第51話 王都の黄昏




「わお……絶景ね~」




 今日何度目になるか分からないため息を私は漏らす。


 部屋に入ってすぐにエノクの言葉の意味が分かった。太陽光が満遍なく入ってくる先を見据えると大きなガラス張りのドアがあって、小さなバルコニーが付いていた。

 そしてそこから見渡せる風景が絶景だった。この宿屋がこじんまりした割には高さがある建物だったのも幸いした。周囲に高い建物がないせいか王都の景色を広い範囲で眺望できるのだ。

 エノクはそんな私の反応に満足そうに微笑む。




「もっとよく見てみるかい?」


「ええ、見てみたいわ」


「オッケー、ちょっと荷物置いちゃうね。レイナも出てきなよ」




 エノクが2つのカバンをゆっくりと床に置くと、私はカバンから外に出た。


 はあ……外の空気が美味しい。


 防護カバンは所々穴が開いているから酸素不足になるという事はないんだけど、気分的にやっぱり外の世界に出たほうが開放感も相まって空気を思う存分吸える。




「はい、どうぞ」




 エノクが膝をつき私の目の前にゆっくりと右の手のひらを置く。

 いつも彼が私をエスコートするときにやるポーズだ。よじ登れない高いところに行くときは彼がこうやって手助けしてくれる。あの強欲な兄弟の兄は私を鷲掴みで連れ去ったけど、エノクはこういうところでも紳士なのだ。これをやる時はちょっとしたお姫様気分を味わえたりもする。




「ありがとう……いつも悪いわね・・・……」


「そんなの全然気にしないでよ」




 私は彼にお礼を言うと、靴を脱いで彼の手のひらにそっと乗った。




「じゃあ、上げるね?」




 エノクは私を手のひらに乗せたままゆっくりと立ち上がった。そして、そのまま私を持ったままガラスの戸を開けてバルコニーに出る。外は少し風が吹いていた。




「ちょっと風があるみたいだから、一応僕の服に掴まっててね。危ないからさ……」




 エノクが心配して、私に声を掛けてきてくれた。確かに、今の私って体重も軽いから突風でも吹こうものならそのまま飛んで行ってしまう可能性もある。ここは素直に彼の好意に甘えておこう。




「ありがとう。ちょっと掴ませてもらうわね?」


「うん。しっかりね」




 そう言って私はエノクの胸元の服をぎゅっと掴んだ。それと同時に初夏の生暖かい風が私の髪をさらさらと揺らす。

 最近髪が一段と伸びてきた。陸上部現役の時は運動の為にショートカットにしていたけど、引退してからは伸ばすに任せていた。転生してからも髪を切ることはしてなかったから、もうちょっとで肩に掛かるくらいには伸びてしまっている。私はゆれる前髪をかきあげながら、眼前に広がる王都の風景を見渡した。


 こう見ると本当に大きな町よね。そして、何と言っても綺麗……


 ここからだと王都の中心方向がよく見える。王宮を中心に街が複数の大道路によって区分けされているようで、建物の様相も区画ごとに変わっている。また、王宮付近は小高い丘になっていて、建物も巨大な建築物が並んでおり外装も荘厳で立派なものが多い。そして、その丘の周りには王都の外から流れ込んでいる大河が巨大な内堀を形成していて、丁度王宮付近が浮島のような形になっていた。

