戦争前夜のおれたちの夢。まねかれもせず、うなだれることもなく
通倍 率
第2話 CQCQ。聞こえるか。おれのために祈ってくれ
CQCQ聞こえるか。ともだちなら、おれのために祈ってくれ。
きみはいつものように朝食を終えて、食後のミルクティーを飲んでいるのかな。晴れた朝ならバルコニーに出て、天気が悪ければベッドの上で。注いだミルクが渦を巻いてカップの底に落ちていって、しばらくすると、いくつもの小さな球体となってゆっくりと浮かび上がってくる。紅茶とミルクが混ざり合う、その十数秒の間だけでいい。おれがうまくやり遂げるように祈ってくれないか。
大きな国が小さな国に対して戦争をしかけた。最初は、おれもきみもなんだか映画の予告編を観ている感覚で、遠くから見物しているのだと思っていた。映画の本編が始まると、自分たちこそ登場人物だとわかったけれど、事態は深刻なまでに進行していて、すべてが手遅れだった。
おれたちの国も巻き込まれ、本土は焦土と化し、そのうちに他の国々もそれぞれの思惑から参戦し、争う相手も争う理由も見失い、核爆弾が飛び交った挙句の果て、世界の人口の五分の三が死に、世界の市街地の五分の四は誰も住めなくなった。
生き残った人々は今までだれも住んでいなかった山を切り開き、氷の世界に家を建て、新しい街を築いた。
戦争が終わってからも地獄は続いた。
食料不足は思っていた以上に深刻で、このままいけば、早晩、人類は恐竜のように滅びてしまうだろう。恐竜の絶滅よりも愚かな理由で。戦争の前から地球以外の星で人類が暮らすための技術は確立しつつあった。いま科学者たちが集まって、人類の異星間移住を実行に移そうとしている。目星を付けた星もある。誰かが広い宇宙に飛び出して、その星が本当に水と空気と肥沃な大地を持っていて、人類が住めることを確かめに行かなきゃならない。しかし、その肝心な探索にだれも名乗りを上げないでいる。
だからおれがやるしかないんだ。5日後におれを乗せたロケットが人類の希望を載せて、あの星に向けて飛び立つ予定だ。勇気と使命感と熱意に対する報酬はほんの少しの名誉。でも、おれはやる。おれの役回りだから。ああ、発射までに万全な準備をしなきゃいけないのに……。
頼むからおれのために祈ってほしい。
ミルクティーを飲んだら、きみはまたベッドで眠るのかな。眠りに就くためにまぶたを閉じたら、まぶたの裏におれの顔を映し出して「幸あれ」とだけ祈ってくれないか。
宇宙に飛び出す前にいくつか仕事が残っている。生き残った人々をまとめ上げるために、みんな新しいリーダーを必要とした。だれもが、おれが大統領になるべきだと言った。しかし、固辞した。おれはなにかになっちゃいけないからだ。なにもかもにならなければならない。
それに、おれを乗せたロケットが地球を離れた後はどうなる。人々の心の中から希望が失われないように、人々の心をつかみ、世界に散らばるコミュニティをまとめ上げるリーダーがいなければならないだろう。おれは、今の大統領をみんなに推薦した。彼女はうまくやっていると思う。
ところが、これはトップシークレットだが、大統領は脳梗塞を患い、実はこのままではもう一週間も生きることはできないんだ。いま彼女に死なれたら困るのだ。助かる方法は手術しかない。しかし、あまりにも難しい手術で、まともな医者ならみんな二の足を踏む。失敗したら人類の未来も閉ざされてしまうかもしれないんだ。そのプレッシャーに打ち勝って、困難な手術をだれができるって言うんだ。
おれしかいない。結局、おれがやるしかない。いつも、おれだ。医者の免許は持っていないが、世界最高の脳外科医としての素質を持っているとまで言われたおれだ。みんな知っているよ、おれが最後の砦だって。経験があるわけじゃないが、大体の手順は把握した。明後日、その危険な手術に挑む。きっとやり遂げてみせる。
きみの祈りがおれの支えになる。だからおれのために祈ってほしい。夢の中で祈ってくれてもいいから。
そう。いまこうしてきみに向かって、祈りを求める言葉を紡ぎ出しながらも、おれは目の前にある爆弾の処理に集中しているところだ。この爆弾は、一見すると、トイレットペーパーの芯に泥を詰め込んで、そこに目覚まし時計を雑にくくりつけただけに見える。きみもここにいたら、夏休みの宿題でつくった工作かなにかと思ったことだろう。しかし、おれのような専門家から見ると、これが人類が作り上げた中で最高に芸術的な爆弾だということがわかる。見るからに禍々しい爆弾なんだ。こりゃあかんって感じなんだ。もう正直、逃げ出したくなるくらいだよ。
爆発まであと一時間を切った。でもおれは逃げない。人に任せるわけにはいかない。おれしかいない。またしても、おれしかいないんだ。この爆弾を、本当におもちゃみたいなガラクタに変えてしまうには、おれの知識と技術が必要だ。しかし、まだ確信を持てないでいる。どっちの線を切ればいいんだ。赤い線か、青い線か。
心を込めて祈ってくれてるか。
