一緒にいて」


「でも……」


「怖いの」


 ぎゅっと。

 わたしの袖を握り、リコが顔をうずめる。

 

「すごく、怖かった。本当に死んじゃうかと思った」


「…………」


「お願い、セラ。一つだけ私のわがままを聞いて。一緒にいて欲しいの」


「リコ……」


 背中から感じるリコの体温。

 わたしの袖を握る手は、わずかに震えていた。

 ……一体、何をうじうじ悩んでいるのだろうか。

 恋人が命の危機に晒され、その記憶に恐怖している。それを無視してまで彼女から逃げようだなんて本当に大馬鹿者だ。

 振り返って正面からリコを抱きしめる。髪にそっと手を伸ばし、安堵させるためにそっと撫でてあげる。


「ごめんなさい……」


「ううん、こっちこそごめん」


 リコは前に言ったはずだ、何があってもわたしの味方だと。どこにだってついて行くと。

 ならば、危険な道を一緒に歩いてくれるというのなら。わたしは何があっても、リコを守り通さなきゃいけない。

 そう、改めて強く決意して。

 わたしの胸の中で、リコがぽつりと呟いた。


「……このおっぱいおばけめ」


 こつん、とリコの頭を叩いてやった。






※※※※






そしてソールの市街地にやってきた。


「いや、何でそんな話になったの」


 起床してから1時間後。

 ジリアンから「ちょっと外へ出ましょう先輩!」と強く腕を引っ張られ、ついでにリコとオリヴィアさんの二人も何故かついてくる形でここまで来てしまった。


「カレンさんとアイリスさんは?」


「二人は何か用事があるみたいっス。その間にあたしたちは羽でも伸ばしとけって」


「国が大変な上に不死者たちに目を付けれられている可能性があるっていうのに随分とのんきなことを言うわね」


 オリヴィアの意見は最もだ。

 まだ市街地が盛んな様子を見る限り、『ウォーデン』以外では混乱はまだ広がっていないようだがいずれは時間の問題だ。それに咲良たちの襲撃にいつ遭うかこちらも把握することができない。

 正直、こんな悠長なことをしている場合ではない気がするのだが。


「まあまあ、そんなこと言わずに。セラ先輩だって、最近リコちゃんとデートしてなかったでしょう? いい機会じゃないっスか!」


「はあ!? いきなり何言い出すの!?」


「えっ!? 二人ってそういう関係……!?」


唐突に爆弾投下してきたジリアンに驚くわたしとオリヴィアさん。

……っていうかめっちゃ見てる。めっちゃこっち見てるよオリヴィアさん!

 その視線に赤面しているとリコがわたしの腕を掴んできた。


「ありがとうジリアン。っていう訳でセラ、デートしよっ」


「はあ、えっ、ええええええええ!?」


 リコの大胆な行動にわたしはさらに体温を上げてしまう。

 そんなわたしたちを見ていたオリヴィアさんの顔がみるみる赤面していって……あれ、オリヴィアさん実は結構ピュア!?


「なっ、ええ…………?」


 開いた口が見事に塞がらなくなっている。

 完全に固まってしまったオリヴィアさんの腕をジリアンが引っ張りながら「じゃあ、お邪魔者はこれにてー」と人混みの中へ消えてしまう。最後に意味深なウィンクを投げかけてきた気がするが、うん、文字通り気のせいだろう。


「ね、セラ。私たちも行こう」


「あ、うん……」


 少し釈然としないがわたしはリコと並んで街中に向かう。

「……ん」と言いながら、リコはわたしに向かって右手を伸ばしてきた。

 その意図を理解してわたしは恥ずかしくなりながらもリコの手を握る。

 人前で堂々と手を握りながら歩くのは中々恥ずかしいものである。けれど安心感を覚えて悪くないと思ってしまう程度には毒されてしまっている気がする。

 ……思えばこうしてリコと手を繋ぎながら歩くのは久しぶりな気がする。


「あ、セラ。やっと笑った」


「え?」


 リコの言葉に思わず振り返る。

 彼女は、眩しい位の笑顔をわたしに向けて言った。


「やっぱり、セラは笑顔が一番似合ってるよ」


 そう言って。

 爛々と輝かせるリコの黒い瞳に。

 確かに、はにかんだ表情を浮かべるわたしが映っているのだった。






※※※※






 セラたちとは反対側に位置する軍の屯所。

 そこの前に、カレンとアイリスの二人が立っていた。


「カレン、どうしてここまで」


「まあ武器の調達だな。私のはそろそろ弾切れを起こすし、セラとリコに至っては護身用の銃すら持ってないだろ」


「……そうね。不死者たちあいつら、化物みたいに強い上に神出鬼没でいつ襲撃に遭うか分からないものだから堪ったものじゃないわ」


「その通り」


 二人は早速中に入っていく。

 カレンの目論見通り、やはり総帥が暗殺された情報はまだ国内にそれほど広まっていないようだ。ひょっとしたら情報が伝達する前に咲良たちが殺して回っているのかもしれない。

