対 豊芸和睦派
第47衝 骨休の鑑連
「誰もがその専門性によって生きている」
「へえ、お前も。だとしたらどんな専門性か」
「殿のご判断を助ける手伝いをすると言う事だ」
「はは、バカな。あの殿に判断の助けなど必要あるもんかい」
安芸勢との戦いで数多くの功績をあげた戸次家は、本国豊後は臼杵城下から草の者を多用して、筑前豊前の警戒に当たっていた。
「殿にだって絶対に必要だよ。そうさ、あの圧力は殿にしか発揮できない特殊な技能だが、一方が長ければもう一方はそうでない事もあるだろう」
「まあそうかも。由布殿は寡黙、お前は従順、十時殿は堅実、安東殿は廉直、これらの特徴を、殿はどれもお持ちでないのは間違いない」
筑前豊前での戦いの後、大友領は平和の中にあった。もちろん、前年に謀反が多発したのだから緊張は続いているが、とりあえずの安定を得ていた。
「殿は強引だから、今回、だいぶ敵を作ってしまったのではないか。心配だ」
「今更だよ。それに、あの殿がそんなこと気にされようか……強引と言えば、この度、義鎮公が九州探題に任命されたが、田北様や臼杵様も目に見える功績を上げておきたかったのだろうな」
「えっ、門司での勝利と、その後の和睦が評価された為の任命では?」
「馬鹿を言うな。将軍家に多額の金を貢いだからだよ。殿だって隠さずそう仰るだろ。安芸勢からして、将軍家とは親密なのだから、負けてはいかんはずだ」
平和が続き、争いが下火である以上、鑑連の出番は無い。豊後国内の不穏の種も、佐伯紀伊守追放をもって止んでいる。火の手を誰よりも先に察知して、鑑連へ伝える、これが今の近習らの役目であった。
「いずれにせよ、義鎮公ご本人の実力より、徳による任命と思った方が無理無い」
「殿は義鎮公を、侮っているのかな?」
「……擁立に力を尽くしてからそろそろ十年経つのに、殿はまだ老中筆頭ではないから。恩知らず!とは思っているのかもしれないね」
「理想的な主従関係とはとても言えないな」
先の戦いから半年以上経つ。備中も内田も、情報収集に専念しているが、平和が続くとだらけが生じ、戸次邸でこのような問答に興じる日々が続く。ふと備中、いつか書き出した老中衆の一覧を懐から取り出して眺め出す。
田北鑑生 筆頭、豊前北部担当
吉岡長増 豊後北部、豊前南部担当
臼杵鑑続 筑前、筑後担当
雄城治景 数合わせ担当
志賀親守 豊後南郡、肥後担当
戸次鑑連 粛正担当
「おや、懐かしい。この手の物は常に新情報を記すべきだろ。雄城様がついに引退されるぞ」
「聞いたよ。もう年齢が年齢だし、ここまで老中衆の均衡維持に功績があった、というところかな。空いた席には誰が就くのか、聞いてる?」
「それがしばらくは空席のままだと」
「へえ、適当な人がいないのかな」
「いや、今は後任を任命しないという決定を老中一同で決めたらしい」
戸次家も今や老中衆へ立派に名を連ねるに至り家臣たちも、耳聡くなっていた。
「考えてみれば有資格者は居るよね、高橋様、田原常陸様、吉弘様……」
「どれ、添削してやろう」
田北鑑生 鑑連の老中最下位を望む
吉岡長増 静観
臼杵鑑続 事態の急変を望まない
志賀親守 我関せず
戸次鑑連 上位者を引きずり落としたい
「ふん、これが本音かな」
「あーあ、適当な事書いて……しかし、身も蓋もないね。これが真実なら権力闘争勃発だよ」
「殿は何か仰ってるか」
「何も。今はたぶん、好機を探っているんだと思う」
その時なぜか、庭の烏骨鶏が鳴いた。備中と内田、二人して庭を眺める。何事も起こらない。
「備中よ、平和だな」
「今、高橋様が伊予を攻めているよ」
「あれは予行演習だから、やっぱり平和だよ」
「演習?」
「将来起こり得る赤間関攻めの」
安芸勢との和睦は必ずどこかで敗れる、と踏んでいる備中はその言葉に頷いていた。手にある文書をいくつか繰りながら、備中、心配事を呟く。
「もっと心配な情報もある」
「佐伯紀伊守の事か?」
「そう。あの方が伊予に亡命してもう三年。今回、敵方につかないといいけれど」
「佐伯の家臣は殆どが豊後に残留した。今の紀伊守には兵を動かす力は皆無。心配ない」
「……佐伯様といい、宗像勢といい、まるで信用できない安芸勢と戦うに必要な才能を、国家大友は次々に手放している。これで勝てるだろうか」
紀伊守との個人的な親睦から贔屓目を持つ己の浅ましさを自覚はしていた森下備中だが、それ以上に、有能な離反者の存在に、心を痛めていた。しばし無言の備中へ、内田は自信満々に語りだす。
「備中、人は専門性によって生きていると言ったな。それならば、水軍を新たに育てればよいのだ。それで解決……」
「簡単に言うなあ」
「今回の伊予攻めもその一環。田原常陸様が豊前で集めた水軍衆が要となれば、安芸勢との戦いで必ず用いられるはずだし」
成る程。だから今回主人鑑連にしては珍しく、伊予出兵には我を張らなかったのか、と得心の備中。
「ところで、なぜ高橋様が指揮をしたのだろうか。田原常陸介様ではなく。」
「……和睦がなったとはいえ豊前は未だ不安定だからだろ。筑前だってそうだ。田北様は門司に行かれたきりだ」
「殿が手を挙げなかったとはいえ、こういう時こそ、我らの出番だと思うなあ」
「我ら戸次家は陸での戦いでの決定打。殿も水軍など任せられてはご不満に決まってるさ」
「そういうものかな」
「ところで、さっきからのこんな会話、余所の武士たちもやっているんだろうか」
「うーん、多分してるよ。だって出世したいだろうから。こういう会話から出世の糸口を見つけていくのさ」
「備中殿、貴下は出世したいのかね」
この男は相変わらず露骨だ、と備中が顔を歪めた時、庭の垣根から一人の坊主が現れた。久々の石宗だ。
「やあご歴々。談義のお邪魔をしますよ」
「これは角隈様。頼もしいご活躍、聞き及んでいます」
「はっはっはっ!まあ、精進の日々ですな。そう言えば、野分が来ますよ」
「ええ?伊予の高橋勢は大丈夫かな」
「気合胆力優れた方ですから。安芸勢が出張って来ない以上、皆様の出番はないでしょう」
「安芸勢が出てこないと、何故ワカるのですか」
「ははっ、天がそう教えてくれるよ。備中、そなたにはワカらんか」
これ以上、うさんくさい天道の啓示を見たくない備中は、視線を外してそれ以上の会話を拒否した。石宗と内田の爆笑が響き始める。
ふと過去を振り返る森下備中。主人鑑連の悪事に加担して、十年が経った。今の自分を異なる視線で眺めてみると、その年月は苦労も喜びも、均しく散りばめられているかけがえの無い日々になっていた。お隣二人の大笑いを聞き流しながら、臼杵に集う情報をまとめ始めた備中。その分析を、主人鑑連に役立ててもらう。そこまでが自分の役割だ、と確かな自信を胸に、書類の処理を開始した。
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