我輩は猫なんかじゃないが猫みたいに生きたい。

七条ミル

(1)


 我輩は猫であると言うだけで猫は偉くなれるらしいが、あいにく僕は猫でもなんでもない。人間であるにしても、それは低俗な、いわば「陰キャ」である。

 悲しいかな、現代に於て陰キャに人権は殆どない。

 僕は普通の高校生だと自負しているが、それでもやっぱり陽キャたちの高校生活、青春っていうものはキラキラして見える。できるものなら僕だってあちら側で過ごしたい。

 でも、それができないのは僕が陰キャだからなのだろう。

 授業の発言はことごとく無視され、僕がちょっと目立つような行動をしようものなら、クラスの全員が白い目を向けてくる。僕が何か悪いことをしただろうか。不利益になるようなことをしただろうか。

 いや、そんなことは関係ないのだろう。人が求める他人ひとは、大体イケメンで、明るい、それで以て他人を簡単に笑わせてしまうことができる。

 なんでそんな面白いことが言えるのだろうか、と思って、陽キャだが時々僕と話してくれる男子に聞いたことがある。そうしたらなんと、

「うーん、別に面白いこと言ってるつもりはないんだがなぁ」

なんてぬかしやがった。なんでがんばっている僕たちが虐げられて特に苦労もしていないあいつらは恵まれているんだ……。


 僕は鞄に荷物を詰めて、文芸部室へ向かう。校舎の端っこで、大体の陽キャたちはこの部屋の存在を知らない。それは陰キャである僕にとって校内で唯一の憩いの場である。

 玄関を通れば陸上部の先輩ともう一人男の先輩がイチャイチャしているし、その先にある音楽室の前ではこれまた先輩たちがイチャイチャしていた。なんなんだよもう、クソッタレ。

 そして校舎の端、かなり年季の入った扉のさびかけたノブに手をかけて、少し力を加えてそれを開ける。

「あ、高橋くん、こんにちは」

 パイプ椅子に座ってなんだかとてもむつかしそうな本を読んでいた東雲しののめ瑞穂みずほ先輩が顔を上げて僕に挨拶をした。

 何を隠そう、僕はこの東雲瑞穂先輩が好きである。なんでこの人に恋をしたのかは覚えていない。ただ落ち着ける場所がほしくて、自分が好きな小説を書きたくて、軽い気持ちで文芸部の仮入部に行った。そのときも、東雲先輩ひとりだった。仮入部に来た僕をうれしそうに案内してくれた。小学校や中学校でも好きな人はいた。でも、それに深い意味なんかなく、なんとなく好きだっただけだった。でも、僕はこの東雲先輩という人が、とてつもなく好きになってしまった。ある意味、初恋とも言えるだろう。

 一目ぼれをした僕は、説明を受けるなかずっと東雲先輩を眺め続け、そしてすぐに入部届を提出した。

 僕は東雲先輩が見える位置の席にあるパソコンを起動し、USBメモリをハブに突き刺した。ディスプレイの合間から見える東雲先輩はとてもかわいらしい。

 ふふふ、と心の中で笑いながらワープロソフトを起動してキーボードを叩く。


 読み終えたのか、東雲先輩は本を閉じて机の上に置いた。

「あー、面白かった」

 そうつぶやいてからこちらへ歩いてくる。その姿に少しどきりとした。でも、そんなことが悟られようものなら、

「うわ、陰キャのくせに、キモ」

なんて言われてしまうかもしれない。僕はそれがとても怖い。だって、怖いやん? 僕が陰キャじゃなければ、もう少しアピールできたかもしれない。

 でも、僕は、陰キャだった。高校になったら変われるかな、なんて少し期待していたけれど、やっぱり状況は変わらず、文芸部に入って2週間ほど経ったが、東雲先輩のことについて全然知らない。

 東雲先輩はどんなものがすきなのだろう、東雲先輩はどんな服を着るんだろう、東雲先輩はどんな――


「高橋くんはさ、どんなお話を書いているの?」


 文芸部に入って二週間、今までに無いほど心拍数が上昇した。死ぬかも、と本気で思った。

 まさか、東雲先輩から話しかけてもらえるなんて、思ってもみなかった。二週間も経つのに、挨拶と事務的な会話しかしてこなかったし……。

 うーん、まさか好きな人に話しかけられるというのがこんなにもうれしいことだとは……。

 どんな小説、ではなく、どんなお話、というところがまたなんともかわいらしい。

 こんな陰キャの鑑のような思考を働かせている間に、東雲先輩はとことこと僕の座る場所へ近づいてくる。遠くから何故かチューバの音が聞こえてくる。それはこんなふたりっきりの空間には似つかわしくないとても低い音だったけれど、僕はそれすらもうれしかった。

