うたうたい
時雨ハル
うたうたい
広場を歩いていると、歌が聞こえてきた。
透き通るような女の声。異国の言葉にすら聞こえるその歌を聞くために、私は足を止めた。
美しい女だった。空を写し込んだように青い髪と、海底に沈んだように青い瞳を持つ、およそ現実からは離れた女だった。
その非現実を感じ取っているのか、聴衆は女から一定の距離を保っていた。
不思議と沈黙で満ちる広場に、女の歌だけが響く。
それは郷愁の歌であるようだった。
異国の響きを持っているように思えたのは、女の為か、それとも私の耳の所為だろうか。
故郷を想う言葉など、熱心に聞き入る客など、女は必要としていないように見えた。
詞でも人でもなく、「歌う」ということ。
今この時、「歌う」ことのみが彼女を満たしているのではないか。
どの歌であるかは重要ではなく、いつどこであっても変わりなく。
女にとってはただ、「歌う」ことに意味がある。
満たされながら歌う女。しかし、歌である以上終わりは存在する。
歌い終わり、女がふっと息をつくと、拍手が巻き起こった。
今聴衆に気付いたかのような表情で、女は目を白黒させた。
各々が女に賛辞を投げかけ、金貨を差し出す。
女は着ているドレスを受け皿にして、素直に金貨を受け取る。
惚けた表情のままで金貨を抱える女に、私は親しさをもって声をかけた。
「よろしければ、この袋をお使い下さい」
私の言葉を理解するのに女は幾許かの時間を要したようだった。
「ありがとうございます」
歌っている間の女は満ち足りた表情をしていたというのに。
にこりともせず、感情の波を感じさせずに礼を述べる女。
私が不満を抱き、言葉を重ねるのも仕方の無いことだったろう。
「貴女は幸せそうに歌うのですね」
ええ、と。
ようやく女は、僅かに笑んでみせた。
「何故あんなに幸せそうだったのですか」
「歌っているから」
当然のように答え、私が不満足だと気付いた女は言葉を続けた。
「信じられないことかもしれませんが、」
そう前置きして。
私は人間ではなかったのだ、と。
歌うことしかできぬモノ。
紡ぐのは、唱うはただの言葉。
伝えるためでなく、聞かせるためでなく。
「歌う」ために「歌う」ことを、人間になった私は初めて知った。
「だから私は、歌うことが嬉しいのです」
女の話を理解し切れなかった私は、「そうですか」とだけ返した。
「しかし、こんなに金貨をもらっても困ります」
なんとまあ、欲の無い「人間」がいたものだ。
「いくらか差し上げましょうか」
「いや結構。それより、」
私は帽子を外し、女に芝居がかった礼をしてみせた。
「金貨の使い方なら貴女に教えることができます」
「使い方」
赤子のように女は繰り返す。
「歌うことの他にも、人間には多くの楽しみがあります故」
例えば食、例えば服。女は興味を持ったらしい表情を浮かべる。
私は女へ手を差し出した。
「いらっしゃい。人間のお嬢さん」
およそ人間らしくない、子供のような女。
しばらくは私が退屈することも無いだろう。
うたうたい 時雨ハル @sigurehal
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