第50話 陽気な女主人




 外を見ると大通りから少し外れた裏通りの路地に入っていた。人の気配はメインストリートと比べると幾分か少ない。辺りの建築物も大通りの建物と比べるとこじんまりとしたものが多かった。




「ここが泊まる宿?」


「うん。オークションの会場まではちょっと距離があるけど、見晴らしが良い宿なんだよ」


「僕が王都に来るときにいつも泊まっている宿なんだ」




 そう言ってエノクが荷物をまとめると馬車の扉を開けて外に出た。

 外は既に日が大分落ちているが、ここらあたりは周囲に建物が少ないせいか日当たりは良いようだ。黄昏れた太陽光が宿屋全体を照らしている。周囲の建物に負けず劣らずこじんまりとしているが夕映えした窓は黄金色に輝いていて、どこか趣が感じられた。




「お客さん、お疲れさまでしたぁ……」


「次の送迎は明後日の朝9:00で良かったんでしたよね?」




 エノクが外に出ると、客車の傍で待っていた御者が声を掛けてきた。

 カバンの中から御者をちらりと伺うと、その声にも顔にも若干の疲労が見て取れた。途中いくつかの集落で休憩を取ることはあったが、それ以外はほぼノンストップで朝から夕方まで手綱を握っていたのだ。疲れるのは当然だろう。




「はい。それで大丈夫です。また、お願いします」




 一方、エノクはハッキリとした口調で御者に答えた。彼も客車で座っていただけとはいえ、ずっと本を読んでいた。それなのにその顔に疲労は全く見えない。


 あんな揺れる車内で何時間も活字を追いかけていたというのによく疲れないわね……


 私がエノクの意外なタフガイさに驚いていると、御者はまたフランクな言い回しで別れの挨拶を告げてきた。




「了解でさぁ。それじゃ明後日9:00にシルバーストリートの駅前で待ってますんで」




 彼はそう言って一礼をした後、さっと、御者台に戻っていく。そして馬の「ヒヒーン」といういななきと共にゆっくりとその場から去っていった。後には荷物用のカバンと防護用のカバン2つを背負っているエノクと、その中の片方に入っている私だけが残される。私がホテルの入口の方を見ると四角いシンメトリーなデザインが施された赤色の木の扉が見えた。




「ふう。お疲れ様」


「これからチェックインするからもうちょっとそのままでいてね」




 エノクがカバンの中にいる私に声を掛けてきた。




「へ~い……」




 私は気だるそうな声でエノクに返す。

 カバンの中は決して居心地が良い訳ではない。自分の身を守る為とはいえ、危険が無かったら当然生身のまま外の風に当たりたいと思うのが私の心情だ。まあ、こんな狭い中に長時間押し込められる事が好きだなんて人はいないと思うけど……

 エノクは私の反応に苦笑しながらそのまま宿屋の中に入っていった。




 ギィ……




 重たい木製の扉が開く音がすると同時に煉瓦で造られた宿の内装が姿を見せる。決して豪華という訳ではないが、シックで落ち着いた空間がそこには広がっていた。宿の中にも魔力で灯っているランプがいくつかあるが、明かりは最小限にとどめられており窓から入ってくる夕焼けの光が内装を赤く染めていた。外から見ても思ったことだけど、この宿屋は日当たりがとても良いようだ。日中はあまりランプを点ける必要がないのだろう。

 宿屋の中をカバンの中から見まわしてみると、ロビーの待合所には旅人と思われる人影がちらほらと見える。彼らは雑談の真っ最中の様だ。エノクが宿の中に入ってもこちらを気にする様子もなく、話すことに夢中になっている。

 チェックインカウンターの方に目を向けると宿屋の主人と思われる女の人が来客の対応を行っていた。しかし、その人がエノクの姿を認めるやいなや、その目を大きく見開きカウンターの内側から外に出てきた。




「あ~らエノクちゃんじゃない!待ってたわよ~!!」




 宿屋の喧騒を打ち破る甲高い声が辺りに広がった。

 周りの人はなんだなんだ……という感じでこちらを振り返った。さっきまで雑談に夢中だったお客さんまでこちらを見ている。声の主は恰幅がよく、その手をいっぱいに広げ、エノクに声を掛けてきた。満面に笑みをたたえていて、エノクの来訪を心待ちにしていたかのようだ。

