殺人オルゴール②
翌朝、豊後高田署の狭い会議室の中に十数人の刑事たちが集まった。ホワイトボードに砂浜の上に横たわる茶髪の女性の遺体の写真が貼られ、刑事たちは中西署長の右隣に座る県警の須藤警部の顔をジッと見る。
「真玉海岸女性殺害事件の捜査会議を始める。今回は、大分県警捜査一課との合同捜査……」
「待ってください!」
厳つい顔の署長の声を遮り、所轄の刑事が意義を唱える。
「何だ? 矢方巡査部長」
「合同捜査なんて、納得できません。通報者の聴取を県警が行ったと聞きました。それは、豊後高田署の仕事です。なぜ、県警がしゃしゃり出るんですか?」
高身長の所轄刑事の方へ視線を向けた須藤涼風は、マイクを握った。
「身元不明の女性遺体が発見された案件を、県警捜査一課が捜査しない理由はありますか?」
その一言で矢方巡査部長は黙り込む。
「今回は、大分県警捜査一課との合同捜査だ。まずは事件の概要。小野警部補」
「はい。事件が発覚したのは、昨日の午後七時頃。通報者の話によれば、事件現場の真玉海岸を歩いていたところ、突然被害者の女性が倒れたそうです。被害者の身元を確認できるものは何一つ所持していませんでした。現場となった砂浜には複数のゲソ跡が残されています。遺留品は、壊れたオルゴールと被害者のものと思われるスマートフォン、包装された手作りのビーズのブレスレットが遺体の近くに落ちていました。それが包装されていたラッピング紙からは、2種類の指紋が検出されていて、その一方が被害者の物と一致しています。しかし、被害者の指紋や顔は大分県内の行方不明者のデータベースに登録されていなかったので、身元は不明です。もう一種類の指紋もデータがありませんでした」
「現場から、スマートフォンも見つかったのに、身元不明ですか?」
県警の女警部の問いに対し、その小太りの警部補は緊張しながら答える。
「はい。現場から見つかったスマートフォンは、海に水没していました。おそらく、犯人が被害者の携帯を海に投げ捨てたものと思われます。現在、鑑識が復元作業を行っています」
「因みに、壊れたオルゴールというのは?」
「ネジを巻いても、音楽が鳴らない、木製の物です。丁度、夕日が沈む撮影スポットの砂浜に埋まっていました。そして、現場を簡単な図にまとめてみました」
そう県警の刑事が発言した直後、ホワイトボードに大きな紙が貼られる。
「上部は周防灘です。被害者は周防灘の方向に倒れていました。その間の波打ち際に壊れたオルゴールが落ちていて、その近くでスマートフォンが水没していました。現場の砂浜からは複数のゲソ跡が見つかっていますが、その中には観光客のものも含まれていると思われます」
「小野警部補。その図の被害者に見立てたシルエットの近くに、一つの大きな円が書き込まれていますが、それは何ですか?」
「はい。被害者の近くに大きな円の跡が付いていました。事件とは関係ないかもしれませんが、そこから黒色の繊維が検出されたと鑑識から説明を受けました」
「分かりました。では、現場から銃弾は見つかりましたか?」
「いいえ。そのような物が見つかったという報告は受けていない」
右隣に座る中西署長が答え、須藤警部は、捜査会議に参加した刑事たちと向き合う。
「では、畠中検視官。検視結果を報告してください」
「はい。被害者の死亡推定時刻は昨日午後四時三十分頃。通報者の目の前で被害者が倒れた時間と一致します。死因は青酸カリによる中毒死のはずですが、胸に銃跡があることが気になります。被害者の司法解剖は本日の午前中に行われる予定です」
白衣を身に纏う細目の中年男性の報告を受け、須藤涼風は頷いた。
「分かりました。捜査方針を発表します。被害者の身元確認を最優先にし、早期解決を目指します。A班は現場周辺での聞き込み。近隣地域全ての防犯カメラ映像を入手して被害者の足取りを追います。B班は現場検証の再実施。おそらく、砂浜のどこかに銃弾が落ちているはずです。それを探してください。C班は……」
「納得できません!」
声を荒げ、須藤警部の話を遮った矢方は席から立ちあがった。
「矢方巡査部長。私の捜査方針に異論があるということですか?」
「そうだ。昨日、事件現場に臨場してから、俺たちは現場検証や現場周辺の聞き込みを行ってきた。それでも手がかりは見つからない。つまり、現場には手がかりは残されていないってことだ! そんなの無駄な捜査じゃないか!」
喧嘩腰な所轄刑事の顔を見てから、須藤涼風は机の上に用意されたリストを指でなぞる。
「B班所属、矢方巡査部長は、昨日現場を隈なく探したから、手がかりなんて見つかるはずがないと言いたいのですね。しかし、銃弾は現場から見つかっていないのも事実です。だから、もう一度現場を捜索する必要があります」
「待ってください。どうして、現場に銃弾が残されているって断言できるんですか?」
そう発言したのは三浦だった。県警刑事の援護射撃を受け、矢方は一瞬驚く。
「三浦巡査部長。簡易的な検視資料には、遺体の胸には弾痕が残されていたことが記載されています。犯人に射殺された被害者が、そのまま海岸を歩き、息絶えたとは考えられません。つまり、殺害現場はあの海岸ということです。即ち、現場に犯行の痕跡が残されていないとおかしい。遺体の第一発見者の証言と犯人が銃弾を持ち帰った可能性は矛盾します。これでも、現場を再捜索する根拠は薄いですか?」
