第460衝 為損の鑑連

 肥筑国境沿いに出ていた内田が、鑑連を追って坂東寺まで戻ってきた。薩摩勢の情報を欲している鑑連はその帰還を大いに歓迎したため、実に嬉し気な内田である。


「速かったな。薩摩勢は引いたのだろう」

「はい!隊列を組んで押し寄せたのですが、戦う気配もなく逃げていきました。辺春の者共、いい加減な逃げ口上を展開してましたが、殿のご命令通り、誰も処罰しませんでした。その甲斐あってでしょう、有益な情報が得られました」


 今の鑑連の関心を得るにはそれなりの情報ではダメなはず。同僚の冒険を心配する備中だったが、


「逃げた薩摩勢の幾人か、筑後領内に散っていった者がおります」


 鑑連の顔が歓喜に開いた。


「どこだ。どこへ行った」

「確実なもので瀬高方面です」

「川を越えた先には鷹尾、柳川がある」

「はい。数年前に龍造寺山城守が筑後に入った折、便乗して多くの禅寺を襲った罰当たりな連中が多くおりまして。清水寺もやられています。そうだろ、備中」

「え、あ、はい。まだ旗色不鮮明な城主もチラホラと」

「でかしたぞ。内田、すぐに出発できるか」


 嬉しさを通り越して悪い顔になった内田、表情で雄弁に返事をした。


「薩摩勢から、筑後から手を引けと要望が来たのでな」

「ほーう成程。では、敵にも見えるように、火の手を起こしましょう」

「そういうことだ。派手に、騒がしく、目立つようにやるんだ」

「いいですとも!」

「ただし、深入りは禁物だ。柳川勢の範囲にはまだ触れるなよ」

「はい、誰かのような軽挙は致しません!」


 熱に浮かされた青年のように叫んだ内田は、戻ったばかりだというのに勝利と出世を求めて飛び出していった。いい齢をして元気だな、と俯く備中。


 一方の鑑連は、内田に見せていた笑みは消え、真剣な表情であった。戦の展開を考えているに違いないが、


「備中」

「は、はい」


 内田と違い、刀槍を振るって活躍できない自分が働く場所はここだ、と身構える備中。


「先般、ワシは薦野に柳川の北を焼かせた。さらに内田に柳川の南を焼かせる。これで柳川の佐嘉勢はそれなりに孤立する。いや、孤立したように見える」

「う、海がありますので」

「それでも、佐嘉勢は薩摩勢に屈服したのだ。援軍を期待するはずだな」

「は、はい。それもできるだけ、自分たちが消耗するより前に、薩摩勢が前面に出てくることを期待しているはずです」

「今、肥後高瀬には薩摩勢の重鎮が来ているらしい。少なくとも、兵は集結している」

「し、調べました。高瀬に入ったのは島津兵庫頭、現当主のすぐ下の弟で、戦上手で評判とのこと」

「つまり、好戦的ということだな」

「はい、お、恐らくは」


 備中が考えるに、鑑連の戦略は恐らくこうだ。高瀬を攻めるには豊後勢の士気が低く、義統公の命令があったとしても過大な期待はできない。よって、こちらから攻め込む前に、薩摩勢に先制攻撃をさせたい。薦野の攻撃も、内田の攻撃も、それをさせた鑑連の主目的はそこにあったはずだ。


「あっ」


 ふと閃いた備中。


「もしや佐嘉勢が筑後川を渡らないのは」

「黙れ」

「え、あ、ふぐっ!」


 鑑連の左手の平が備中の口を塞いだ。呼吸が止まりそうになる文系武士。だが、考えの疎通が為された。


 つまり、佐嘉勢は鑑連の武名を恐れて筑後川を渡らないのではなく、薩摩勢より先に鑑連と戦いたくないだけではないか、ということだ。この場合、鑑連は主導権を握っているようでそうではない、とも言える。


 仮に筑後へ侵入した薩摩勢と戦うことになれば、佐嘉勢を利することになるし、佐嘉勢が筑後川を渡れば、薩摩勢の独り勝ちになる恐れがある。どちらも筑後を奪還できない、という結果になってしまう。こんな時にピッタリな言葉を思い出した備中曰く、


「両刀論法というやつですか、いや、さんすくみかな?」


 しかし、備中の口は塞がれていた。鑑連の手を掴むのは恐ろしいため、指で突いてみる。だが、反応はない。怖い顔で左を睨んだり、右へ強い眼差しを向けたり、備中など眼中に無い様子だ。


 ついに死の危険を感じた備中、鑑連の腕を叩く。ビクともしない上、鑑連は全く変わらない。ついに両手で掴んで離そうとするがピクリとも動かない。これが古希を過ぎた男の力か。視界がチリチリして、意識が朦朧とした備中、視線の端に見知らぬ男の気配を感じた。きっと曲者だが、鑑連は気が付いていない、何とかこの手を離さねば、と呻きまくる。


