わたしが恋した斎藤君
城島 大
第1話 斎藤君は失踪しました
「好きです! 付き合ってください‼」
下校途中の歩道橋の上で、わたしはラブレターを突き出しながら頭を下げた。
こんなに大きな声を出したのはいつぶりだろうか。
小学生の時、大好きだったソフトクリームを外で食べていたら、突然犬に奪われた時以来かもしれない。
わたしは怖くて、斎藤君の顔が見れなかった。
斎藤君は、わたしのクラスの人気者だ。
イケメンで、文武両道で、いつもミステリアスな笑みを浮かべている大人びた男の子。
平凡安定を夢見る現実的な女の子ばかりのこの学校でも、斎藤君の人気はすさまじいものがあった。
そんな斎藤君だから、何の取柄もない平凡でお馬鹿なわたしが告白することに応援してくれる人はいなかった。
絶対無理。傷つく前にあきらめたほうがいい。
そう言われても、わたしはあきらめられなかった。
だって、恋ってそういうものだもん。
斎藤君は、いつものようにミステリアスな笑みを浮かべてラブレターを受け取った。
わたしの心臓が、ドキドキと高鳴る。
彼は一通り文面に目を通してから、ラブレターをわたしに返した。
わたしは素直にそれを受け取り、目をぱちくりさせた。
……あれ? これってどういうこと?
もしかして、振られたってこと?
呆然とした頭が導き出した結論に、遅れてじんわりと涙が溢れる。
「いいよ」
しかしその一言が、憂鬱で重苦しい感情を一気に吹き飛ばした。
「……え?」
「いいよ。付き合おうか」
わたしは自分で自分が信じられなかった。
指で掌をつねってみたり、思い切り頬をビンタしてみたりしたけれど、目の前にいる斎藤君は消えずにそこに立っている。
わたしの奇行を見ても、何一つ変わらない笑みを浮かべている。
そう。これは夢じゃないのだ。
わたしにとって都合の良いことに、これは紛れもなく現実だったのです。
わたしはその日、斎藤君と一緒に帰った。
ドキドキし過ぎて、何を喋ったのかも覚えてないけど、一緒にわたしの大好きなユーチューバーの動画を歩きながら観たのだけは覚えてる。
家まで送ってもらって、帰ってからもぼーっとして、斎藤君の顔を思い出す度にきゃあきゃあ叫んで身もだえて。
家族に奇異の目で見られながら、わたしはこれからのラブラブ生活に思いを馳せていた。
明日から、憧れの斎藤君と恋人同士。
一緒にお弁当を食べたり、買い食いしたり、修学旅行でこっそり抜け出して二人で遊んだりできるんだ。
その日は、とにかく色々な妄想をしながら、わたしは眠った。
早く明日にならないかな。そんなことを思いながら。
わたしは幸せの真っただ中だった。
だからこそ、わたしは思いもしなかったのだ。
この日から、わたしの常識ある日常が、がらがらと崩れ去ることになるなんて。
◇◇◇
パチリ
そんな音がして、机の上のデスクライトが光った。
真っ暗で狭い密室の中で、たった一つの灯りがわたしを映す。
その状況に、わたしは緊張しっぱなしだった。
「今回は任意同行に応じてくださり、ありがとうございました」
机を挟んで座る黒服の男の人は、サングラスの奥で目を光らせ、わたしをじっと睨みながらそう言った。
とても感謝している声色でないことは、わたしにもよく分かった。
「あ、あの~。一体なんなんですか? わたし、何も悪いことしてないと思いますけど。たぶん。きっと」
ついつい言葉を濁してしまうのは、気付かずにやってしまった悪行というものが、わたしにはあるからだ。
あれはわたしが小学生の頃だった。
一年生の時に学校の授業で図書室から借りた本を、五年生になってから返却し忘れていたことに気付いたのだ。
しかし今更言い出すのはとても恥ずかしくて、結局その本は、今も大事に本棚の奥にしまってある。
悪意なしに悪いことをしてしまうこともあるんだと知った瞬間だった。今でもそのことを思い出すと、きゅ~っと胸が締め付けられる。
「あなたに少しお聞きしたいことがありましてね」
そう言って、黒服さんは一枚の写真を机に置いた。
「彼のことをご存じですか?」
そこに写っているのは斎藤君だった。
斎藤君は通学途中のようで、一切カメラを意識せずに歩いている。
まるで盗撮されていて、斎藤君自身はその事実に気付いていないみたいだ。
「知ってます。斎藤君です」
わたしは素直にそう言った。
「では、その斎藤君とあなたの関係は?」
緊張していたわたしの顔が、にへらと崩れてしまうのが自分でもよくわかった。
「実はわたしたち、恋人なんです~。めちゃめちゃかっこいいでしょ? 友達にも絶対告白しても断られるって言われて──」
「実は彼、昨日から行方不明なんですよ」
……what?
