第55衝 颯爽の鑑連

「さ、左衛門」

「ん、備中。追加の連絡か?」


 不慣れな馬を駆けさせ、何とか門司の山を駆け上った備中は、内田へ至急の状況変化を伝える。特に、豊前水軍の敗退について。それを聞いて一気に青ざめる内田。


「三の丸はどうしよう」

「殿から本陣まで撤退せよとのご命令だ」

「イイところまで来ているのだぞ!せっかくの出世の機会が……」

「殿のご命令だ」

「大体、本当に脱出できるのか!見込みのない逃走よりも、三の丸を奪ってそこに立て籠った方が良いだろ!」

「殿のご命令だぞ!」

「……」


 臆病侍の魂の叫びに黙ってしまう内田を慰める備中。


「左衛門ならまた絶好の機会をモノにできるさ。我ら近習衆の筆頭じゃないの」

「ワカったよ」


 本陣まで引けの合図を出す内田左衛門尉に、さあ、ここからが本番だ、と気合を入れる備中。敵の水軍衆に塞がれる前に、戦場を脱出しなければならない。この隊の長たるうちは戦闘意欲が燻っており、さらに田北隊、田原隊は動いてくれるだろうか、という心配が尽きない。


 崖の向こう側からの歓声が一段と大きくなる。太鼓、法螺貝、鐘が鳴らされ、大攻勢が予想される気配だ。


「備中待ってくれ。これは殿がホンモノの大攻勢を仕掛ているのではないか。ならこの流れに乗った方が……」

「殿のご命令」

「はいはいワカったよ」


 三の丸の抵抗が、内田隊へではなく、崖の部隊へ移ったのがハッキリした時、内田は素直に撤兵を開始した。


「急げ!焦らず急ぐのだ!」

「本陣まで下がれ!」


 内田は視力が良いようで、距離のある田野浦方面に船影が漂っているのを見咎めると、小さい声で備中に話しかける。


「備中……水軍があそこに。田原常陸様でないとしたら」

「敵だ。ま、まずいかな」

「本陣との間に入られたら、退路を失う」

「しかしそれは、安芸勢からしても、危険だろう。進んで挟み撃ちに会うようなものだし」

「そうかな。なんだかあの船団、揚陸するつもりではないか」

「……」

「……」

「急がせろ!」

「撤退が明るみに出れば総崩れになる!退転の態で!」


 内田の隊は三の丸を占拠するつもりでいたから、輜重兵などいない。故に、戦利品や負傷者をみなで担いで行かねばならない。


「戦利品は捨てさせよう?」

「命がけで勝ち取ったモノを、す、捨てろなんて私には……私には……」

「左衛門、しっかりしてくれ。命あっての、だろう」

「うぐぐぐ……」


 備中と内田が逡巡し、もたついている間に、安芸の水軍衆が揚陸を開始する。もはやその目的は明らかだ。突出した内田隊を血祭りにあげるつもりでいる。備中、後ろを振り返れば、陽動から抜け出た門司城の兵士が、出撃してくる様子が見えた。もはや猶予はない。備中、兵士らへ叫ぶ。


「戦利品は投棄!負傷者を担いでいる者は本陣へ走れ!そうでない者は正面の揚陸部隊と一戦し、その後に本陣まで下がる!内田左衛門尉のご命令だ!」

「えっ?えっ?」

「敵を海水へ突き落とせ、前へ!前へ!」


 そう叫び、備中は先陣を切って早駆けする。それに後ろから徒歩の兵たちはついて来ているようだった。


「ここで死ぬのだろうか。しかし、幾名かの命を救うことができたのであれば、死もきっと甘美なものに……」


 文系武士である備中に戦闘力を期待する者は本人も含めて皆無であるため、短い脇差しか備えていない。これを抜いて敵陣へ突っ込むなど、狂気中の狂気でしかない。


 しかし、やるしかなかった。抜いた脇差を構えて馬を駆る。威勢の良い雄叫びを上げるが、実に様にならない。声の出し方からして、なっていないと自分でもワカる。


 その時であった。


 額に衝撃が走り馬上で後ろに仰け反ってしまう森下備中。鉢金に矢玉が当たったのだとワカったが、脳裏に秋月討伐で脳みそを撒き散らされた小野の姿が浮かぶ。さらに、射殺される想像が現れ、蛮勇も一瞬で消え失せた。鐙から足が外れ、空中に投げ出された備中はそのまま落馬して翻筋斗打った。


 その上から雨のように矢が降ってくる。顔の左、右に矢が落ちてくると、恐怖のあまり頭を抱えて丸まってしまう備中。


「ひっ、ここで死ぬのか!嫌だー!」


 刹那、落鳳坡で射殺された龐統の事を考える森下備中。彼は主君のために犠牲になったのだ。自分もそうである。主人鑑連どころか、同僚、足軽らを救ったのだ。龐統を超えたかもしれない。


 頭上から声が聞こえる。


「呆れるよ。龐統は主君に国を与えた功労者だから鳳雛とも称されたのだ。お前はワシに何をしてくれるのかね」


 顔を上げると、そこには鑑連がいた。何かの間違いではないか。あの唯我独尊で傲岸不遜なる無頼の暴君、のはずの主人鑑連がそこにいた。


「とっとととととと殿……」

「とっとと起き上がって本陣まで走れ」

「ですが頭に矢が……うっ」

「鉢金に当たったか。命拾いしたじゃないか。血も出てない。いつかの小野のように脳みそも垂れてない。ほら、走れ」

「は、はいぃ……」


 今は、敵の矢が飛んでこない。鑑連とともに出た戸次弟率いる弓隊が、安芸の水軍衆へ斉射したため、敵はそれ以上の追撃を断念したようだった。



 最初の攻城が終わった。内田隊を見事に救い出した備中の考えと、それを実行に移した火事場の備中度胸を、戸次隊の幹部連は褒め称えてくれた。由布、安東、十時、戸次叔父、戸次弟の順に、


「……見事だった」

「私が危険な時も、助けてくれよ」

「頭を使う仕事は強いな」

「見直したぞ」

「見直したよ」


 そして内田は、


「ほら備中」

「ああ左衛門お疲れ……兜……これは?」

「お前も殿の側近くに仕えているのだ。鉢金なんて足軽装いやめろよ。みっともない」

「あ、ああ……ありがとう」

「勘違いするな。別に深い意味は無いのだ」


 照れながら去って行く内田を見て、ついニヤニヤしてしまった己を恥じた己を、とみに愛おしく感じる備中。


 では肝心の主人鑑連は?救援に感謝の意を表する為、一段派手な陣幕に入った備中は、そこで苦悩の表情を浮かべる主人を見るのであった。

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