 辺り一面が夕闇に落ちる中、内堀の水が太陽の光を反射して浮島全体を黄金色にキラキラと輝かせている。自然と人工物が織り成す雄大で煌びやかな美がそこにはあった。




「…………」




 余りにも非現実的な光景に私は言葉も出ない。


 おとぎ話の西洋のお城って妙に子供心に惹かれたことがあったけどこういう風景を見ると納得するわね……


 本当に童話の世界の一コマを眺めているような感覚だ。




「ここから見える風景は僕のお気に入りなんだ……」


「いつ来てもため息が出ちゃうな……」




 しみじみと吐き出すようにエノクが声を出した。


 私もそれに対しポツリと呟く。




「確かに幻想的よね……思わず惹き込まれそう……」


「うん。そうだね……昼間も昼間でいいんだけど、やっぱこの時間が一番好きかな……」


「…………」


「…………」




 私達はしばらくその光景を黙って見続けた。他に何をするでもなかったけど、これ以上言葉を出すのは何故か躊躇らわれた。




 夕暮れというのは何故こうも人を情緒的にさせてしまうのかしらね……


 不思議でしょうがないわ……




 夕暮れが人間に訴えかけてくる何かがあることは本能的に分かる。逢魔の時、大禍の時、黄昏の時、昔から色々と詩的な表現がされてきた時間帯である。自然の象徴だった太陽が赤みがかり、空は深い藍色に取って変わられていく。

 活発の赤と抑制の青が交差する時間。二律背反の2つの感情がせめぎ合い、やがて静寂へと向かう。現世うつしよ 常世とこよ が交差する時間。生と死が入り交じり、巨人と神々が滅び去る。世界が終焉を迎える時間……


 私がそんな取り留めもないことを夢想していると、それからほどなくして太陽は沈んでしまった。浮島の輝きも消失してしまう。




「ああ……終わっちゃったか」


「うん。終わっちゃったね……」




 お互い感傷に浸りながら哀愁の言葉をポツリと漏らした。もうちょっと見ていたかったけど、時間の経過は残酷である。


 なんかあっという間……


 そんな心に空いた寂しさを紛らわせようとしたのか、エノクが私にうんちくを語ってくる。




「……この時期は丁度内堀に夕暮れの光が満遍なく届くんだ」


「王城付近はその光を反射して今みたいに輝く様に見えるんだよ」


「この時期だけ見られる特有の現象だね」


「へえ……」




 この時期に王都に来れたのは結構ラッキーだったのね。明日はオークションだから、今日しか見られないのは残念だけど……

 私が浮島の残照を追いかけていると、いつの間にか空一面を漆黒が支配していた。 しかし、それも一瞬の事だった。直後、王都にT字の光が浮かび上がってくる。




「あっ、夜間モードに切り替わるよ!」


「夜は夜でいい眺めなんだよ」




 エノクが先ほどとは一転、嬉々とした声で話して来た。

 どうやら光の正体は街灯と建物の明かりのようだ。日没と同時に一斉に光が点灯していき、先ほどまでの浮島にとって代わり存在感を主張している。それが複数の大通りに沿って一直線に王宮に向かって伸びていった。東西南北で東以外の大道路は全て明かりが灯っている。

 思わず疑問が口から突いて出る。




「ねえエノク……なんで東の方は街灯が点いていないの?」


「えーっと……あっちは港の方角だね。倉庫街だから夜は静かなんだよ」




 エノクは私の指さす方向を見るとゆっくりと答えてきた。なるほど、よく見ると東の彼方に灯台らしき光が見える。カーラ王都は陸路だけではなく海路でも交易が活発に行われているということだろう。




「へえ……じゃあっちは?今度はやたら明るいけど」




 今度は王宮より北を指差した。

 ここから王宮を挟んで反対側。つまり北側の大通りは一際明るさを示している。ここからだと遠いのでどんな建物があるかまでは見えないけど、ここだけやたらと煌びやかな光を放っていた。それが王宮も含め連綿と光の帯が続いているのだ。




「ああ……あそこがゴールドストリートだね」


「カーラ王国の大体の町は道路によって区画が分けられているんだけど、それはこの王都が基準になっているんだよ」


「王城がある場所は見えるかい?」




 そう言ってエノクは王宮方向を指差す。




「ええ、そりゃね……凄い目立っているもん」




 王宮はただでさえ小高い丘の上に立っているのにその大きさも規格外に大きい。形も周囲の建物と比べても明らかに異なっている。他の建物の多くが赤と白のコントラストを基調とした長方形をしているのに対し、王宮は鋭角に突き出たシャープな形状をしていて、色も一面真っ白である。何本もの鋭角の塔が本殿の周囲に配置されており、その前には広大な庭園が広がっている。そしてここから見ても眩しいと思うくらい光の雫が目に入ってくるのだ。気付かない方がおかしいだろう。