「ん!んー!」

「何、曲者だと?」


 長年の出仕が実ったようで嬉しい備中。その呻き声と視線の先を追った鑑連、そのまま右手を懐に突っ込んで、取り出した鉄扇を重厚に投擲した。得物は轟音を発して飛んでいき、陣幕を突き抜けるとバキッ、と嫌な音が響いた。備中を掴んだままの鑑連が幕を裂き落とすと、そこには地に伏して、必死に痛みに耐えている様子の男がいた。鑑連の手が少しズレ、鼻呼吸が回復した備中。


「んんん」

「ダ、ダ、ダイサア、ジャヒケ?」


 謎言語を口にする男に鑑連首を捻って曰く、


「なんだコイツは」

「ん!んんんん!」

「チゴッ、チゴド」


 備中の直感は、この謎言語は薩摩のものと告げているのだが、鑑連はすっとぼけているのか、本気なのかワカらない口調で、


「備中、そこに跪くようコイツに言え」

「んん、んんん」

「アイガイトシテ、スワイガナランガオ」

「なんだって?」

「オイハ、ワイガスカン。ホンニズンダレジャ」

「何を言ってるかさっぱりわからん!おい、通訳しろ」

「んんん、んんん」

「この、いつまで呻いてる」

「あいた!」

「アライヨ、タマガッ」


 鑑連の右腕が外れた。叩かれた頭をさすりながら、曲者を改める備中。鉄扇が足に命中したようで、座ることもできない様子。もしかしたら折れているのかもしれないが、


「ンニャンニャンニャ、ヒッタマガッタ、シャキットセ」

「あ、足、痛いでしょ。腫れてますよ」

「オイセシュブンナ」

「え?」

「クロワスッド」

「そ、そんな……え、ええとこれも役目なので」

「ナイゴッ、コゲンコッシタットヨ」

「あ、あなた薩摩の方ですよね」

「おい、わかり切ったことを質問するな。意味不明な言語を聞けばワカるだろうが」


 主人の人の悪さはとりあえず、やはり薩摩人で間違いないようだ。草の者だろう。


「オマンサァモフテタランガ、ビッチュ?」

「いやあ、ははは」

「貴様、この謎言語ワカるのか?」

「な、何となくですけど」

「ちゃんと通訳しろよ」

「通辞のこ、心得が、そ、その……」

「チッ」

「ハンハワザイモンジャッド。モヘ、オイハケシン。ドンオイノシゴッハデケタ」

「えっ?それは一体……」

「ナイモシレッナカヤ?オイノカンゲヨッカ、オハンタッハバカスッタンジャンドナアー、フゥー」


 あっ、それはまずい。と備中が思った刹那、雷撃を思わせる程強烈な衝撃とともに、鑑連の右腕が男の顎を容赦なく掴んだ。


「貴様ため息を吐くか!」

「フゴッ!」

「ワシはフゥとため息をつく輩が許せんのだ。能力も実力も劣る地べたを這う虫けらの如きくせして、何をえらそうにフゥだ。が、我慢ならん!」

「フグーッ!」

「備中、こいつの首を直ちに斬り落とせ!」

「ナイゴテ!」

「い、いけません殿!この者は草の者に違いありません、情報を引き出さねば!」

「待ってられるか、謎言語を解析するだけでも年が暮れる!」

「と、殿!」

「貴様、怖いのだろう。ああ、そうだな。五十を越えて未だに人を斬れない貴様に命じたワシが馬鹿だったよ」

「い、いけません!」


 ドン!


「ヒィィ!」


 音もなく取り出された小筒が火を吹いた。備中が草の者を庇わなければ、鑑連の放った銃撃が命中していたに違いない。草の者の髷が吹っ飛んだ。


「邪魔するか貴様!」

「セ、セバスシォン公にご報告をしてからでなければ、殿のお立場が!」

「うるさい、黙れ、どけ!」

「コ、コロセ、コロセー!」

「おお、それはワカるぞ、望みどおりにしてやろう!」


 狂乱した草の者に応じた鑑連、愛刀千鳥に手を掛けた。備中、最後の手と、大声を張り上げる。


「だ、誰か!出会え、出会え!曲者を捕らえ……た……ぞ?」


 締まりの無い声なのは昔からであるが、思わず声が止まった備中。信じられない光景を目にした。鑑連が刀を抜く際、手落としたのである。


「と、殿」


 鑑連自身も酷く驚いている。地に落ちた愛刀を、雷神の如き眼で凝視し続けるのであった。

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