 何はともあれ、少なくともこの街では少将であるカレンの権限はまだ通る。あっさりと武器庫まで案内してもらい、セラとリコにも扱えそうな銃を探すことにする。

 不意に、頭痛に悩まされたかのようにカレンがこめかみを押さえる。


「……ッ!?」


「カレン?」


「……いや、何でもない。アイリス、ちょっと後は任せてくれるか。急用を思い出した」


「えっ? ちょっと」


「悪い、先に出てるぞ」


「あ、待って!」



 アイリスの静止する声を待たずカレンは去っていってしまう。

 突然、様子がおかしくなったカレンに不信感を抱きつつも彼女に言われた通りに銃を受け取っていく。

 一通り受け取り立ち去ろうとしたところでアイリスは重要な物品を忘れていた事に気付き、振り返って尋ねてしまっていた。


「すみませんが、医療キッドはありませんか?」


 ……きっと衛生兵としての性なのだろう。






※※※※






 リコと手を繋ぎ、他愛もない会話をしながらモノクロに染まった街中を歩く。

 特に買い物をしている訳でもないが、それだけでわたしにとっては十分すぎる幸福感を得られていた。

 前言撤回。こんな機会を与えてくれたカレンさんには感謝だ。

 だが、流石に30分も歩いていると疲れてきたようで今はリコと喫茶店により、コーヒーを飲んでいる。


「そう言えば何時頃に帰ればいいんだろう?」


「んー、ジリアンは確か午後2時ぐらいまでは平気って言ってたよ。だからあと1時間ちょっとくらい?」


 談笑が落ち着き、苦いコーヒーに一口つけて。

 わたしはリコに神妙に切り出す。


「あのさ。もし、わたしが衝動を抑えきれなくて、その……。リコを、こ、殺しちゃいそうになったらどうする…………」


「…………セラは、どうしたいの?」


「え?」


 質問に質問で返されて、思わずリコの顔を見上げてしまう。

 その表情は怒っていなかったし、悲しんでもいなかった。

 ただ、真剣にわたしを見つめ返していた。


「セラは、私を殺したいの?」


「そんな訳ない! リコは、大事なこ、恋人だから……。殺せるわけないじゃない」


「じゃあ、それでいいじゃん」


 それまでの真剣な表情を崩してリコが微笑む。


「セラは私を殺すつもりなんかない。それでいいじゃん。それで充分じゃん。私は、それだけ分かればセラを信用できるし嫌いになったりしないよ」


「リコ……」


「それに、セラが道を間違えそうになったら私が正してあげる」


 自信たっぷりな笑顔でリコはそう言ってみせたのだった。

 わたしは少し呆然としてしまったあと、リコの言葉を理解し、嬉しさのあまり泣きそうになってしまう。

 せめてリコには見られまいとわたしは咄嗟に俯いてしまった。


「……わたしよりずっとちっちゃいのに諭された…………」


「ちっちゃ……!? うるさい、おっぱいおばけ!」


「それは関係ないでしょ!」


 リコの言葉にムッと来て、思わず顔を上げて反論する。


「……ふふっ」


「……あはは」


 それからしばらく見つめ合って、同時にわたしたちは笑みを零してしまう。

 ひとしきり笑ったあと、リコはおもむろに立ち上がった。


「ごめん、セラ。しばらくここで待っててくれない? ちょっと買いたい物があって」


「……? 一緒に見てあげようか?」


「ううん、大丈夫。こればっかりは秘密」


 さてはわたしに対するプレゼントだろうか。

 ならばここはお言葉に甘え、少しばかり期待して待つとしよう。

 そそくさと立ち去っていくリコを見送り、冷めかけていたコーヒーを飲む。

 それが、合図。

 不意に幸せな時間は崩れ去った。











 

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