 ああ、これが青春って奴なのかな、って思った。

 どうせだったらトランペットの音とか、フルートの音とか、そういうもののほうがロマンチックだったんだろうが、そんなこと知ったことか。

 僕はこの青春を楽しみたい。

 そして東雲先輩は、パソコンの画面を覗き込んだ。僕は東雲さんが最初から読めるように話の頭が画面に映るようにした。

 少し頭を動かせばくっついてしまうくらい近くに、東雲先輩がいる。

 甘い匂いがする。これがシャンプーの匂いなのか、はたまた柔軟剤の匂いなのかは分からないが、とてもいい匂いだ。

 見上げれば、東雲先輩はパソコン画面を見入っていた。そんな様子もとてもかわいい。

 東雲先輩は僕が手を置いていたマウスをそーっと僕から取り上げると、ホイールをまわして画面を進めていく。

 しかし、他人ひとに小説を読まれるというのはなんともむず痒いもので、僕は初めて他人に小説を読まれている。そして、その小説を読んでいる人は、僕の憧れの人、僕が今、恋をしている人、東雲先輩なのだ。

 ああ、どうしよう。すごい作品だね、なんていわれたらどうしよう。クソみたいな小説だね、なんて酷評を喰らってしまったらどうしよう。

 考えてしまうことは沢山あるが、結局のところ僕は何を言われてもうれしいのだろう。

 よく小説だと、「恋は麻薬だ」とか、そんなことが書かれるが、まさにそのとおり。僕は今、東雲先輩の顔を見てとても満たされた気持ちになっている。

 そうだな、猫を腹に乗せて寝ているような、そんな心地だろうか。……僕は猫を飼っていないので猫を腹に乗せて寝る心地は知らないのだが。

 猫が陽キャで、東雲先輩も陽キャだとするならば、これは喩えとして完璧なのでは……?

 まあ、そんなことはどうでもいい。

 東雲先輩はとうとう僕の書いた小説を読み終えた。そして、やに鮮やかな唇を動かして、こういった。


「ああ、いいね。」


 ああ、僕は今、すごい報われた気がする。たった一言なのに、とても幸せだ。

 今すぐにでも、東雲先輩に好きだと伝えたい。でも、そんなことをしたら、陽キャの東雲先輩に引かれてしまうかもしれない。

 僕は、このままでいいのだ。こんな、あまり話すことはないけれど、それでも、平日はほぼ毎日一緒に居ることができる、これで、僕は満足だ。



 猫ってかわいいですよね。私の後輩くんに、とってもかわいい、猫みたいな男の子がいます。

 高橋くんというのですが、単刀直入に言えば、私はその子が大好きです。同じ文芸部で、平日は毎日一緒にいます。幸せです。いつも抱きしめたくなってしまいますが、そんなことをしてしまったら、引かれてしまうかもしれません、できません。

 本当は私も小説を書くのですが、あまりに高橋くんがかわいくて、作業が集中できないので本を読むをしながら横目で高橋くんを見てしまいます。視線に気づいているのか、時々目が合いそうになってしまうのですが、恥ずかしくて高橋くんと目があわせられません。

 高橋くんはとてもがんばって小説を書いていて、今すぐにでも抱きしめながら頭にあごを乗せてそれを読みたいのですが、恥ずかしくてできません。でも、せめて、小説くらいは読ませてください。

 勇気を振り絞って、今まで私を助けてくれた相棒の文庫本を閉じて、高橋くんのところへ行きます。

「高橋くんはさ、どんなお話を書いてるの?」

 ああ、とうとう言ってやりました。少しスッキリしますね。

 高橋くんの小説は、ほろ苦くて、それでいて甘さがしっかりとしている、ビターチョコレートみたいな小説でした。一言で言えば恋愛小説です。ラブコメです。

 なんというか、引き込まれるんです。面白いんです。ああ、高橋くんの顔がすごい近くにあります。ものすごいドキドキします。高橋くんもドキドキしてくれたりしていたら、とってもうれしいのですが、やっぱり、現実はそう上手くいかないのでしょうか。こんな私じゃあ、やっぱりダメなんでしょうか。

 でも、私は、高橋くんが好きなのです。

 ああ、今すぐ抱きしめたい。

 私は猫になりたい。猫になって、高橋くんのおなかの上で寝たい。ああ、どうしましょう。でも、そんなことは、できないのです。ただでさえ、知り合ってすぐなのに、そんなことをしてしまったら、きっと高橋くんは私を嫌いになってしまいます……。

