第3話 崩れる仲


 運動会。

 俺ら六年三組の生徒にとって、それは一年の中で最も熱が入る行事といって間違いないだろう。

 全部で四つあるクラス、その中で一番になる事が目標……というか義務って感じだ。しかも今年は俺らは六年生、最上級生故に責任も重大だ(俺らの小学校では、運動会でのチーム分けは一年から六年までのそれぞれの組、つまり一年から六年までの一組、一年から六年までの二組、一年から六年までの三組……っていう感じでチーム分けがされて、競技ごとの得点を競い合う方式になってた)。

 周りの連中の熱気には及ばないだろうが、俺もそれなりに必死こいて競技に参加したもんだった。綱引きの時は砂煙にむせながら綱を引っ張り、玉入れの時は一心不乱に籠に向かって玉を投げ、リレーの時は心臓が破裂するんじゃないかと思うくらい、死ぬ気で走ったもんだった。

 運動会が数週間後に迫る頃、体育の授業は運動会練習の時間になるのが通例で、今年も例外ではなかった。だが一つ、問題があったんだ。

 そう、今年は美玲がいるんだ。


「美玲も、競技に参加しなくてはならない」


 先生がそう宣告したのは、その年初めて体育の時間が運動会練習の時間となった時だ。六年三組の生徒達はざわめく、彼女に激しい運動をさせる事はタブー、誰もが知っている事だろう。

 先生は首から提げたホイッスルを吹き鳴らして、「静かに!」と促した。


「病気だとはいえ、美玲もこの六年三組の一員だ。美玲一人だけ除け者には出来ない……クラス一丸で勝利を目指し、チームワークと絆を深め合う事。運動会はそういう行事だからな」


 先生の言っている事は分かる。分かるが、やはり引っ掛かる部分があった。

 そう感じたのは俺だけじゃなかったらしい、挙手したのは奈々だ。


「でも先生、美玲さんに運動をさせるのはダメなんじゃ……?」


 至極まっとうな意見に、先生は頷いた。


「その通り、リレーや短距離走には参加させない。負担の少なそうな競技、玉入れや組体操には参加してもらう。競技中は俺と保健の先生が美玲を見る」


 なるほどそういう事か。……と理解し、また一つ新たな疑問が。確か欠席者や見学者が出たクラスは、点数がなんぼかマイナスされる決まりになってた筈だ。

 もしかして……俺の考えを読んだかのように、先生は告げた。


「無論、美玲が参加出来ない競技は、美玲一人分点数を減じられる事になる」


 何人かが、不満を噴出するように声を発した。まあ、無理もないかも知れない。点数を減らされればそれだけ勝利が遠のくからな。

 すると先生が、少し強めの口調で言った。


「おい、お前ら美玲がこのクラスに入ってくる前に俺が言った事、忘れたのか?」


 皆、黙り込んだ。

 美玲は病気でも俺達と何も変わらない、病気の事で虐めたり差別してはいけない。誰もその事を忘れてなどいないのだ。

 ふと、美玲の方に視線を泳がせてみる。彼女は下を向き、どこか申し訳なさそうな面持ちを浮かべていた。

 先生は続ける。


「心配しなくたって、美玲の分まで皆で頑張ってカバーすればいいだけだ、そうだろ?」


 先生の言う通りだと思った。皆、少しの間の後で返事をする。不満が拭えない感じの返事だったけど。

 そんなこんなで、俺達は運動会に向けての特訓を開始した。

 危惧していた事ではあったけれど、やはり美玲は練習中にも発作を起こした。

 その度練習は一時中断、先生や保健委員の生徒が彼女を保健室へと連れていく。そんな事が何回かあって、体育の時間もとい運動会の練習時間は潰れていった。


「くそ、またかよ……」


 先生と美玲がいなくなった所で、そんな悪態をつく男子が現れた。美玲絡みでそんな事を言う奴は、初めてかも知れない。

 その度に、女子の数名がその男子をたしなめたが、その男子はこう言ったんだ。


「本当の事言ってるだけだろ。完全に足手まといじゃねえか、あいつ」


 ――皆、黙り込んだ。

 クラスの仲が瓦解し始めたのは、多分それがきっかけだったんだと思う。皆が皆そうだったわけじゃないんだが、美玲を擁護する女子、美玲を責める男子。対立構造みたいな物が出来上がっちまったんだ。

 練習中にも異変が生じ始めた。リレーの練習の時、女子が次のランナーの男子にバトンを渡すのに失敗し、落としちまった。その二人が練習そっちのけで、言い合いを始めちまったんだ。

 前々から美玲の事で確執があった二人だ。初めはバトンの渡し方がどうのこうの言ってるだけだったんだが、次第にマジな喧嘩に発展し始めた。


「おい、何やってるお前ら!」


 先生が仲裁に入り、一先ずその場は収まった。だけどもう、クラスの雰囲気は最悪。チームワークなんてあったもんじゃない。

 こんな調子で、運動会で勝てるわけがない――俺のその予感は的中した。その年の運動会、三組は記録的な大敗を喫した。同じ三組の五年生以下、全てのクラスの努力を無駄にしちまう結果に終わったんだ。