 どうやらエノクとは知己の関係のようね。エノクちゃんって……随分と親し気に言ってくるのね……

 彼女はいかにも宿屋のおばちゃんという感じで、体格的にも雰囲気的にも包容力に満ちた女性だ。




「クレアさん。お久しぶりです!」




 エノクも出迎えたカウンターの女性に対し、嬉しそうに答える。二人は再開を喜び合って抱き合った後、にこやかに会話を交わした。

 カウンターでさっきまでチェックインをしていたお客さんが呆然とこちらを見ているんだけど、いいのかな……放ったらかしで……




「本当よもう!『すぐまたくるね!』なんていっておいて半年ぶりじゃない」


「ははっ、ごめんなさい。王都での仕事が中々なかったんですよ」


「たっく……仕事なんかなくても遊びにくればいいじゃない」


「エノクちゃんだったらいつでも大歓迎なんだからさぁ……」




 そう言ってクレアと呼ばれた宿屋の女主人は口を尖らせた。その態度は拗ねた子供の様だ。とても中年の女性がやる行動とは思えない。


 ……なんか微笑ましい光景ね。


 よほど親しい間柄の相手じゃないとこんな事はまずやれないと思う。エノクにこんな仲の良い人がいたなんて意外だわ……

 こう言っちゃなんだけど彼って人付き合いとか苦手そうだし。私もエノクとは1ヶ月過ごしてきた仲だけど、彼は基本的にインドア派だ。あまり、社交的とは思えないし、交友関係もそれほど広いわけではないだろうことは容易に想像がつく。それでも彼と深く付き合っていれば人柄の良さと懐の広さが分かるだろう。宿屋の女主人もそんなエノクの人柄に惹かれたのかもしれない。

 エノクはそんな女主人の言葉に苦笑いで言葉を返した。




「ははっ、許してくださいよ。クレアさん」


「出来るだけ長期の休暇が取れた時は来るようにはしてますんで、それでご勘弁を」


「あらあら相変わらず忙しそうね。今回は少しはゆっくりできるの?」


「ええ、2泊3日の行程で予定を組んでいますよ」




 エノクの言葉に女主人は意外そうな顔して見返す。




「あら、今回は珍しく1泊じゃないのね。それにどうしたの?そんなおめかししちゃって……仕事で来たんじゃないの?」


「ええ、今回は旅行なんですよ。王都で開かれるオークションに参加しに来たんです」


「オークション……?ああ、エノクちゃんもあれに参加するの?」




 女主人はオークションに心当たりがあるようだ。大して驚きもせずにエノクの言葉を受けいれている。




「御存知なんですか?」


「そりゃあね……ここ数日王都にお偉いさん方が集まっているし。みんなその噂で持ち切りだもの」


「貴族連中の付き添いでいつもより王都中心は賑やかよ」


「へえ……やっぱりそうなんですね」




 エノクは頷ずきながら答えた。

 予想はしていたけどどうやらかなりの大所帯になるようね。まあ、一種のお祭りに近いのかもしれない。オークションの主催が王族が関わっているのなら、王国の威信に関わる行事になるはずだもんね。




「そうよ。うちも珍しくここ数日宿泊客が多くてね。大変よまったく・・・」




 女主人はそうは言っているものの、内心は嬉しい悲鳴だろう。言葉にもどこか高揚感が見え隠れしている。

 一方エノクの方はその言葉に若干顔を曇らせながら言葉を返した。




「あれ、もしかして……お部屋空いてなかったりします?」




 ええっ!?……まさか予約してなかったの!?


 エノクの今の台詞に私は思わず驚いてしまった。彼は以前からオークションの準備をしていたはずだ。服の調達や馬車の手配なども段取りをしていたというのに、なぜ宿泊の手配だけはしてなかったのか?


