第445衝 梟盧の鑑連

 国家大友が旧領奪還に乗り出す。義統公による反撃の準備が整ったことに歓喜した備中だが、鑑連は苦笑したままであった。備中へ、


「ワシが会うまでもあるまい。備中、柴田の相手は貴様がしておけ」


 そう言い放ち、岩屋城へ入ってしまった。


「と、殿?」


 鎮理もどこかへ行ってしまう。取り残された備中、やむなし、と陣の外で待っている柴田弟の応対に出る。



「……」

「……」


 無言で向き合いしばらく経つ備中と柴田弟。気まずいが相手の出方を窺うしかない備中。


「備中殿、戸次様へ直接書状を渡したいのだが」

「しゅ、主人はその、い、戦の後で、少々疲れておりまして……」

「あの戸次伯耆守が?あり得ないだろ……」

「いや、そ、その……」

「……」

「……」

「備中殿が義統公へ書状を届けに来た時、私はしっかりと取り次いだではないか」

「そ、その節は本当にありがとうございました」

「なら、その恩を返してもらいたいな」

「いや……そ、その……」

「私が吉利支丹だからって、今更避けることも無いと思うがな」

「そ、そんなことはありません、絶対に」

「絶対に?」

「ぜ、絶対に」

「……」

「……」


 無言の行の狭間で、先程の書状について考えてみる備中。国家大友が筑後を奪還する。大友方の人間であれば、誰もが待ち望んだ状況である。佐嘉勢が敗れた今、絶好の好機に違いない。なのに、鑑連の苦い笑いは何故だろう。


「知っているのか」

「えっ?」

「今、ブツブツ言っていた。聞こえたぞ」


 しまった。また独り言ちていたようだ。じわりと汗をかく備中だが、


「そうか。高橋様から聞いているのか。と、いうことは戸次様も」

「いや、その……はい」

「……」

「な、なんです?」


 備中の目を覗き込んでくる柴田弟。気味が悪いと引いていると、


「あんた昔から戸次様の側近だし、良いか」


 と書状を渡される。相手の思わぬ気前の良さに笑顔になる備中。


「つうつうの仲だろ」

「私と門番殿が?」

「違うよ、あんたと戸次様がさ」

「ちんちんかもかもの仲です」


 ようやくからりと笑ってくれた柴田弟。


「掻い摘んで説明すると、筑後奪還のため、義統公が軍勢の編成を始められた」

「お、おお!」


 ついに、ついに来たか、と備中の口から感激の声が溢れ出る。


「豊前の反乱勢が引き始めたこともあり、体勢を立て直す絶好の好機故、ということだ。豊前戦線にいる兵力も動員されるだろう」

「では、大勝利を得たのですか」

「ああ。薩摩勢がね」

「えっ」

「龍造寺山城守が死んだことで、反乱者どもは後ろ盾を失ったのさ。無論、戸次様の軍勢が田川郡に入ったことも大きかった」

「そ、そうですか……」


 佐嘉勢大敗の影響が早くも広がり始めている。


「で、ではセバスシ、失礼。親家公の軍勢も一先ずご帰還ということですね」

「そうだ」


 とは言え明るい表情ではない柴田弟。備中の知る限り、親家公は吉利支丹門徒期待の星のはずである。


「義統公の御計画を知れば、セバスシォン様は自分が筑後奪還作戦の総大将になる、と言い出すことになるだろう」

「えっ?」

「今のは独り言だよ。あんたと同じさ」

「え、えっ?」


 柴田弟の急な振る舞いに、ついていけない備中。柴田弟が遠まわしに何かを備中へ伝えようとしていることはワカるが、肝心要がワカらない。


「では、私は府内へ戻ろう」

「えっ。もうですか」

「私に会わないということで、戸次様は全てをご承知なのだ、と思う……ことにする」

「し、しかしせっかく来たんですから、温泉で養生されてはどうです?」


 一年振りではないの、と引き留めるが、柴田弟は笑って手を振る。


「最前線で温泉に入れるほど、私は神経が太くないよ。それに温泉なら豊後が一番さ」


 それでは、と急いで帰って行った。柴田弟からの書状を持って岩屋城に入ると、すでに鑑連は立花山城へ戻ったばかりだという。


「は、早い」


 後を追う為に用意をしていると、高橋武士の世間話が聞こえて来る。曰く、


「聞いたか」

「聞いたよ」

「龍造寺山城守がこの世を去った今、筑後の諸将も靡きやすい、という狙いなのかな」

「というよりも、屍肉をあさる獣の如しだな」


 天正六年以降、あるいはもっと前から、国家大友が如何にその評判を落としてきたかワカる。大友方である高橋武士でさえ、こう思っているのだから。その武士らは最後に付け加えて曰く、


