英雄

時雨ハル

英雄

 彼女は、英雄だ。

「ねえアース、もうやめようよ」

 僕が止めても、彼女は首を横に振る。剣を手に取り、立ち上がる。

「ねえアース、たとえ世界のためであっても君のためにならない」

「そんなこと、ないわ」

 彼女の声は微かに震えていた。

「魔物を殺せば、世界は良くなるの」

 確かに彼女の言うとおりだった。たった十五歳の少女はその言葉を自らに言い聞かせ、血に染まっていくのだろう。

「世界が良くなれば、みんな、私も幸せになるわ」

「違うよ、アース」

 彼女だって、本当は分かっているんだ。

「たとえ世界が良くなるとしても、人は君が魔物を倒すことをよく思わないよ。あれは不幸を運ぶからね」

「違うわ!」

 本当は、本当に世界を悪い方向へ傾けるのは、

「彼らが……」

 魔物達じゃない。本当に罪深いのは彼らじゃない。

「彼らが不幸を運ぶなんて嘘よ! 私は、私はっ!」

 ああ、その先は言ってはいけない言葉。けれど君は言うんだ、何のためらいもなく。相手が僕だから。

「人間といる方が不幸だわ!」

 身を裂かれる痛みよりも、命を絶つ苦しみよりも、悲しい不幸がある。

 その不幸を運ぶのは、人間。

「どうしてよ! どうして殺さなきゃいけないの! もうたくさんだわ、こんなの、こんな世界、」

 君は口にする。呪いの言葉を。

「こんな世界大嫌い!」

 けれど彼女は英雄だから。生まれながらに決まっていたことだから、君は逆らえない。

 だからせめての抵抗に、呪いの言葉を君は吐く。

「人間なんて嫌いよ!」

 だから僕は、君を優しく呪ってあげる。

「ねえ、アース」

 もう、苦しまなくていいように。君を優しく捕らえてあげる。

「魔物を殺したくないのなら、ヒトを殺すしかないよ。二つに一つだ」

 涙に濡れた君の瞳が開かれる。ほら、捕まえた。

「君は世界を良くするために存在するんだ。なら、どちらを殺すかはもう、分かっているだろ?」

 もう逃がさないよ。君を、優しく沈めてあげる。

「戦うんだよ、アース」

 血に染まった君は、残酷に美しい。

 涙をこぼす君はもろく、それを壊すのは僕。

「世界は良くなるよ」

 いつかきっと、透明な涙より血に染まる自分を美しいと思えるから。


「アース……僕のアース」


 さあ、おいで。

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英雄 時雨ハル @sigurehal

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