 馴染みの宿だから大丈夫だと思ったのかしら……


 今更ながらエノクがちょっと抜けているのを思い出したわ……


 しかし、私の心配をよそに女主人は陽気な笑顔でそれを否定してきた。




「あっはっはっはっ、そんな訳ないじゃないの」


「それに例え満室でも、他の客追い出してでもエノクちゃんを優先するから安心しなさいな!!」




 そう言って宿屋の女主人は高らかに笑う。


 おいおい、いいのそれで……?


 今のやり取りを見ていた周りのお客さんの目が点になっているんだけど。それにチェックインカウンターのお客さんはそろそろ我慢の限界だろう。足を踏み鳴らしてまだかまだか……と待ち続けている。


 ……よくこれで宿屋の経営やっていられるわねこの人。


 まあ、エノク相手だからこそこんなことやっているんだろうけどさ。オーゼットさんの時も思ったんだけど、エノクって絶対に年上の女性キラーよね……




「はは……それはありがとうございます」




 流石にエノクもクレアさんの言葉にたじろいでいるようだ。ただでさえ彼女の声は大きいのに、周りが見ている中であんなに贔屓発言されてしまったら、誰だってそうなるだろう。




「あのぅ、すみません……積もる話はまた今度にして、そろそろカウンターに戻った方が良いと思うんですけど……」


「お客さんその……待たせているようですし……」




 そう言ってエノクはカウンターの方を指差した。彼も周囲の客の目は内心気になっていたんだろう。今の立ち位置だと、チェックインカウンターがクレアさんの丁度背後にあり、そこから来るイラついた目線がダイレクトに彼に突き刺さっている形になる。

 エノクに非はないんだろうけど、流石にこれだと居心地悪いもんね……話を切って正解だわ。

 クレアさんはエノクが指さすと同時に「あら?」と声を発して後ろを振り返り、「あはっ!、ごめんなさいね~」と甲高い声を発しながら待っている客に声を掛けた。どうやらエノクに夢中になっていて待たせている客の存在を忘れていたようだ。それなのにその態度は凄いあっけらかんとしている。


 ……なんというか憎めない人ね。


 ここまで泰然自若の態度を取られてしまったら、客も怒るに怒れないだろう。

 クレアさんは客に短い詫びをした後、再度こちらを振り向き今度こそ本題に入ってきた。




「え~と、それでエノクちゃんは今回は2泊でいいのよね?」


「……ええ。それでお願いします」




 エノクは小声でそう答えると財布から1000クレジットに相当する銀貨を1枚取り出し、クレアさんに渡した。




「はい、ありがとう。いつものお部屋空けといているからそこ使ってね!」


「ええ、お世話になります」


「それじゃ、ごゆっくり……今度時間あった時またね!」




 そう言って宿屋の女主人は再度エノクにハグをすると、小走りにカウンターの方に戻っていった。

 エノクはクレアさんが戻っていく姿を見届けた後、そのままフロント前を通り過ぎて行き、荷物を持って奥の階段を上っていった。そして3階に到達すると、短い回廊の一番奥まで歩いて行く。1Fとは異なりここには窓もないため回廊はとても薄暗かった。備え付けのランプも今は点灯はされていない。




「随分暗いのね……」




 私がポツリと感想を述べると、エノクが言葉を返してきた。




「ランプは夜遅くじゃないと点けないんだよ」


「クレアさんはいい人なんだけど、まあ、正直言ってあまり景気が良い宿ではないからね……」


「ああ……なるほどね」




 エノクが言わんとしていることが分かった。ランプを点けないのは経費削減の一環なのだろう。日ごろは閑古鳥が鳴いているこの宿で年がら年中ランプを点けておく余裕はないということか。




「でもね、部屋に入ったら印象が変わると思うよ」


「えっ?」




 エノクが「ニッ」っと不敵な笑顔で私に思わせぶりな台詞を吐いてきた。しかし、私がそれを確認する間もなく私達は回廊一番奥の部屋に到達する。




「着いたよ」




 ガチャ!……ギィ……




 エノクは木製の扉を開けると、そのまま中に入っていった。中に入った途端真っ赤に燃える赤色の光が辺りを包む。


 それは黄昏の太陽光で、まるで部屋一面を燃やしているような幻想的な空間がそこには広がっていた。




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