第3話 狂気の影

 連れてきた少女は未だ気絶しているのでベッドに寝かせてあげる。

 リコは目を覚ますなり、わたしを座らせ前方に立つ。

『正座』と呼ばれる両足をお尻に敷くこの姿勢は中々辛いものがある。リコ曰く、東の国では謝罪や反省の姿勢を示す際に取る最大限の失礼のない行為のようだが、東の人たちは足が痺れないのだろうか。


「セラ。どうして私を置いてあの子を助けに行ったの?」


「それは放っておけなかったからで……」


「任務優先って言ったのはセラじゃない? 遊ぶのはダメなのに余計な首を突っ込むのはいいんだ」


「そこは本当に反省しています……。っていうかこの姿勢、ホントに足が痛い……」


「こら、足を動かさない! とにかく、カレンさんに電話掛けるから報告してよね!」

 

 そう言うとリコは机に置いてあった受話器を取り出しダイヤルを回す。あの番号は軍専用の回線だ。

 リコから受話器を受け取り、通話に応じる。


「あ、セラです。カレンさんはいらっしゃいますか?」


『私だ。ダッシュウッド少将と呼べと何度も言っているだろう? 軍の回線だぞ』


 受話器の向こうから威厳ある女性の声が聞こえてくる。この人こそ、わたしの実質的な上司にして軍の『忠犬』と恐れられている人物、カレン・ダッシュウッド少将だ。


「すみません、カレンさ……少将。まずは連絡の時間を大幅に遅らせてしまい、申し訳ございません」


『大方の事情はリコから聞いている。どうせまた無茶をしたんだろう?』


「……仰る通りです。また、暴走してしまいました……」


 本当は穏便に済ませるつもりだったのだが、まさか呆気なく衝動に飲み込まれるとは思わなかった。

 ここ最近、暴走することはなかったから気が緩んでしまっていたのだろう。そろそろこちらの対処を本格的に考えなければいけないのかもしれない。


『まあ、君の殺人衝動はどうしようもないからな。別に怒りはしないよ』


「ありがとうございます……」


『ただ、被疑者を民間人に預けて支部に送るのはどうかと思うけどなあ』


 カレンさんの声音が変わる。口調こそ冷静だが、間違いない。今彼女はめちゃくちゃ怒っている。

 この場にいないのに血の気が引いていくのを感じた。


「そ、それは、その……。傷が酷くて姿を見られるわけにはいかなくて、仕方がなかったっていうか……」


『お前が不死身じゃなかったら懲罰していた所だ、マジで』


 カレンさんの一言に震え上がる。

「マジで」の言い方ががマジだった。二人称も「お前」になってたし。


『いいか? いくら君が不死身だからといっても限度ってもんがある。あまり軍を煩わせるようなことばかりしていると痛い目に遭うぞ』


「重々承知しております……」


 ――――別にわたしだって好きで軍に関わってる訳じゃないんだけどなあ。

 そんなこと言ったら怒鳴られそうだったので心の中に留めておく。

 不意に受話器の向こうからぷつり、と小さな音がした。

 些細な、それこそ聞き流してしまいそうなほどの雑音だったが、その音を境にカレンさんの雰囲気が変わる。


『で、ここからはな立場だが――――』


 そこでカレンさんの言葉が止まる。

 次は、どんなことを言われるのか。息を呑んで心拍数を上げながら彼女の言葉を待つ。


『いやぁ~、遅かったじゃないかセラくぅん~?』


「……酔ってるんですか?」


 唐突にカレンさんが猫なで声を上げてきた。

 間違いない。先程の雑音は軍事回線から通常の回線に切り替えた音だ。軍事回線では通話が全て録音されているため、迂闊なことを話すことはできない。だからカレンさんと私的な会話をするときはこうやって回線を切り替えるのだが……。いったい、どうやって通話中に切り替えているのだろうか? そもそもバレてしまったらカレンさんもろとも首が飛びそうだが(わたしは無事だけど)。


