(10) Synchronicity Ⅱ
「なにしろ、天皇賞や有馬記念とはちがうからなぁ」
馬主の石本が呟くように言う。
他の3人がそれぞれ頷く。ジャパンカップも、天皇賞や有馬記念と同じフルゲート18頭なのだが、国際レースで外国馬に優先的に出走権を与えられる。最近では外国馬の出走が減っていて、まるで出走なしという年もあるのだが、この年は意外にも8頭もの出走表明があった。日本馬の出走枠は、残り10頭分となってしまった。
「それで、賞金順で何番目になってるんです?」
石本が、今度は松川師に顔を向けて聞く。
「19番目です」
「19番目? うーん……、そうかぁ」
これが出走可能な10頭内に入っていなくても、11番目や12番目くらいなら、他の馬が回避して出走できる可能性が高い。しかし9頭もの回避は、レースが翌週に迫っているだけにほぼあり得ない。調教師の松川が言うように、ジャパンカップに出る目はほとんどなかった。
今年は3歳勢からの出走が多い。その3歳馬の中で賞金額でフレアを上回っているのは、タイムシーフ、リュウスター、ワイドレナ、エターナルランの4頭。リュウスターとエターナルランは菊花賞でまったく寄せ付けなかった相手だ。ジャパンカップでフレアより先着するとは、とても思えない。しかし2歳時から稼いだ収得賞金額で、フレアを上回っているのだ。どう考えてもフレアの方が強いのだが、ルール上は彼らの方に出走権がある。
「菊花賞に勝っていたら……。すみません」
南條が大馬主に詫びる。
「いやいや、あれほどいいレースをしてくれて頭下げられたんじゃ、たまらんわ」
そう言ってくれる石本だからこそ、南條は心から詫びたのだ。
「ざっと見まわして回避しそうなのは2頭。外国勢が取り消したとしても、とても圏内に入らないでしょう。じっと待っても期待薄ならば、ここでバシッと諦めてしっかりローテーションを組んでしまった方がフレアが万全な状態で走れるでしょう」
松川師が淡々と言った。
「そうだな。今、回避を決めれば、南條君が他の馬に乗ることもできるだろうから」
「石本さん……」
石本の気遣いに、南條は再度頭を下げた。
「じゃあ、有馬かな。南條さん、ジャパンカップで他のに乗っても、有馬ではこっちに乗ってくれよ」
松川師が、この日初めて笑い顔で言った。
「もちろんです」
「勝っちゃってもな」
「はい」
南條も笑った。
「ところで、馬の調子はどうなんだい?」
石本が、松川にではなく伊木に聞いた。心配りに長けた男なのだ。
「はい。ジャパンカップ回避がホントに残念なくらい、元気いっぱいです」
「夏にあんなに使ったのに?」
「はい。疲れの気配は微塵もないですね」
「おいおいホントなのか? 北海道で長距離戦を4戦も使ったんだぞ。伊木君、正直に言っていいんだぞ」
「ホントです。あの、私が思うに、北海道の4戦は、あの馬にはジョギング程度だったんじゃないでしょうか」
「それは、ぼくも同意見です」
南條が、伊木の意見に同意した。
「それなら……」
石本がちょっと上体を乗り出し、3人をぐるりと見まわした。
「一丁、伝説を作ってみてはどうかね?」
「伝説?」
3人がそれぞれに問い返した。
「あぁ、伝説だ。名馬にふさわしい伝説」
まだ、3人はキョトンとしている。
「名馬というものは、2つの顔を持つものだ。1つは、みんなが「強いっ!」と騒ぐGⅠ勝利。そしてもう1つは、一部のマニアックなファンが「強いっ!」と唸るGⅠ以外のレース。コアなファンの記憶に鮮明に残るとんでもない勝ち方を見せつけているものだよ、名馬は」
「それは確かにそうですね」
「だからフレアも伝説を作ってやろうじゃないか」
「どういう伝説ですか?」
「どうだろう、有馬記念の前にステイヤーズステークスを使ってみるっていうのは」
「ステイヤーズ?」
「あぁ、中山芝3600メートル、最長距離戦の重賞をぶっちぎってみようじゃないか」
この突飛な提案に、南條は思わずニヤつき、松川は渋い顔になった。
「しかし、反動が……」
松川が少し間をおいて言う。
「いや、ステイヤーズもジョギング程度だろう、なぁ伊木さん」
大馬主の石本は、自分の半分ほどの年齢の厩務員にも丁寧な口調を崩さない。
「はぁ。まぁそうですね。今の調子なら」
調教師の松川が難色を示しているので、歯切れが悪い。
「面白いと思わないかね? 南條さん」
今度はジョッキーに振る。
「面白いですね。ハンデ戦でもないですし、軽く中山を2周してきましょう」
笑顔で、ハキハキと返答した。この馬主さんは本当に遊び心に溢れている。いつも驚かされる。そう感嘆しながら。
「まぁ南條君が言うなら……」
松川調教師も、仕方なくという感じだが、首を縦に振った。
「じゃあ決まりだな。ジャパンカップはきれいさっぱり諦めて、今年は12月1週目のステイヤーズ・ステークスから、最終週有馬記念へというローテーションでいこう!」
石本の言葉に、他の3人が頷いた。
南條は頷きながら、タイムシーフもジャパンカップに出走せず、有馬1本で来てくれれば理想形だなと思った。
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