第50衝 形相の鑑連
「殿は?」
「吉岡様の館へ向かわれた」
「ほう、備中を連れて行かず?最近珍しいじゃないか」
「まあまあ……田北様、臼杵様が戦地にあって寄合が開けない以上、致し方ないのでしょうが」
豊前筑前から臼杵へ伝えられる情報は、全て敵方が善戦健闘しているというものであった。
「秋月勢、地侍衆を組織し、旧領の全てを奪回!」
「宗像勢、鎮氏様を打ち破った勢いで郡内を席巻しております!」
「門司城から出撃した安芸勢が主に豊前方面へ進出しています!田原常陸様が押さえていますが、敵数に勝り、田原常陸様撤退は時間の問題かと!」
「うーむ。まだまだだな。安芸勢が田北に臼杵、田原常陸を始末してくれたら出撃する良い時期になるのだが」
大友方不利を明らかにする情報に対して、相変わらず厳しい目を光らせる鑑連に、こんな態度、人としてありなのか、と心配する備中、敵に関する新着情報を伝える。
「安芸勢の総大将は、また倅の毛利隆元だという事です。これまで、この人物が特に戦上手であるという報告はなく、我が方も善戦可能では……」
「当方老中二名についても戦上手、という報告は先方へも届いてないはずだぞ。クックックッ!」
実に品を欠いた笑い方の鑑連。
「それに父親が立派すぎるからな。この点、ワシとは大違いだが……」
ふと、鑑連の顔に寂しさが過ぎった。確かに、戸次家の当主としては、鑑連が一人で奮闘して盛り立ててきたようなものだ。先代は病弱である事からも一人では生きれず、調和を重んずる人であった。備中、主人の心の中に吹く一律なる風を、ふと感じた気がした。が、
「まあ、ワシがでればすぐに蹴散らしてやれるがな!」
一瞬でいつもの主人に戻った。返答に困る備中の困惑を無視して鑑連は続ける。
「敵の総大将がどうあれ、ワシが戦場に出ない以上、この戦いが長引くのは明らか。さて!いつ、戦場にでようか!」
そんな驕れる鑑連の下へ、使者がやってきた。その人物は、戸次隊に出陣を命じる義鎮公からの命令を持ってきたという。舌打ちをする鑑連。
「チッ、吉岡ジジイの仕業だな。が、ワシ独りで動いてもどうしようもないと、使者殿にはとくと納得させてやるか。備中、ついてこい」
「はt!」
「戸次様」
「これは申次殿か」
備中はその貧相な姿の使者に見覚えがあった。秋月討伐で隊を率いて、最前線の危険を担っていた人物だ。下がろうとした備中を鑑連は目で留め、会談の座を作った。鑑連が申次と呼んだ吉弘殿は、静かに話し出した。
「戸次様。義鎮公は、戸次様の速やかなる御出陣をお望みです」
「そうだろうとも。だが……」
腕を組んで苦しい顔をする鑑連。主人にこんな猿芝居ができたとは知らなかった森下備中。
「田北殿、臼杵殿と合議を重ねる事が難しい上に謀反が多発する今、どの街道も危険が一杯だ。もう季節は真冬で、出陣に適当ではない。それでも出陣せよ、とのことかな」
「……」
平伏して何も言わない吉弘殿。ならばと自分から口を開く必要のない鑑連。沈黙が座を支配する。
それでも吉弘殿は平伏したままである。姿が貧相故に潰れたカエルのようでもあるが、よく見れば、目は力強い意志を備えているようだ。体格の貧相さから、武士の世では苦労してきたのだろうな、とその知り得ぬ努力と忍耐に感じ入った備中。
絶対に譲らない鑑連と、失うものの無い吉弘殿。二人とも無言で座っている。片膝つく備中も動けない。足が痺れてきたし、膝が鬱血しているのかもしれない。脂汗が滴る備中を、ふと鑑連が見ていた。しかもニヤリ、と意地の悪い笑みを浮かべて。
愕然たる備中。この座の主人である鑑連は、細かく体勢を動かして実は楽にしているのに、身分低い備中はそうはいかない事を確実に承知している。一方の吉弘殿は平伏したまま微動だにしない。一番苦しいのは、片膝を付いている自分である。ああっ!
「……ぅ」
しまった。声が漏れてしまった。が、鑑連は聞こえぬフリをして、わざと後ろの掛け軸等を見る始末だ。掛け軸には、
比無安居也
我無安心也
とある。漢文に疎い備中にはワカらなかったが、もう限界が来た。そこまで来ていた。
すると、鑑連が吉弘殿に声をかけた。
「申次殿。お顔を上げられよ」
「はい」
顔を上げた吉弘殿は、鑑連が気にしている背後の掛け軸を見て、しばし考えた後、重く口を開いた。
「例えば、総大将の資格に加え、腕利きの領主達が傘下に入れば、如何でしょうか。戸次様もそれなら安心できる……つまり、ご出陣可能になると」
「……」
「如何にございますか」
「そうだな。それが義鎮公のお望みとあれば、尽力するにしくは無い。だが、調整可能かね?すでに戦場では田北隊、臼杵隊も展開中だ」
「尽力します。そして、義鎮公に戸次様のご希望を、お伝えいたします」
吉弘殿は退出する際に、備中の限界を突破している下半身を見やり、深く頭を下げた後、足早に去っていった。鑑連、備中へ、
「崩して良い」
「は、はぃ……」
痺れる脚を解き放つと、凄まじい痺れが襲って来た。
「あっ、あっ、あっ……」
「備中、吉弘の心中を思い描いて述べてみろ」
「あっ、ひっ……」
「フン」
痺れて返事ができない備中の足を、なんと鑑連は愛刀千鳥の柄でシバいた。
「ひぃ!」
「で、どうかね」
気合いで返答する備中。
「はあっ!ははあっ!よ、吉弘様は必ず義鎮公へお伝えし!殿に総大将としてのお役割をお渡しするべく!動き始めると思いますぅ!」
「そうだな。調整にかかる日数はどうだ」
「に、日数ぅぅは、あっ!行って、探して、伝えて、その為の活動、場合によっては豊前南部に引き上げることも考えて、長くて……」
「長くてか?」
「半年後には……」
「半年だな。よし、それを当てにしよう。その間、十時、安東の業務は別の者を送り代え、隊長衆は引き上げさせろ。半年後に万全の体制で出陣できるよう、全ての軍備に目を光らせるのだ。そう、由布へ伝えておくように」
痺れが取れずに倒れている備中を放置して、鑑連は去って行った。ややあって、内田が倒れている備中を見つけ按摩を施すに至り、凄まじい焦燥感とともに備中は飛び上がった。そんな同僚へ嫉しげな横目を向ける内田に、
「ならお前が替わってくれよ」
とは遂に発言できない備中であった。
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