わたしの顔は、笑顔のまま固まった。
行方不明? 斎藤君が? まだちゃんとしたデートもしてないのに?
「私達は彼の行方を捜しているのです。それで恋人のあなたに、何か心当たりがあるかと思いまして」
ギラリと、男の人はわたしを睨む。
わたしはぶんぶんと首を振った。
だって知らないし。ホントに何も知らないし。
「き、昨日は一緒に帰りましたけど、それだけです。わたしの家まで送ってくれて、手を振ってくれて……。あ、その時にね。わたしが郷田先生に怒られたの気にしてくれて。あ、郷田先生っていうのはね──」
ダン! と大きな音を立てて、黒服さんは机を叩いた。
わたしはびくりと震えて、思わず泣きそうになった。
「とぼけてますか?」
「ないです。全然ないです」
わたしはぶるぶると首を振って、無実を証明した。
わたしはいつだってとても真剣だ。
だけどよく、ふざけてるとか、馬鹿にしてるとか言われる。
だからこういう時は、いつも必死に弁明するようにしていた。
「ホントなんです。わたし、黒服さんの役に立つかなぁと思って、それで……」
黒服さんは、小さくため息をついて、サングラスを中指で上げた。
こんな仕草、ドラマ以外でする人がいるんだなぁと、わたしは思った。
「らちが明かないので、特別にお教えします。この男、斎藤陽一はテロリストです」
「……what?」
思わず心の中の単語が口から飛び出てしまった。
それくらい、わたしは動揺していた。
テロリスト?
テロリストって、映画とかで出てくる、あのテロリスト?
「元々、彼は我々組織の一員でした。民間人でありながらファイル1229事件を解決し、人類の危機を救ったことをきっかけに、諜報員として雇うことになったのです。彼は敵対勢力に潜入捜査するプロフェッショナルとして、多くの事件を解決してきました。しかし昨日、彼は組織の最高機密である『いろは歌』を持ち去り、姿を消したのです」
「はぁ。『いろは歌』ですか……」
ええっと、いろは歌ってなんだっけな。
いろはにほへと、とかいうやつだっけ。
斎藤君はそれを盗んだの? 別によくない?
「言っておきますが、『いろは歌』というのはコードネームです。本当にいろは歌を盗んだわけじゃありません」
コードネーム!
なにそれ、かっこいい‼
一気にわたしのテンションが上がったことに目ざとく気付き、黒服さんは小さくため息をついた。
「どうやら危機感が足らないようですね。これは国民の日常生活にも支障をきたすほど重要な事件なんですよ」
「はぁ……」
なんで分からないんだという顔で、黒服さんは首を振っている。
きっとわたしが馬鹿なんだろうな。
テロリストとか、潜入捜査とか、プロフェッショナルとか、そんな言葉が出て来る度に、遠いお花畑の世界に意識が飛んでいく。
「斎藤陽一に肉親はいません。それどころか、親しい友人すらもね。そんな男が行方不明になる直前、あなたと恋人関係になった。これには一体、どういう意味があるんでしょうね」
どう、と言われてもな。
既にわたしの頭はショートしていて、何も考えられない。
おそらく、端から見ても滑稽なくらいのアホ面をしていたんだろう。
黒服さんは、大きくため息をついて、再びドラマみたいにサングラスをあげた。
「……今日はこの辺にしておきましょう。もしも斎藤陽一から接触があれば、すぐに私に連絡を。今回のことを誰かに話したり、斎藤陽一に関して隠し事をすれば、あなたもテロリストと見なされるので、くれぐれもご注意を」
そう言って、黒服さんは名刺を机に置き、さっさと席を立った。
「あのー……」
背を向けた黒服さんに、わたしはおずおずと声をかけた。
「なんでしょう」
「ラインでいいですか?」
わたしは追い出された。
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