須藤警部の冷たい目と自分の視線が重なり、矢方は鳥肌を立てる。
「……分かりました」
そう答えるしかできず、矢方は静かに着席した。
「C班は豊後高田市内のアクセサリーショップや雑貨店、手作り工房を回ってください。遺留品の手作りブレスレットは、被害者の身元を特定する手がかりになると思います」
「それでは、第一回の捜査会議を終了……」
中西署長の号令で捜査会議は終わるはずだったが、須藤涼風は再びマイクを握る。
「捜査会議終了の前に、全員に1枚の写真を配布します。彼女が現場に現れたら、捜査情報を与えないでください。仮に捜査情報を少しでも話したことが分かったら、捜査情報漏洩と見なして、監察官に報告します!」
このキャリア警部の発言に、捜査会議に参加した刑事たちは戦慄した。前方から送られてきた写真を受け取る三浦は目を大きく見開く。そこに映っていたのは、身元不明遺体の第一発見者で通報してきた謎の外国人、テレサ・テリーだった。
「彼女って確か……」
三浦の周囲がザワザワとしてきて、須藤涼風は咳払いする。
「静粛に。事件解決は警察の仕事です。県警と所轄が協力して、彼女のような素人が事件を解決する前に、犯人検挙する。それを目標に捜査を行います。それでは……」
捜査会議が終わろうとした時、突然会議室のドアが勢いよく開いた。そこから、鑑識の制服に身を包む女性が乗り込んでくる。肩まで伸びた後ろ髪をピンク色のシュシュでまとめたタレ目な女性は、頭を下げる。
「遅刻してごめんなさい」
「また、遅刻ですか? 捜査会議は終了しました。鑑識作業に戻ってください。吉永マミ警部」
遅刻してきた鑑識課の警察官を冷たい目で見た須藤涼風のことを気にせず、彼女は報告書を警部に差し出す。それと同時に、涼風の手元に会ったマイクを奪い、握った。
「これ、遺留品の鑑定結果。水没したスマートフォンは、科捜研に提出済みね。それと、壊れたオルゴールだけど、解体してみたら部品が粉々になってた。多分、勢いよく叩きつけたことによる衝撃で壊れたんだと思うよ。でも、現場からはその痕跡は見つからなかったから、オルゴールが壊されたのは別の現場ってことになるね。報告は以上!」
マイクを警部に返し、吉永マミは適当な席に座る。そんな彼女を三浦は横目で見ていた。見られていることに気が付くマミは、三浦に対し、ニッコリとした笑顔を見せる。
そうして、捜査会議は終わり、マミは三浦に近づく。
「現場で何度か見かけたことはあるけど、こうやって話すのは初めてだよね? 私は吉永マミ。こう見えて県警鑑識課の主任なんだよ。よろしくね!」
「はい。県警捜査一課の三浦良夫です。階級は巡査部長です」
「ところで、三浦君。キミってオンラインゲームに興味は……」
吉永マミの背後に、音を立てずに近づいた須藤涼風は、マミの右腕を強く握った。
「ほぼ初対面の警察官にオンラインゲームの勧誘しないでください。警察はゲームで遊ぶほど暇な仕事ではありません。それと、遅刻の理由はオンラインゲームですか?」
「正解♪ 今イベントやってて、徹夜してゲームしてたら遅刻しちゃった。まあ、正確に言うと、徹夜してオンラインゲームやった後、早朝から近所の公園で猫じゃらしを採取。それを手土産にして、科捜研に寄ったんだけどね。吉野所長が飼ってるバッタのアマノジャクくんがかわいくてね、餌をプレゼントしたら、喜んでたよ」
「そんなことだろうと思っていました。このことは刑事部長に報告するとして、そろそろ現場の海岸に急行して鑑識作業の再開をお願いします」
「遅刻の件は見逃してよ。お願い。昼は奢るから。現場の近くに定食屋があるから」
両手を合わせ願うマミの姿を見て、涼風は溜息を吐く。
「分かりました。今回は見逃します」
「やった。ありがと……あっ」
何かを思い出したように、両手を叩いたマミは、鞄からクリアファイルを取り出す。
「すっかり忘れてたわ。科捜研の鑑定報告書。今朝、科捜研に寄って、壊れたスマートフォンとの交換で受け取ったんだったよ。現場周辺の防犯カメラから、被害者の顔を抽出したから、それを捜査員全員にメールで一斉送信して、捜査に役立ててほしいってさ」
「その報告、遅すぎませんか? やっぱり、遅刻の件を刑事部長に報告……」
「ストップ、ストップ。じゃあ、スイーツ専門店のクーポン券もあげる。お願い、見逃して!」
そう言いながら、マミは財布からクーポン券を取り出す。それを見た涼風は目を閉じ、それを抜き取った。
「まあ、今回は見逃します」
「やった。ありがとね」
そう会話を打ち切り、捜査を開始しようとしたタイミングで、会議室のドアがまた勢いよく開いた。血相を変えて現れた刑事は、駆け足で須藤涼風警部に近づく。
「須藤警部。この事件の被害者の身元を確認したいという男性が署に来ています。一応、私も写真を見せてもらいましたが、被害者と顔がそっくりなんです」
「江藤巡査部長、分かりました。それでは、私が聴取します。あなたはその人を第二会議室に連れてきてください。その後は持ち場に戻って構いません」
「はい」
江藤は会釈してから警部の前から去っていく。その後ろ姿から視線を隣に立つ三浦に映した彼女は、部下に呼びかけた。
「三浦巡査部長。聴取に同席してください」
「はい」
元気よく返事した男性刑事は、女性警部と共に動き始めた。
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