「ゴールドストリートは北門からその王城までの大通りを指すんだ」


「シルバーストリートは西門から内堀までの大通り。そしてブロンズストリートは南門から内堀までの大通りを指すんだよ」


「ちなみに、王城がある浮島への橋が掛かっているのはゴールド通りのみなんだ」


「シルバー通りとブロンズ通りが内堀までと言ったのはそういう訳だね」


「へえ……ゴールド通りだけ特別なのね」




 まあ、名前からしてもシルバーやブロンズより価値がありそうよね。他の通りからだと王城に近づくことも許されないという事か。




「ゴールド通りは王都、もしくはこの王国の中心と言っても過言ではないからね」


「大聖堂や、交易所、裁判所、多くのギルドの本部が置かれているし、競技場や劇場・カジノなどの娯楽施設も全てここにある」


「居住している人も特権階級ばかりさ。貴族やギルドの有力者、大商人や司祭様とかね」


「この王国の中で一番賑やかな場所だと言われる所以だね」


「なるほど……そりゃ明るいわけよね」




 壮麗な光の雫を瞳に宿しながら相槌を打った。

 クレスの町でもゴールド・シルバー・ブロンズと大通りが分けられていたけど、あれは王都を模倣していたという訳だ。




「そしてね、明日オークションが開かれる場所はゴールド通りの1番地……つまり、王宮に一番近い場所で行われるんだよ」


「王城の隣の建物は見えるかい?」




 エノクが王宮の隣の建物を指差す。そこには王宮の巨大さに隠れているが、その他の建物と比較しても一際大きさを誇示している建築物があった。




「ええ、見えるわ」


「あそこが商人ギルド連盟の会館だよ」


「国内の重要な催しものがある場合はよくあそこで開催されるんだ」




 あそこが明日の会場なのね……


 会館は巨大な円柱が何層にも渡って積まれているような構造だ。それは王宮のシャープなイメージとは対照的に丸みを帯びた構造をしている。遠くから見たらタワーに見えなくもない。私はその建物を目に映しながら、明日のオークションへと思いを馳せる。


 あそこに明日は何人が来るのだろうか……?

 国内外から来るVIP達が一堂に集結し、前代未聞の神秘の品を掛けて争う。ある者は自己の能力向上用に、ある者は魔法科学の研究用に、ある者は観賞用として、ある者はステータスを誇るために……

 様々な思惑が交差する中で、国を揺るがすほどの巨額の富が一夜にして動く。明日はどうなろうが伝説として語り継がれる一夜になるだろう。私達庶民にとっては手の届かない世界。歴史の表舞台に介在することなど到底かなわない。しかし、それを目撃するチャンスを得ることは出来た。




 なんだかんだ言って私、結構楽しみにしているのかも……


 すっかりエノクの探求心に影響されちゃったわね……ふふっ




 私が直接参加するのでもないのに、なぜか武者震いがしてくる。




「…………」




 しかし、私が上ずった気持ちでいたのとは裏腹にエノクの表情が芳しくなかった。




 ん……どうしちゃったのかしら……?


 さっきまで饒舌に町の案内してくれていたのに……




 さっきまでの説明口調とは一転。


 エノクが私に申し訳なさそうに話を切りだしてきた。




「レイナ……明日のオークションの事でさっき気づいちゃったことがあるんだ……」


「ちょっと言いにくいことなんだけど…………」


「ん……なに?」




 そう言って前置きをした後、エノクは私に衝撃の発言をしてきた。




「ごめん!!明日はここで留守番してて欲しいんだ……」


「……はいいいい!!!??」



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