第9話:ホームセンター①
あくびが出そうなほど一直線の公道を一台のワゴン車が独走していた。
感染初期の混乱で廃棄された事故車両や散乱したゴミの山は今もそっくり残っているが、道幅が広いおかげで通れないほどではない。
感染者はまばら。数百メートルに一度のペースで見かける。四つん這いの姿勢でエサにむしゃぶりついているか、ゆっくり歩行しているかだ。
横を通り過ぎると半数が車を追いかけてくるが、
運転席にはマモル、助手席にじいさん。その後ろで翔太郎とあんこに挟まれる形で俺は着座していた。
「にしても案外、
ハンドルを片手で切りながら空いた手で鼻をほじるマモルに、田中のじいさんが返答した。
「世界一人口密度の高い東京ならな。むしろこんな田舎でこれだけのゾンビがいるとは、狭い島国だ」
「自衛隊がぶっ倒したりはしねぇのかな?」
「奴らには撃てんかったはずだ。国の体質を引き継いどるからの」
「まーなー。元とは言え、市民だからなー。ゾンビ相手に素手で戦ってただろうよ。ゾンビにも人権があるとか主張する連中に指差されながらな」
口元をほころばせたじいさんが小さく笑う。俺には冗談に聞こえなくて笑えなかった。
「ねぇ、おじちゃん。ゾンビはもう人間じゃないの?」
そわそわした様子の翔太郎が質問をした。
それよりも、マモルはおじちゃんと呼ばれたことに不服そうだ。
「ショウタロー・・・・・・おりゃーなぁ、まだアラサーだぞ! 本当はこっから俺のギターのセンスが認められて、世界に羽ばたき始めるセミになるんだよ。お兄ちゃんだろうが」
マモルは文明崩壊前はギタリストをやっていたらしい。バイトと掛け持ちして食いつなぐのがやっとの音楽家くずれだったようだが。
「えぇー、それじゃあつしの兄ちゃんと
「いいんだよ、花火だって一瞬で消えるだろ? けど多くの人に見られ、熱狂し、記憶される。一発屋でいいから爆発してーんだよ、俺は。ブレイクだよ!」
マモルにはマモルなりの美学があるようだ。あの
「あ、あの!」
車に乗ってからあまり会話に参加していなかったあんこが、唐突に発言を希望する声を出した。皆が彼女に注目する。
「セミは一週間しか生きられないって言うけど、あれ本当は間違いでして。実際は一か月程度生きるそうです。前に本で読みました・・・・・・。――え? ええっと、ですからマモルさんもブレイクしても、一発屋なんかじゃなく、世間にしがみつくように、しぶとく生き残ると思います」
普段しゃべり慣れてない人が思いのたけを一気に吐き出したような銃撃トークだったが、一生懸命マモルをフォローしていることは感じ取れた。
マモルもそう受け取ったらしく、サングラスの下で唇から白い歯をのぞかせた。
「センキューカンバー、お嬢ちゃん! やっぱ今からでも遅くねぇ! 俺はトップミュージシャン目指すぜ!」
夢に挑戦するチャンスを失い、糞いじりにばかり逃避していたマモルの心に火がついたようだ。
同時に固かったあんこの表情も柔らかくなったように見える。
「そんなことはどうでもいいが、翔太郎。さっき聞いたな? ゾンビは人間なのか、と。答えはノーだ。奴らはヒトの皮をかぶった別の生き物だ」
マモルとあんこの明るい表情に反して、表情の
これには俺もあらかた同意見だ。
「そんなに気になるなら外を見れば分かるじゃろう?」
「そうじゃないよ! でも、あの人たちだって人間を食べたくて襲ってるわけじゃないかもしれない。意識はあるけど身体が言うことを聞かないとか、一時的な病気にかかってるだけとか・・・・・・」
それを聞いたじいさんは黙ってしまう。人でなしの化け物というのは、元人間を殺す罪悪感を打ち消すための口実であることを心のどこかで感じているからだ。
翔太郎は感染者を殺したことがない。だから戸惑っているのだろう。人としての一線を超えるかもしれない行為に脳がストップをかけている。
だが、俺は罪悪感から逃れるための免罪符に頼って感染者を殺したことはない。
ハッキリ言ってやろう。
「翔太郎、お前が本格的に回収についてくるのは初めてだったな。あいつらが何だろうが・・・・・・意識を乗っ取られたらもう人間じゃない。銃は自分が握ってれば頼もしい味方だ。でも敵の手に渡れば自分を傷つけられることもある。人間だけを襲い、喰らう奴らは人類の敵だ。俺達が闘っている相手は感染者じゃない。人類と敵対する未知の何かだ」
「未知の何かって・・・・・・なんだよ、それ。どうすれば世界は元に戻るのさ?」
