幕間

 ――――ヘイゼル・ラドフォードは薄暗い部屋で目を覚ました。

 

「あれ……私、どうなって……?」


 体を動かそうとしたが何かに阻まれ、足がつかえてしまう。

 真正面から受け身も取れずに倒れこむが途中でぐっ、と動きが止まった。

 同時にヘイゼルの柔肌に何か硬いものが食い込んでいく。


「いっ……!? く、鎖?」


 ヘイゼルの体は鎖で拘束されていた。

 ご丁寧に両腕は背中に回され手錠で固定されている。

 おかげで前のめりになって呼吸も苦しい状態だ。

 そして目の前に。

 彼女はいた。


「くひっ、くひひひひひひひひ」


「……! セシリア・ウェイトリー!」


『狂信者』セシリア・ウェイトリーである。

 咲良に顔を吹き飛ばされていたはずだが、首が繋がり元通りになっている。彼女は「くひひ」と歪に笑いながらヘイゼルの眼前まで近付き、唾液に濡れた熱い舌で彼女の頬を舐め回した。

 ぞわぞわ、と強烈な不快感と共に背筋が震える。


「気持ち、悪い……! 何なのよ、あなた!」


「ひひっ、ああ、やはり素敵です。私の目に狂いはなかった! 貴女は『神』に選ばれた聖女だ。貴女こそ『贄』にふさわしい存在だ! くひひ、まずはその腹を裂いて腸を捧げていただきましょうか」


「意味が分からない!」


 やはり会話が噛み合わない。

 ヘイゼルは憎悪に満ちた目でセシリアを睨み付ける。その視線に灼かれたヘイゼルは自らの体を抱きながら身震いした。


「ああ、ああ! 『神』よ、お赦しください! 私は、聖女にお会いした喜びで自分を制御できそうにありません! どうか、どうか私めをお赦しください!!」


「はあい、そこまでねー☆」


 セシリアが恍惚とした表情で叫んだ直後、背後から咲良の声が響いた。

 いつの間にか咲良が部屋に現れていた。

 その声を聞いたセシリアの表情が凍る。


「まったく、宗教にのめり込み過ぎると初恋すら神への供物に変わってしまうのかね。つくづくカルトってのは不可解な部分があるわねー」


「咲良様……!?」


「あらら、すっかり怯えちゃって。かわいい~♡ 抱きしめたら心臓止まっちゃいそう。もう一回、頭吹き飛ばしちゃおっか」


「い、嫌……! おやめください!」


「ふふ、冗談だよん。ビビリなせっしーをいじめるのも楽しいけど、今はこっちに集中しなくちゃね」


 そう言って咲良は上機嫌に微笑みながらヘイゼルの頬を撫でる。

 先ほど付けられたセシリアの唾液が塗りたくられていき、不快感と嫌悪感を隠さずにヘイゼルは咲良を睨みつけるが、無視した。


「話が違うじゃないですか……!」


「なんのお? ああ、『適正』がどうのこうのって奴? あれは本当のことだから安心していいよん☆」


「違います、セシリアを殺してくれるって話です!」


 なおもふざける咲良にヘイゼルが怒鳴りつける。


「どうして私が縛り付けられているんですか! あの気狂きちがい女のされるがままにされたくて来たんじゃありません!!」


「口わっるー。理由は簡単だよ。君を『テスト』するの」


「は?」


 訳も分からず首を傾げるヘイゼル。

 咲良はセシリアの唾液が付着した指を躊躇なくヘイゼルの口に突っ込む。「んん!?」とヘイゼルが苦しむのも構わず、熱い口内をぐちゃぐちゃに掻き回していく。


「ほら、君が抱えている狂気ってさー。復讐心じゃん? あれって『真の意味で狂っている人』と『狂ったふりをしているだけのまともな人』の区別がつきにくいんだよねー。この咲良が欲しいのは、『正気を保つために狂っている奴』じゃなくて、『狂っているから正気を保てる奴』なんだよー。ゆってる意味わかる?」


 咲良の質問にされるがままのヘイゼルは「んんぅ!」と暴れ続ける。


「わかんないよねー。でもね、『正気を保つために狂っている奴』って要は現実逃避なんさ。これ以上は直視できない、理解したくないって本能的に拒んじゃってあたかも正気を失ったかのように振舞うの。狂気故の正気って奴だね。で、そういう奴らは完璧に狂えてないから他人の目を気にする。見られたいのか、見られるのが恥ずかしいのか知らないけど、その自己完結できてない中途半端な演技のせいで正気だとボロが出てしまうの。君もそう?」


 当然ながら咲良がヘイゼルの口を押さえているので答えることができない。「ふーっ!」と息を荒げながらヘイゼルは咲良を睨み付ける。


「君もさ、『そういう奴ら』なの? 見られたくて、あるいは見られたくなくて復讐にこだわり続けるの? 復讐ってさ、果たせば終わりなんだよ? どうせ殺された家族に復讐を果たすところを見てもらいたいんでしょ?」


