(14) ブライトホース・レーシングクラブの憂鬱
翌日火曜、スポーツ紙の1面は馬の写真が並んだ。
この週のこの曜日にしては異例だ。しかもその内容は、週末に行われるGⅠマイルチャンピオンシップのことではない。
「ジャパンカップ、有力3頭がそろって回避!」
言葉はそれぞれちがうが、内容はそのようなものだった。菊花賞で大激戦を演じたタイムシーフ、フレア、シルバーソードの3頭が、揃って翌週のジャパンカップ回避を前日午後に表明したのだ。
これが3頭揃わなかったら、1面に扱われなかったかもしれない。しかし、まるで申し合わせたかのように3頭が同日のほぼ同じ時刻に回避を伝えたことで、話題になり得ると判断された。
タイムシーフは疲労により回避。そして他の2頭は賞金順が不利で、早々に回避を決めた方がのちのち影響が少ないという理由からだった。
そしてまた、そのフレアとシルバーソードの動向が話題性たっぷりのものだった。
「有馬の前にステイヤーズ参戦!」
GⅡのステイヤーズ・ステークスでぶつかるというのだ。「タイムシーフへの挑戦状を賭けた一戦」と煽るスポーツ紙もあった。
このスポーツ紙の1面で最も驚いたのが、シルバーソード陣営だった。
「なぁんでフレアがステイヤーズなんかに!」
ブライトホース・レーシングクラブの本社社内で、小林が吐き出すように言った。
自分の馬が出るレースを、「なんか」呼ばわりもないものだが、実際ステイヤーズ・ステークスは超GⅠ級馬が出るレースではない。その相手関係の楽なことを読んで、ソードの出走を決めたのだ。
これでは伝説を作るどころか、引き立て役になってしまう。賞金のただ貰いと、そして強いレースを見せてファン投票を伸ばせるという一石二鳥の計算があったから、使う必然性が薄いここを使おうとしたのだ。フレアが出るなら、この計画は破綻する。
小林はすぐさま、上司の佐々木に報告に行った。
「うーん、しかしなんで……」
佐々木も同じ疑問を呟いた。菊花賞で人気馬タイムシーフに勝ちに等しい2着と迫ったフレアは、ファン投票でほぼ確実に有馬記念に出られるはずだった。
「取り消しましょう」
小林が進言した。
「取り消し、かぁ」
佐々木は歯切れが悪い。
「えぇ。だって現時点では、ソードがフレアに勝てる見込みは薄いですし」
「そう、だよなぁ」
小林の言葉は内部批判にも似た大胆なものだったが、上司の考えと一致しているので問題はなかった。佐々木もまた、今のフレアには勝てないと踏んでいるのだ。まだタイムシーフとの一騎打ちの方が勝算があると踏んでいた。
「ここでまたフレアに先着されるところを競馬ファンに見られたら、ソードの信用がガタ落ちになります。ここは控える一手です」
「そうなんだけどなぁ。でも、生名さんとマルク・ミシェルが納得するかな?」
「うっ」
上司の言葉に虚を衝かれた小林が唸った。
「ライバルに借りを返すいいチャンスだ、なんて言うんじゃないだろうか?」
「それは……、それは、たしかに、あり得ます」
彼らビジネスマンとちがい、勝負の世界に生きる者たちは石橋を叩いて渡らない。たった数パーセントでも確率のあるものなら、自分の力量をプラスさせて勝算を上げ、挑戦しようとする。
「あの先生と乗り役は、もう気持ちが入っていってしまっている。きっと、フレアが出てきたなんて、伝説を作るにおあつらえ向きだなんて思うぞ」
「じゃあ、出すんですか?」
「もう、決めたことだからな」
観念したように、佐々木が言った。
「そんなぁ」
「仕方ない」
「1回、説得してみましょうよ」
「無駄だよ」
「でも……」
「無駄なものなら、やんない方がいい。彼らとの関係を悪くさせたくなければな」
小林としても、上司の言っていることは分かった。1流トレーナーとジョッキーのプライドを考慮しろ、ということだ。新進気鋭の一口馬主クラブとしては、リーディング上位の者たちとのパイプは大事にしなければならない。こじれさせるわけにはいかなかった。
「分かり、ま、した」
とぎれとぎれに、小林は言った。やっぱり自分は勤め人だな、と思いながら。
「それに、まぁ負けると決まったわけじゃない。ソードの実力を信じて、おれたちは見守ろうじゃないか」
「もちろん、出走を決めたからには勝てると信じますよ。なかなかむずかしいですが、でも信じます」
小林は佐々木の元を離れ、自席に戻った。
―― チャレンジ・カップか中日新聞杯とダブル登録しておくべきだったな。あぁ悔やまれる。
ローテーションの組み立てが好きな小林は、後悔の念から頭を数回、ゆっくりと振った。
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