実はきみに謝らなければならないことがある。おれがともだちの証としてきみにあげたゴッホの絵。あれは偽物なんだ。おれが描いたんだ。ちょっとした冗談のつもりだったんだけど、世間が新発見だ、ゴッホが最後にたどりついた境地、戦争で失われなかった唯一の芸術品などと、大騒ぎになったものだから、もうおれが描いたって言えなかった。でも、本物と思っても特段、問題ないと思う。おれ以外のだれも偽物だって見破ることができないんだから。ゴッホの絵に拮抗できる絵を描けるのはおれしかいない。やはり、おれなんだ。それなら偽物って、言わなきゃよかったかもしれないけれど、きみには誠実でいたかった。
あっ……。
いや大丈夫だった。よかった。集中力が切れてしまって、勢いで赤い線を切ってしまった。爆発もしてないけど、解除できたわけでもないな。よく見たら、奥の方に黄色い線もある。いや。これは本当によくできた爆弾だ。
きみの祈りがまだまだ足りないのかもしれないぞ。
そもそもきみはおれが小学五年生だからって、バカにしてるんじゃないか。本心では、きみも小学生に人類の希望やあれやこれやを託すことを不安に思っているんじゃないのか。そうした偏見と疑心に満ちた精神が、あの戦争を起こしたんだってことを絶対に忘れないでほしい。それに、きみだってたかだか中学一年生じゃないか。
あの星がダメでも、人類が住める星をきっと探し出してみせる。そして、その星ではもう戦争はごめんだな。
ところで、きみは青と赤と黄色では、どの色が好きかな? 好みを聞かせてくれ。ちょっと待って。選択肢に緑を追加したい。もう一本みつかったから。おや、さらにまた線が見つかった。よく見ればグレーのようだけど見方によっては白く見える線だ。これは本気で集中しないとだめだな。ちょっと話すのを止めよう。
……。
あー、CQCQ。聞こえるか。おれのために祈ってくれてるか?
いま、爆弾処理をしながら、きみと会ったあの夏の日を思い出していた。まだ、平和だったあの頃。
一続きの海岸線のずっと向うにある大きな松の木々が風で揺れて最後まで残っていた雲を追い払って、太陽の光が岩場に降り注いだのを合図に、水着姿の子どもたちが次々に海に向かって飛び込み始めた。みんなは足から一直線に飛び込むだけなのに、きみはすごく勢いを付けて走り出し、岩場から宙に飛び出したかと思うと体を丸めてぐるっと回転して。きみのつやつやした体に太陽の光が降り注いで、まるでオーケストラのホルンみたいに見えた。水しぶきが上がって、きみが海の底へ向かって消えて行く。思わず岩場の端まで行って水面を見つめていた。波が収まったら、ぶくぶくと泡が浮かんで、きみの姿が見えてきた。
きみは、ゲオルグとプルーストの言葉を教えてくれた。ゲオルグは「明日、世界が終ろうとも、今日、リンゴの木を植える」って詩を書いた。プルーストは「たとえ明日死ぬことがわかっていても、今日ヴェネチアに向かって旅立つ」みたいなことを言ったと。
「この二つの言葉は似ているようで違う、あなたはどっちかというとリンゴを植える人」。きみはおれにそう言った。でも違う。おれは圧倒的にヴェネチア派だ。
そもそも「リンゴを植える」みたいなことを言ってた大人はたくさんいた。でも、結局、みんな何もしなかったし、いまだってなにもしないじゃないか。いつもおれたちのような使い勝手のいい子どもばかりが前線に駆り出された。リンゴすら植えなかった。まあ、本当にリンゴなんか植え始めたら、そんなことしてないでこっちに加勢してくれって言っただろうけど。
「ヴェネチアに行きたい」という言葉には、なんだか切実さを感じるよ。
おれがいまここにいることもそういうことなんだ。おれはそもそも生きて行くのがつらくて、死ぬ勇気もなくて、だれにも知られずにすっと消えてなくなってしまいたいといつも思っていた。そんなおれがきみを見て変わったんだ。きみが水面からゆっくりと顔を出したのを見た瞬間に。あるいはまた別の日に。感情を言葉にできなくても、不思議と気持ちがわかりあえた時間。きみといると、時間や空間の何もかもが呼吸の一部みたいに自然で、ほしいものがすべてそこにあった。生きてく意味なんて誰もわざわざ聞かない世界に居座って、世界の行く末なんか気にしないで、ただきみといたい。きみがいるこの場所がすべてだ。
結局、爆弾は全ての線を切った。意外に単純だったな。爆弾は解除できたよ。きみがいる病院の玄関前に置いてあった爆弾だ。弱いものは足手まといになるからと、リンゴを植えると言っていた大人たちが仕掛けた爆弾だ。でももう大丈夫。
いまからきみの病室に向かう。白く土ぼこりの舞う小さな階段をかけ上って、ドアを開き、エントランスに入ったら、とりあえずきみの名前を大声で呼ぼう。空襲のときにおれを助けたばかりに、ほとんど意識を失くし、寝たきりになってしまったきみの名前を呼ぼう。
朝食の後、車椅子でバルコニーに出てミルクティーを飲むこと。それがきみの唯一の楽しみのようだと介護の人から聞いている。おれがいれる紅茶をまた飲んでほしい。実のところ、おれがなにより一番得意なのは紅茶をいれることなんだ。
きみの名前を呼んでも、目を覚まさなかったら、しばらくは寝顔を見ているよ。いろいろ危険なミッションをやる前に、きみの顔だけは見たかった。そのまま、きみのための手術を始めよう。何でもできるおれだ。きみも救ってみせる。おれは世界を救えるが、まずはきみだ。世界の前にきみだ。
(了)
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