『酔ってるわけないじゃないかぁ~。まったく、中々連絡してこないからそっちに向かおうと思ったんだけどねぇ~』


「やめてくださいよ。それに忙しいんでしょう。少将ですし」


『まあ、しばらく暇だからあ、どのみち君の所に向かう予定なんだけどねえ~』


「来るんですか……」


 はあ、とため息をつく。

 カレンさんなら強力な助太刀になりそうだが……。正直今回の任務は私事のようなものなので、あまり関わって欲しくないというのが本音なのだが。リコだって散々静止を掛けたのに行きたいと強請ねだるから、わたしが折れてついてきたんだし。


「それで、用はなんですか。そろそろ女の子と話がしたいんですけど」


 少女の方は疲れが溜まっていたのか、未だにベッドでぐっすりと眠っている。起こすのは可哀想だが家族が心配しているかもしれないし、そろそろこちらも事情が聞きたい。


『まあ、待ちたまえよセラ君。一つだけ聞きたいことがある』


 それまで浮かれていたような話し方をしていたカレンさんが急に冷静になる。こういった切り替えの早さも出世できる要因の一つなのだろうが、正直受け手としてはやりづらい。そこを抜きにしても彼女は優秀なのだが。


「……何ですか」


『君、今回の任務の目的、ちゃんと分かってるよな?』


「っ」


 カレンさんの言葉に思わず息が詰まる。

 分かっている。今回の任務の内容も、目的も。頭の奥ではちゃんと理解している。


「敵の、捕縛、でしょう……? どうして今聞くんですか?」


『だって君、今回の任務を聞いたとき真っ先に殺意を抱いていたじゃないか。本当は見つけたらすぐに殺すつもりなんだろう?』


「……返す言葉もありません」


 やはり誤魔化せなかったか。このまま嘘をついても仕方がないので正直に打ち明ける。


「不死者は自らに抱える狂気に従うまま動く危険な人たちです。黙って見過ごすわけにはいきません」


『それで、殺す算段はあるのか?』


「それは、まだ……」


 敵は文字通り不死身だ。わたしと同じく、体中に穴を空けられようが内蔵をこぼそうが死ぬことはない。どうにかしてそいつらを殺す方法を調べているのだが、芳しい結果は未だ得られていないままだ。


『もちろん、君の境遇を考えれば奴らを殺したい理由も分かるさ。けど、今回の任務はあくまで捕縛だ。そして奴らを確実に行動不能にするために、本来軍人ではない君を「利用」しているんだぞ。そのことをちゃんと理解しているか聞いているんだ』


「分かって、ますけど……っ!」


『まあ、殺す方法が見つかってないと聞いて半分は安心した。別に憎悪を抱くなり殺意を抱くなりして戦うのは構わないが、万が一でも殺したら今度は君が軍の実験体にされる』


 それだけ言うとカレンさんは電話を切った。

 そっと、受話器をダイヤルの上に戻す。


「セラ? 大丈夫?」


 背後でリコが尋ねてくる。

 何とか体の震えを抑え、わたしは笑顔で振り返った。


「うん。じゃあ、あの子に話を聞こう」




※※※※




 少女は目を覚ますなり見慣れない光景に驚いたようだが、わたしたちの姿を視認すると同時に警戒心をあらわにする。

 ここまでの経緯(暴走していた時の惨状とわたしのボロボロの姿を見た光景は悪夢だったと説明すると納得してくれた)とわたしたちの素性を説明すると、少女は安堵したのか目に涙を浮かべて落ち着いた様子を見せた。

 それから少女が事情を説明し始める。

 まず、少女の名前はヘイゼル・ラドフォード。十四歳。カールをかけた長い金髪に碧眼。体格は全体的に華奢でピンク色のドレスを着込んでいる。肌も色白く、さながらお人形のような美少女だ(何故か彼女の容姿を褒めたらリコに睨まれるが)。

 外見から察してはいたが案の定、彼女は中々の富豪の娘らしく、ラドフォード家といえばウルスでは一二を争うほどの名家らしい。

 そして何故、彼女が逃げていたかという話になるのだが、原因は今から約二ヶ月ほど前の出来事らしい。彼女の説明によればこうだ。



 まず、一人の少女がラドフォード家を訪ねてきた。少女の名はセシリア。宣教師を名乗っており、宗教の勧誘をしたという。当然ながら当主であるヘイゼルの父は彼女の勧誘を断ったのだが、その日を境に徐々に屋敷の人々がおかしくなっていったという。

