秘密の輝き

時雨ハル

秘密の輝き

 本を開く。その瞬間、光が漏れるのだ。誰にも見えない私だけの、大切な輝き。

 たくさんの本に囲まれ、私は喜びと同時に眩暈さえ感じた。どこを見ても本ばかり。この本棚はどこまで高いのだろう。この建物はどこまで広いのだろう。なくならない疑問を自分に投げかけては、本棚の間を歩き回った。決して本には触れずに、顔を近付けて背表紙を眺める。困った事に、私は眼鏡をなくしてしまったらしい。だが視界がぼやけていてもそこに本があるというだけで私は今にも飛び上がりそうなのだ。恐る恐る手を伸ばしてみては、触れる直前で止める。そんな事を何度繰り返しただろうか。懲りずにまた手を伸ばした時、不意に声をかける者があった。

「触れてみてはいかがですか?」

 驚きのあまり体が飛び上がった。恐る恐る振り返ると、そこにはとても日本人とは思えない男が立っていた。

 頭にかぶったシルクハットからは金色の巻き毛が覗いているし、顎には髪と同じ色の鬚が掴めそうな程伸びている。肌は白いし、目は青い。燕尾服を着て、手にはステッキ。そして、体中どこもかしこも今すぐスキップでもしたそうにうずうずしているのだ。児童文学によくこんな奴が出てきたぞ、と私は心の隅で思った。

「触れてみてはいかがですか?」

 彼は流暢な日本語で同じ台詞をもう一度繰り返した。何の事を言っているのか理解するまでに数秒かかり、さらに誰に対して言っているのか理解するまでに数秒かかった。私はようやく彼の言葉を理解し、一つの本にそっと触れてみた。それを見て、彼は突然笑い出した。

「何をしているんです? 確かに私は触れてみろと言いましたがね、本は開いて、読まなくちゃ意味が無い!」

 私は素直に頷いて、本を取り出した。胸の鼓動をどうにか抑え込み、表紙に手をかけた。耐えかねて男が叫ぶ。

「ああ、まったく! 何だってあなたはそんなにゆっくりなんです? どれ、私が開けて差し上げよう!」

 男は私の手に自分の手を重ね、本を開いた。

「ほら、美しいでしょう?」

 ページから光が溢れ出した。いつも私が本を開いた時に感じる、隠喩としての輝きではなく、本当に本物の光が私の目に飛び込んできたのだ。なのに、本に綴られた物語はしっかり読む事ができるのだ。

「おやおや、あなたも随分と美しい。こんなに白くて元気な輝きは久しぶりに見ましたよ。」

 彼は満足気に私と光を交互に見ている。私は既に物語の虜となっていたが、その事もまた男を満足させているようだった。

「結構、結構! 久し振りにこんな輝きを見られて、私は大いに満足しました。さて、」

 男は私の名を呼んだ。それまでに本に気を取られていた私は驚いて顔を上げた。私に質問する隙を与えず彼は続けた。

「もうじき日が沈みますよ。帰った方が良いのではないですか?」

 現実に引き戻された。と同時に心底残念だった。今さっきまで、ずっとここにいられるような気がしていたのだ。

「そんな悲しい顔をしてはいけませんよ。その本は差し上げますから。ただし、代わりに一つ約束して下さい。」

 本を閉じ、彼は真っ直ぐ私の目を見た。

「あなたが本を書いたら、一冊私に下さい。必ず、ですよ。」

 私は大きく頷いた。本が貰えるだけでなく、私がこの本の中に加われる事が嬉しくて。もちろん、私が本を書くかどうかなんて分からないが。

「それは良かった。では、これでお別れです。またいつか、どこかでお会いしましょう。――さようなら!」

 彼は一つお辞儀をした。私は嬉しさと悲しさがごちゃ混ぜになってしまい、彼が頭を上げる前に回れ右してこの不思議な建物を後にした。

 夢だったのか、と考えた私の腕には、彼に貰った本が確かに抱えられていた。

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