 咲良の言葉にヘイゼルの目が見開く。

 否定できないことを完全に表していた。


「ま、そうなのかどうかこれから『テスト』するんだけどね。この咲良を失望させないでよねー。さっきの話とは関係なしに本物の狂気を垣間見せてくれた。それを育てる意味も兼ねてるんだからね☆」


 そう言って咲良は指を離す。

 反射で分泌された唾液が咲良とヘイゼルの唇まで繋がって糸を引く。それを咲良はゆっくりと舐め取った。


「せっしー」


「は、はい!」


 咲良の言葉にセシリアが飛び上がる。


「じゃあ、この子のお腹切ってもいいよー。ただし、供えるの禁止ね☆」


「は……? で、ですが彼女は『贄』で……」


 セシリアは立派な信者だ。彼女は『神』(……と妄信する存在)の声に従うことが最優先であり、それに反することはすなわち死にも値する。いわば、彼女のアイデンティティーでもあった。

 それに否定しろと咲良が言ったのだ。例え、自分の命を握っている存在でもこればっかりは聞くわけにはいかなかった。


「咲良様、お言葉ですが彼女は『神』に選ばれし聖女で――――」


「違うよ。あの子はそういう存在じゃない。この咲良が言ってるんだから言うことを聞きなさい」


「ですが、これは『神』が」



 直後、咲良の雰囲気が豹変する。

 表情にも態度にも変化はない。だが、有無を言わせぬ冷たい姿が、そこにあった。


「ひっ!?」


 そして、それを直視したセシリアは心臓が文字通り

 もちろん不死身である彼女はその程度で死ぬことはない。だが、恐怖のあまり本能的に彼女は自決を図ろうとしたのだ。


「せっしー。あまりこの咲良に逆らわないでよ。今のアンタは不死身だからいくらボコっても再生するけど、その気になったらアンタを『インテリア』にできちゃうんだからね☆」


「いん……!? 嫌です、ごめんなさい、お赦しを!!」


『インテリア』。どうやら言葉通りの意味ではなく彼女がそう蔑称している『何か』らしい。

 そして『インテリア』を知っているらしいセシリアの反応から、きっと碌なものではない。


「あはははは! ビビリすぎだよせっしー。大丈夫、この咲良の言うことをちゃあんと聞いてれば何もしないよ、ね☆」


「はい……」


 咲良に髪を優しく撫でられるセシリアの目は虚ろだ。もう思考することを放棄したのだろう。

 咲良はセシリアの態度に満足気に頷くと指をパチンと鳴らした。


「まっ、特に意味はないんだけど。ミーナ、出ておいでー」


 彼女の言葉に背後から新たに影が寄ってくる。

 薄暗い照明に当てられ判明した人影の正体は――――。


「お、女の子?」


 予想外の姿にヘイゼルが素っ頓狂な声を上げる。

 ミーナ、と呼ばれたその人物は小さな女の子だった。外見からしてまだ十歳にも満たないように見える。

 綺麗なブロンドのショートボブに碧眼の幼女はヘイゼルの姿を見るなり、にいと笑った。否、嗤った。

 まるで、獲物を見つけたかのような獰猛な笑み。


「さら。この子、?」


「!?」


 食べる、とはどういう意味なのだろうか。

 少女の言葉が理解できずにヘイゼルはただ混乱する。


「いーよ。せっしーがこの子切ってくから色んな内臓食べちゃって☆」


「わあい!」


「は、え、何!?」


 混乱するヘイゼルをよそに会話を進める二人。

 そしてセシリアが「くひひ」と笑いながら鉈を手にヘイゼルの方に近付いていく。


「くひっ、『神』のお言葉でないのなら、貴女が聖女ではないのなら、。くひひ、久しぶりの自由です」


「なっ、待って、何をす」


 ヘイゼルが必死に制止を促すがその声が途切れた。

 あっさりと。

 下腹部が切られる。


「あっ、あああああああああああああああ!!!!????」


 灼けるような熱と痛みがヘイゼルを襲う。

 思わず切られた下腹部を見て失神しそうになった。

 ピンク色のもぞもぞした物体。本でしか見たことのない体の中の部位。

 大腸が飛び出していた。


「がふっ……」


 こみ上げる嘔吐感を抑えきれず吐いてしまう。

 だが口から出てきたのは吐瀉物ではなく、真っ赤な血塊だった。

 だがここまでされてヘイゼルに湧き上がった感情は恐怖ではない。

 より強い憎悪だった。


「いいねえ、その顔! じゃ、『テスト』始めるからその憎しみ滾らせておいてねー。大丈夫、程度には加減させるからさー☆」


「ふざけっ……」


「いただきまあす」


 ヘイゼルが何かを言う前に。

 大口を開けたミーナが飛び出した大腸にかぶりつく。

 それを最後に、ヘイゼル・ラドフォードの正常な認識が途絶された。

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