 最初は彼女の使用人の一人が「アーテー神に栄光あれ!」と叫びながらバルコニーから飛び降りた(ちなみにアーテーとはこの国で信仰されている女神である)。次に料理人が神への供物と称して自らの目玉を抉り取り、料理として提供した。その次は執事が神への生贄を捧げるべく、ヘイゼルの母の四肢を切断した。



 ――――そこまで語ったところで顔を青くしていたヘイゼルが口を手で押さえる。


「うっ……!」


「ご、ごめん! 怖いこと思い出させてごめんね? 無理しないで」


「はぁ……はぁ……、すみません。大丈夫、ですから」


 右手で背中をさすってやり、左手で頭を撫でてあげる。

 未だヘイゼルの顔は青いが、少しは安堵したのか体の震えは収まったようだ。


「それで、今日はお父様がおかしくなってしまったんです」


 ヘイゼルが顔を上げて言う。


「わ、私を神様への生贄にするって言い出して……。屋敷のみんなもそのことに賛成してて……。怖くなって、逃げ出したんです」


「じゃあ、あの時追いかけていたのはあなたちの使用人……?」


 でも、使用人にしてはやけに言動が荒かったような……。


「いえ、屋敷の方々からは逃げ出しました。追いかけていたのはセシリアたちの信者ですね」


「見ず知らずの人を撃ち殺そうとする信者がいるかい……」


 リコの指摘にはごもっともだが、同時に納得する。

 突如狂った屋敷の人々。無差別に殺そうとする信者たち。その首謀者であるセシリアは間違いなく、不死者の一人だ。


「多分、君の家族がおかしくなったのはセシリアの『権能』によるものだと思う」


「「けんのう……?」」


 聞き慣れない言葉にリコとヘイゼルが首を傾げる。


「あれ、リコには説明してなかったっけ。不死者が扱える特殊な力のことだよ」


 不死者には強い狂気の他に、特殊な能力を与えられる。それが、権能と呼ばれるものだ。

 ちなみに、わたしはまだ権能を発揮したことがない。使えるようになったとしても行使する気はさらさらないが。


「恐らく、セシリアは『信仰』の権能を与えらているんだと思う。関わった人々を冒涜的な信仰に溺れさせるような能力」


「つまり、洗脳しちゃうのね……」


 リコが呟くと同時に不快感をあらわにした表情を浮かべる。

 何か心当たりでもあったのだろうか。


「いや、別に。気にしないで。それで、敵の正体が分かったところでどうするの?」


「そうね……ヘイゼルちゃん、場所は分かるの?」


 ヘイゼルちゃん、と呼んだ瞬間にリコに強く睨まれる。何故だか分からないが、その視線が怖い。


「はい。以前、あの人が来た時に自分の勤めている教会を教えてくれたので」


「わざわざ自分の住所を教えてくれる莫迦な奴で助かったわ」


 ヘイゼルから住所を書いてもらい、それを地図と照らし合わせる。

 そこから浮かび上がった場所は……。


「――――はあ!?」




※※※※















「――――くひっ」


 奇妙な少女の笑い声が響く。

 黒い修道服に胸元は銀色の十字架。長い緑髪をウィンプで覆ったその姿は信仰深いシスターそのものだが、その菫色の瞳は異様にぎらついていた。

 彼女は一人の少女が映った写真をうっとりと眺める。頬を火照らせ瞳を細めるその様はまるで恋する乙女のようだ。


「くひ、くひひひひひひひ。あぁ、偉大なる神のもとに選ばれし聖女、ヘイゼル・ラドフォード!」


 彼女はその写真を唾液に濡れた舌で舐めまわし。

 ぼっ、と掌から生じた炎であっさりとそれを焼き捨てた。


「貴女はその身でもって偉大なる神の『贄』となるのです! あぁ、なんと素晴らしい、なんと素晴らしいことでしょう!! 痛みが、苦痛が、不幸が、悲哀が、困難が、憂苦が、無念が、慙愧が、試練が、恐怖が、絶望が、狂気がぁ! 貴女という存在を焦がし、救い、我々の糧となり、神が喜ばれるのです!! くひっ、くひひ、くひひひひひひひひひひひひひひひひひ!!!!」

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