「その正体が何かは分からない。感染者を治療する手段もない。だが生き延びること、それは今、人類の敵に対抗する唯一の手段だ。世界を元に戻すのは難しいだろうが、新しく創ることはできる。そのために俺たちは感染者達と闘わなきゃならない。たとえ元人間が人を襲うことに苦しんでいたとしても」
翔太郎は顔を逸らしながら、「わかんないよ」と呟いた。
俺の思っていることを翔太郎がそのまま受け入れるとは思っていない。だが、このように考えているのは本当だ。
「あんこ、お前にも念のため言っておくが・・・・・・この先にお前の仲間だった奴がいたとしても、分かっているな?」
「あ、あつしさんの言う通りですよ! 皆のためにも生きなくちゃ・・・・・・。それが人類のためになることですから!」
覚悟を問う強い口調に面食らうと思いきや、意外と強い意志を持っているようだ。むしろ俺の言葉が
「なんじゃ、あつし。お前、他の生存者を探したいのか?」
「そうか、俺は他の人を助けたいのか・・・・・・。あんこという生存者がいたから、希望を見出しているのかもしれないな」
一年間、柏市で孤立していた俺達には生存者がいる希望を持てなかった。少なくとも俺は持ちたいとも思ってなかった。
だから、じいさんの言葉を聞いて不思議に思った。生きてる人間を探したいと思うのは当然のことなのに。
雨模様だった車内の雰囲気を消し飛ばすように、マモルが
「心配するなよ、翔太郎。奴らはへたくそなんだ。ケンカは両手でやるもんだが奴らは噛みつくための口しか武器にしない。馬鹿だよな。人間は女のおっぱいを揉むために四足歩行をやめたってのによ。うまく使いこなせてないんだ」
翔太郎がさりげなく目線を下げる。このままでは翔太郎の教育に悪そうだ。
「翔太郎、言っておくが信じるなよ。昔の人間は四足歩行で視点が低かった。ケツが見えやすかったんだ。だから女のデカい尻にオスは興奮してた。けど道具を使うために二本足になってからは視点が高くなった。その分メスがオスを
「おじちゃんが言ってることが嘘なのは何となくわかるよ・・・・・・」
「だいたい赤ん坊に飲ませるだけなら乳がでかくなる必要はあまりない」
「バカヤロー。こういうのは
女の子が混ざりにくい会話が弾んでいるうちに、ワゴン車は目的地についた。
突進型が何体もいた場合は引き返すプランもあったが、幸か不幸か一体も遭遇しなかった。絶対数はそこまで多くないらしい。
「あんこ、ここで間違いないか?」
一階建てだが広い面積を有する建物だ。三ツ島のホームセンターと言えばここしかない。
あんこは俺の方を見てコクリと
車を追いかけている感染者はいないが、駐車場や入口周辺には何体も姿が見える。
「車をギリギリまで寄せて止めろ」
じいさんの指示に従い、マモルはホームセンターの敷地手前で車を止めた。
普通の人間なら丸見えの距離だが、感染者は気付かない。
全員が降車し、車の影から様子を
「入り口付近にかなりたむろしておるな。ひい、ふう、みい・・・・・・七体かの」
「俺にやらせてよ」
いつの間に作成していたのだろうか。
翔太郎は背中のカバンからスリングショットを取り出し、一歩前へ出る。この日のために作った渾身の傑作なのだろう。持ち手には稲妻のマークが刻まれており、思春期の子供特有の
しかしマモルが肩をつかんで、引き戻した。
「今日は後ろで見学。なっ!?」
「えぇ~!」
「えぇじゃねぇよ! お前こないだまでランドセル背負ってたんだろぉ? 大人しくしてろ!」
調子よさそうに背中をパンパン叩くマモルに嫌そうな顔をしながら、今度は田中のじいさんに助けを求める。
「じいちゃ~ん・・・・・・」
「翔太郎よ、そんなパチンコじゃゾンビは殺せない。奴らは痛みや死への恐怖を感じて止まることはない。確実に動きを止めるには弱点である頭部を破壊することだ。マンストッピングパワーの
人差し指を立て、諭すように語りだした。過去の武勇伝を語る老いぼれではなく、次の世代に知恵を残す長老のような姿だ。
「奴らは
「ほら、今はじーさんの授業中だ」
「足を破壊できれば動きは鈍くなるが、死にはせん。排除したければ、一撃必殺が求められとるのだ。今日は他の連中のやることを後ろで見て学べ」
じいさんが感染者の溢れた世界で生き抜く知恵を伝授する間に、残りのメンツで話を進める。
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