第463衝 辟易の鑑連
義鎮公直属の頃から諸国へ送られてきた小野甥の判断を、鑑連もなんやかやケチを付けながらも信頼し採用してきた部分もあったのだが、今回はてきめんだったようだ。
「下の者に対する統制力において、島津家の当主は、往時の吉岡様を上回っていることは明らかです。島津兵庫頭の突出は望めません。殿がどれだけ隙を晒しても、挑発をしたとしても。その理由は今申し上げた通りです」
これからの戦いは、安芸勢との戦いに勝り、生涯で最も重要なものになる、という確信を鑑連は持っているに違いない。だからこそ、他者の言葉が否が応でも耳に飛び込んでくるのだ。鑑連は悪鬼面ではなく、かつてない俯き加減の能面のような顔になっているが、
「であれば殿の為すべきことは一つ。早々に筑後を平定すれば良い」
小野甥の言葉が顔を上げさせた。
「長くなりましたが、島津兵庫頭に共闘を持ちかける理由は二つです。まず、前線の大将に逆提案するわけですから、彼は本国に確認を取るでしょう。それだけで多少の時間稼ぎになります」
「もう一つは」
「まだ一つ目の説明です。島津家の当主は必ず却下するでしょうが、それでも、あの戸次伯耆守との共闘、という魅力的な選択肢が判断材料に上がってくるのです。殿と戦うという極めて危険な判断を避けたい、と考える局面になれば、向こうからの接触すら期待できます。これが一つ。二つ目は、圧倒的君主の死からまだ立ち直れていない佐嘉勢がこの提案を知った時、必ず薩摩勢に対して不信の念を抱く、ということです。筑後を平定するには、薩摩勢の旗下に収まった佐嘉勢と戦っては勝ち目はありません。依然、独立した佐嘉勢との戦であれば、殿なら容易に駆逐できるでしょう」
「当然だな」
鑑連に元気が出てきた。
「ただ平定するのではなく、佐嘉勢と薩摩勢の間を裂く努力を惜しんではなりません。つい先日まで宿敵同士だったのですから」
「簡単に言ってくれる。ともかく、貴様の提案はワカった。薩摩勢は絶対に突出しない。だから今は確実に筑後を確保しろ。そうだな」
「恐れ入ります」
「平凡で、退屈な提案だ」
「いいえ。残酷で無情な提案で、備中殿に頭を下げられなければ、私もしたくはありませんでした」
鑑連は備中を見た。心臓がドキリとした備中、愛想笑いを浮かべて誤魔化す。叱声は起きなかった。
「この眠たくなる案のどこが残酷なんだ」
「肥後に残る大友方の諸将を見殺しにすることになります」
「あっ」
いきなり備中の脳裏に、人懐っこく親しみ深い甲斐相模守の顔が思い浮かんできた。少数でも援軍として筑前に来て、戦ってくれた彼の恩に対して、無情で返すことになるのか。だが、鑑連は小野甥の案が肥後の犠牲の上にあることを理解していた様子だ。
「肥後を生贄にして、筑後を確保するか」
「その通りです」
「阿蘇勢はどうする。甲斐相模守はまだ情報を送ってきているぞ」
今の鑑連が得る薩摩勢の情報の多くは、甲斐相模守の協力に頼っている。
「彼らも精一杯抵抗するでしょうが、私からそれ以上申し述べることはありません。ただし、阿蘇勢が潰される前に殿が筑後を平定すれば、間接的に阿蘇勢を支援することにはなるでしょう」
「肥後を棄てるのか」
「残念ですが、肥後はもうほぼ失われています」
なんだかんだ、これまで極力味方を見捨てて来なかった鑑連には苦しい選択だ。ただ、自分を慕う甲斐相模守を救う手立ても無いのが現実だった。
「それにしても割に合うとは思えんがな」
「国家大友にとっては間違いなく」
「貴様が国家大友の利益にならない提案をするとはな、驚くよ」
「不本意ながら、私のこの提案は国家大友を弱め、戸次伯耆守を強化することを目的としています」
それは、爽やかでない声であった。立ち上がった小野甥は鑑連を凝視している。笑っていない。
「繰り返しますが、こんな提案、私はしたくなかった。ですが強力になった殿が薩摩勢を退ければ、結果として国家大友は救われる。その一念です」
しばらくの沈黙が陣を覆いつくした。鑑連と小野甥の確執は、つまるところ何を優先するか、の相違にあった。簡単に譲らない小野甥が初めて自説を曲げたのだった。備中はこの同僚の心中を察して、目元が熱くなった。
「ワシはすでに、セバスシォンに高瀬攻略を主張している。が、それを翻すことになるな」
鑑連はこの提案を受け入れたようだ。小野甥は床几に腰を下ろし、備中は深々と頭を下げた。
「日向での悪夢が噂となって脳裏に焼き付いているのですから、どの道、今の豊後勢に薩摩勢との戦いは心情的に難しいのです。よって、まずは殿から歩み寄りを。頭を下げ撤回し、豊後勢の心に安寧を与えてはいかがでしょうか」
「仕方あるまい」
そう言って鑑連は北の空を見上げた。何やら急に年老いたように見える。
「これでは筑前でせこせこやってきたことと変わらんな。せっかく筑後まで疾ってきたのに」
鑑連はらしくなく、空を見上げたままであった。小野甥が慰めに入る。
「殿の電撃作戦は誰にも真似できないものでした。それに、我々が筑後に入ってから大友方の勢いが増しているのも事実なのです」
「貴様の提案については理解したとだけ言っておこう。ただし言っておく。もしも島津兵庫頭が突出して筑後に踏み込んできたその時は」
「それは殿にとっても国家大友にとっても、最大の好機になるでしょう。全軍を持って迎撃し、日向や島原の第三幕とすればよろしい」
鑑連が悪い顔になった。多少元気が出てきたか。
「また、当然のことながら、薩摩勢の要求は無視する」
小野甥は恭しく頷いた。
「お、恐れながら……」
二人が忘れているかもしれないことに言及してみる備中。
「さ、薩摩勢からの、筑後からの撤退要求について、無視するならそれはそれで、セバスシォン公への顔立てが必要ではないかと……」
ああ、と心底くだらないことに思い至った表情になる鑑連。
「そうですね、親家様は負けん気が強い。筋は通しておいた方が良いでしょう」
「先日の様子からだとワシが言っても逆効果だろう。鎮理に伝えさせよう」
その言う通り、セバスシォン公とはどうもしっくりいっていない鑑連である。公が相手に見くびられていることを敏感に感じ取っているのか、兄公の協力者への単純な反発か、それとも吉利支丹信仰に関わることか、あるいは全てか。
「薩摩攻めの義統公への問い合わせも近いうちに戻ってくるはずです。今の義統公と殿の御関係なら、そうせよ、と出るものと思いますが」
「義統から言質を得れば、その切り札をいつ用いるかはワシが決めることになるさ。備中。佐嘉勢の動きは」
「は、はい。筑後川を渡ってはおりません。渡る気配は、あったりなかったりということで……」
「高良山の連中は恭順の意を示したが、その東に住む連中は?」
筑後入国の折、鑑連が突き抜けてきた辺りのことだ。
「問註所様からの情報では、幾人かは佐嘉勢と気脈を通わせたままだということです」
「では、その連中から平らげよう」
「彼らは急峻な山城に拠点を備えています。そのための強気。それなりの困難は予想されます」
「山の上も山の下も、同時に攻めれば良いのだ。高良山に陣を置くぞ」
「それも、親家公にお話を通しておきませんと」
「やれやれ、全く」
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