 小学校最後の運動会がこんな結果に終わって、皆打ちひしがれた様子だった。

 運動会が終わり、グラウンドでのクラス集会。ただ俯く者、悔し涙を流す者、怒りのあまり木を蹴飛ばす者……そして誰かが、


「全部……美玲のせいだ」


 美玲が近くにいる事も構わずに、男子の一人がそう言ったんだ。

 その言葉に、美玲はびくりと身を震わせた。他の女子が、美玲を庇う。


「あんた、まだそんな事言うの? いい加減にしなさいよ!」


 別の男子が、すかさずその女子に怒鳴った。


「お前こそいい加減にしろっ!」


 その男子は、投げつけるように言葉を放ち続ける。


「お前この前……美玲の事が羨ましい、妬ましいって言ってただろ、可愛くて勉強も出来て、皆から気遣われてる美玲が憎いって言ってただろ!」


「っ……!」


 女子の方が、図星を刺されたように声を詰まらせた。

 まさか、本当なのか? 女子連中の中にも、美玲を憎く思っている奴がいたって事なのか。


「他の女子共だって皆そうだろ! 口じゃ美玲を庇うような事ばっか言ってるけど、本当はこいつが憎くて羨ましくて仕方がないんだろ、いい子ぶってんじゃねえよこの猫被り共!」


「何ですって!」


 女子が、男子に掴みかかった。

 こりゃまずい、止めに入らないと、男子の方が女子をぶん殴りそうな雰囲気だ。

 しかし、


「やめてっ……!」


 大きいとは言い難い、しかしはっきりと聞き取れる声が、周囲の視線を集めた。

 発したのは、美玲だった。


「喧嘩しないで、お願い……」


 体を震わせながら、絞り出すような声を発する美玲。

 女子連中に怒号を飛ばしてたあの男子が、自身の袖を掴む女子を突き飛ばし、美玲に歩み寄った。美玲は震えながら、一歩引いた。


「元はと言えば、全部お前のせいだ」


 何かに取りつかれたかのように、そいつは美玲に言った。

 美玲は視線を外して、


「ごめんなさい……!」


 謝罪の言葉など、何の意味も成さない。

 今にも泣き出しそうな美玲に向けて、言葉という不可視の刃物は投げられ続ける。


「全部お前のせいじゃねえか、運動会で負けたのも、こんな喧嘩が始まったのも、全部全部全て、お前なんかがこのクラスに入ってきたからじゃねえか!」


 誰も、美玲を庇おうとしなかった。男子も女子も、まるで沈黙という形で、同意しているようにも思えた。

 もう流石に見ていられなくなった、いくら何でもそれは酷すぎる。俺は美玲を糾弾している男子に怒気を含めて言う。


「おいお前、いくら何でもんな言い方ねえだろ」


 俺の後に続いて、奈々も言った。


「そうよ、美玲さんに謝りなさい!」


 だがその男子は、俺と奈々を無視して美玲を責め続けた。


「この疫病神! もうお前学校来るんじゃねえよ!」


「うっ……!」


 言い返す事など出来なかったのだろう。美玲はただ、瞳に涙を溢れさせていた。

 この瞬間から、美玲はクラスの人気者から、嫌われ者へと変じた……俺は、それが単なる俺の思い込みである事を願った。また明日になれば、また何事もなく美玲が皆と仲良くしている……そんな日々が訪れる事を願うしかなかった。



 ◇ ◇ ◇



 嫌な予感は、的中した。

 運動会の翌日から、美玲は完全に浮いた感じになっていたんだ。

 元々無口で、自己主張の少ない子だってのは分かってた。でも、全く笑わなくなって、いつも辛そうで……誰かと話している所も全然見かけなくなった。

 美玲に味方してた女子連中まで、美玲を仲間外れにし始めた。そして、一部の男子連中は明確に美玲を虐め始めたんだ。

 ある日の帰りの会、


「これ、誰がやったんだ」


 先生が、何かのノートのページを開いて俺達に見せながら質問した。

 そこには、一面に『疫病神』だの『死んじまえ』だの……悪口が落書きみたいに書き込まれてたんだ。俺はすぐに理解した、あれは美玲のノートだ。誰かが美玲への嫌がらせに、あんな酷い事を書きなぐったんだ。

 当然、犯人が名乗り出る筈もなく、結局誰がやったのかは分からずじまいだった。

 その後の放課後、校門を出ようと歩いていた俺は前方に美玲を見つけた。

 皆和気あいあいと友達と話しながら帰っている中、一人でいる彼女の姿は一際浮いている感じだ。


「……」


 その後ろ姿は、すごく悲しげだった。

 彼女は何も悪くないのに、どうしてあんな仕打ちを受けなくてはならないのだろうか。


 ――助けて、誰か助けて……!

 

 美玲がそう言ったわけじゃない、でも俺には彼女が発した気持ちが聞こえた気がした。

 俺はふとポケットを探り……それを取り出した。

 家の鍵が一緒に付けられた、スパイダーマンのキーホルダーだ。けど俺にとってこれはただのキーホルダーじゃない。俺のお守り、宝物なんだ。

 俺はスパイダーマンをぐっと握って、決意し……心の中で、その気持ちをはっきり言った。


 ――彼女を、助けたい。


 俺は、美玲に向かって駆け出した。

 なるべく驚かせないよう配慮して……ちょん、と美玲の肩を人差し指でつついた。

 美玲が振り向く、そして、


「よう、俺同じクラスの埜上。知ってるか?」


 それが、俺が初めて美玲と交わした言葉だった。





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