 今は、我慢して、そうです、高橋くんと、少しお話がしたいです。



 なんだか、さっきからすごい東雲先輩が見ている。どうしても集中できなくて、タイピングの精度が下がる。

「あの、東雲先輩……?」

 痺れを切らして僕は東雲先輩に声をかけた。

「ふえっ!?」

 東雲先輩はなんだかとても間の抜けた声をだして、そして、

「いや、高橋くん、書くの速いなぁって思って。」

 ああ、それはよく言われるが、

「速いってことは、東雲先輩も小説を書くんですか?」

 速さについては、書いている人間にしかどうしてもわからないものである。もし、東雲先輩が小説を書いているのなら、是非とも読んでみたい。東雲先輩からつむぎだされる言の葉を、全身で受け止めたい。

 でも、読みたいなんて、そんなことは言えない。東雲先輩、僕はとてもあなたの小説が読みたい。



 痛いところを衝かれてしまいました。私も読んだし、高橋くんにも、私の小説を読んでもらったほうがいいのでしょうか。でも、この二週間ほどの間に書いたお話は、どれもこれも高橋くんに好きですと言っているようなもので、ああ、どうしましょう……。

 もっと昔のお話……でも、高橋くんと出会う前の私のお話は、どれもこれも色が無いのです……。

 白を切れば高橋くんは許してくれるでしょうか。

 あっ、いいことを思いつきました。

「一応書いたりもするよ」

 どうでしょうか、上手くいくといいのですが。

「へぇ、そうなんですか」

 あれっ、読みたいとは言ってくれないのですかね……。新しい、とっても色彩豊かな小説を書けば、高橋くんにも見せられます。それなら、こちらからアピールしてみましょうか。アピールして…………恥ずかしい……。

 時計を見てみると、既に六時を回っていました。そろそろ私は帰らなければなりません。本当はもっと高橋くんとお話したいのですが、致し方ありません。

 本を袋にしまって鞄につめます。

「高橋くん、私はそろそろ帰るけど、高橋くんも帰る? それとも、もう少し残って原稿進める?」

 高橋くんは少し微笑んで、

「もう少し書きたい部分があるので、少し残っていきます」

ああ、とっても撫でたいです。あごをすっと撫でたら、気持ちよさそうな顔をしてくれないかなぁ、なんて期待も無いわけではないのですが、そんなことをしては引かれてしまいます。我慢して、

「じゃあ、鍵ここに置いていくね」

 少しお顔を拝ませていただいてから帰るしかありません。

 ふふ、今日は少しお話ができたので、幸せです。ゆっくりお風呂にでも入りましょう。



 なんだろう、今日の東雲先輩はなんだかうれしそうだった。鍵を置いて古びた扉に手をかけたときにこちらを見ていた東雲先輩、目が合ったときの微笑みがとてもかわいらしかった。

 僕もあのときに帰るといっていたら、一緒に歩いたりできたのだろうか。

 でも、僕みたいな陰キャが東雲先輩と歩いていたら、きっとみんなが白い目を向けてくるんだろう。

 やっぱり、僕には手が届かないのだろうか。やっぱり、僕と東雲先輩じゃ全然ダメなんだろうか。

 僕がもっと陽キャだったら、東雲先輩と、釣り合うのだろうか。

 でも、僕はわかっている。僕が陽キャになろうとすれば、悪目立ちをしてむしろ逆効果だってことくらい。

 僕だって陽キャになりたい。みんなと、笑って話して、大人気のあのゲームを電話をしながらプレイとかしてみたい。正直それ以上あの人たちが何をしているのかこれ以上わからないからこれ以上何も望むことはできないのだが、それでも、みんなが時々話していることくらいは、いつか体験してみたいな、と思う。

 でも、陽キャになれなくても、部活の間だけでも、東雲先輩とお話をするくらい、許されるのだろうか。

 陽キャになれなくても、東雲先輩は、僕と話してくれるのだろうか。

 もっと、僕はあのまぶしい笑顔を見ていたい。



 お湯に浸かってぼけーっとしていると、やっぱり高橋くんのことを思い出してしまいます。

 いけない妄想をしそうになりながらもなんとか抑えて、欲求を押し殺して体を洗い、もう一度湯船に浸かってぼけーっとしてから上がります。

 最近では、少しでも時間が空いてしまうと高橋くんのことを考えてしまいます。短編小説を書こうにも、どうも高橋くんのような子を主人公にしたり、恋人にしたりしてしまいます。

 いつか、私も自分で妄想たっぷりに書いたこの小説のように、高橋くんとイチャイチャとか、できたらいいなって思っています。鳥海さん(作者注:最初の作品で出てきたヒロイン)、付き合ってないっていってたけど、うらやましい……。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る