「しかし、戸次様主導の佐嘉勢との和睦は生きている。攻めれば破ることになるが……」

「戸次様は嫌がりそうだが、義統公がそうする、となれば従うしかないのではないか」

「どうかな。殿によると、義統公の戸次様への思い入れは相当強いようだぞ」

「へえ、そんなに。確かに頼りになる最強の武将だからな」

「最恐のな」


 笑い合う高橋武士であった。



 鑑連を追いかけて立花山城に戻ると、


「備中貴様、どこで油を売っていたか」


と怒られる。鑑連の指示で柴田弟の相手をしていたのに、どうやら話し込んでいたと思われているようで、


「吉利支丹になりたければなるがいい。ただし、当家の門をくぐることは二度と許さんがな」


と嫌味が飛ぶ。へらへら笑いながら誤魔化して、書状を渡す備中。鑑連が書状を眺めはじめ、その応えを待っている間、城に残っていた同僚から事態の変化を幾つか伝えられた。


 一つは、柳川に詰めている佐嘉勢の重臣に自立の動きがある、というもの。もう一つは、秋月種実の仲介により、佐嘉勢と薩摩勢の和睦が成立した、というものだった。


 この話に関し、直感的に違和感を感じた備中、呟いて曰く、


「佐嘉勢内部に自立の動きがある、というのは薩摩勢の流言じゃないかな……」

「何故です?」

「さ、佐嘉勢は、龍造寺山城守の首受け取りを拒否したばかりだし……実際色々あるんだろうけれど、もっと確認した方がいい気がする。佐嘉と薩摩の和睦というのは本当だろうけどね」

「な、何故です?」

「い、いや、だって負けた側が勝った側に従うのはいつもの話だし」

「……」

「……」


 鑑連の執務室に沈黙が広がり、何か失言があったかと焦る備中に、近習衆曰く、


「で、では国家大友は、佐嘉勢と薩摩勢、両方を相手にして筑後で戦をすることになるのですか……」

「……」

「……」

「あっ」


 その通りだとすれば、国家大友に勝ち目はないのではないか。そのことに気がついてしまった備中、周囲の黙然を他所に言葉を失いかけるが、勇気を振り絞って曰く、


「は、羽柴筑前守の軍勢が九州に到れば、な、なんの!」

「その羽柴筑前守だが、尾張で戦が始まったという」


 書状に目を落としたままそう述べる鑑連の声に沈められる備中。さらに続き、


「羽柴筑前守は紀伊でも戦をしている。織田右府の後継者の地位は、まだ確実ではなかったようだな。やはりここから都は遠い」


 国家大友は単独で薩摩・佐嘉連合軍と対峙せねばならないということだ。仮に、一国一万の軍勢を動かせるとして、薩摩勢四万、佐嘉勢一万の合計五万である。常勝不敗の鑑連は、この大敵によって遂に敗北を知ることになるのかもしれない。それも、正真正銘の。


 日向での大敗に続き、織田右府の死、佐嘉勢の大敗と、この天正という元号はまさしく記念に価する。戦いの質も、永禄期の長々しい物と根本的に異なっているとすれば、果たして鑑連の戦略が今の時代と合致するか、不安の方が大きい気がする備中。


 それでも鑑連の家来として幸いなことは、主人は予想外の出来事を前に取り乱すことが無い、ということだ。いや、あったかもしれないと、概ね無い、に訂正するが、付き従う身としては頼もしい限りである。


 義統公の筑後奪還宣言が吉凶どちらに転じるか、鑑連が賭けるのであれば、戸次武士らはそれを信じるのみ、なのであった。

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