夕食 at ファッファロンの宿付き夕食屋
夕食の時間である。誰が何と言おうとも。
と、そんなことをなぜ言い出したのかといえば、だ。
「まだ15時よねぇ」
だからである。
「仕方ないだろ、ここではそう決まってるんだから」
太陽はまだそこそこ高い位置にあり、とてもじゃないが『夜』には見えない。
「そうなのよ、悪いわねぇ」
レレという女店主が済まなそうに苦笑する。
「いやいや、その土地のルールに従うのが筋だ。それにお嬢はどうせ食うだろ?」
「それはもちろんよ! 任せて!」
どん、と胸を叩いてみせると、レレは、あっはっは、と豪快に笑った。
ここ、ビョック=フェルネはだいたい17時を超えると、気温がぐっと落ちる。今日のように日中の気温が高いほど、冷え込みも厳しく、恐らくは-30℃ほどになるだろうとのことである。
なので、島の人間はもう早々と夕食を済ませ、一歩も家から出ないのだ。
「それじゃ裏の山でメイン用の食材を狩っておいで。30分頑張って仕留められなかったら、声をかけてちょうだいな」
レレにそう言われ、レンタルの弓と矢を数本もらう。
初めてこの地にやって来た時、狩猟経験なんて0なのでもしかしたら1食もまともに食えないんじゃないか、と身構えていたのだが。ラッキーだったのは、このレンタルの弓矢が木製だったという点だ。
木製ということは、だ。
俺の意のままに操れるといっても過言ではない。
なぜなら俺は、
とはいえ、大物はなかなか仕留められない。
意のままに操れるというのは、百発百中と同義ではない、ということを付け加えておく。そりゃあ俺の思った方に飛んで行くさ。しかし、俺の思った方向で、常に獲物が待っててくれるわけではない。放った矢の進路を変えたりなんてことは出来ないのである。ひょい、と避けられたら終わり。この地は大物に限ってそんな危機察知能力に長けているのだ。悔しいことに。
だからまぁ、夕食も、キツネかウサギか、そんなところだろうと思いながら、重装備でさくさくと雪道を歩く。
「ねぇサル。私、出来ればクマが食べたいわ」
突然、お嬢がそんなことを言い出した。
「――クマ? それはさすがに俺一人では厳しいな」
「無理なの?」
「大きさにもよるが。矢だって、これじゃ無理だ。先端に塗る毒も足りないし、持ち帰るのには大型のそりが必要になる」
「そうなのかぁ……ざんねーん」
「まぁ確かに、ビョック=フェルネといえばクマが有名だからなぁ……」
「食べたかったわ、クマ……」
あぁ、お嬢がしょんぼりしている。
肩を落とし、目を伏せて。睫毛の先に氷の粒がついて、キラキラと輝いている。まるで宝石のようだ。
どうにか食べさせたいなぁ、クマ。
――待てよ。シロオナガグマなら、小型だからイケるかも。
「お嬢、シロオナガグマでも良いなら」
「シロオナガグマ! そうね、あれは小さいわね! 小さいけど立派にクマだわ!」
そういうわけで。
俺達はシロオナガグマを探しているわけだが。
さすがになかなか見つからない。時期外れなのだ。
シロオナガグマは名前の通り真っ白で長い尻尾を持っているのが最大の特徴で、それ以外の体毛は焦げ茶色である。雪の中ではかなり目立ってしまうため、こんもりと積もった雪や氷の中をその長い爪でかきながら移動する。
だから例えば、まっさらな雪原の中にもこもこと盛り上がった道があれば、それは彼らが通った跡というわけだ。
その『道』はそこらじゅうにあるのだが、肝心のクマがいない。
「困ったな。もうすぐ30分だ」
「レレさんにお願いする?」
「仕方ないな」
本当は俺が捕ったのを食わせたかったんだけど。
「とりあえず、戻ろう」
「そうね」
――と、回れ右、をした時だった。
見えたのだ。
雪原の向こうに微かな焦げのようなものが。
「サル?」
「――しっ。お嬢、しゃがめ。あそこにいる。まだ気付かれていない」
「……いるの? 私には見えなかったけど」
「いる。俺には見えた。いまも見えてる。――ほら、いまあの雪の山が崩れた」
「ううん、そう言われてみれば……どうかしら」
「お嬢、ほら、こっちだ。俺の指してる方を見て。ほら、あの小さな木のところ。その下だ」
「えぇ? ちょっと良くわからないわ。小さな木って言われても……。たくさんあるじゃない」
気付かれないよう、ごくごく小さな声で会話をする。
いるんだ、間違いない。確かに見えてるんだ、焦げ茶色の体毛が。
「違う、お嬢。そっちじゃない。こっちだ。赤い実が
ほら、と明後日の方向を見ているお嬢の頬を掴み、俺の頬にぺたりとくっつけ無理やり角度を調整すると、彼女は「むぃ」と妙な声を上げた。
「――み! みみみ見えたわ、大丈夫。大丈夫よ、だから、ももももうちょっと離れてちょうだい」
「な? いただろ? 待ってろ、必ず仕留める」
「そ、そそそそうね。お願いするわね」
何やらお嬢の顔が赤い。
もしかしたら凍傷になりかけているのかもしれない。これは急がないと不味いぞ。
「お嬢、ここで待ってろ。俺はもう少しだけアイツに近付く」
「お……オーケイよ……」
ゆっくり、ゆっくりと
チャンスは一度きり。矢は潤沢にあろうとも、この1発を逃せば、ヤツは絶対にもう戻ってこない。そしてそれを追い掛ける時間なんてない。
あともう少し、あともう数mで良い。
そうすれば。
届くんだ。
俺の矢が。
あと少し。
あと少し。
「いまだ」
――で、無事、仕留めたシロオナガグマを背に担ぎ、何やら急に動きが鈍くなったお嬢の手を引いて宿へ戻ったわけなんだが。
「はぁい、お帰りなさい。遅いから心配したのよぉ?」
「30分経って引き返そうと思ったら、獲物に遭遇したもんだから。――ほら」
「あら! この時期にシロオナガグマなんて珍しい! 丸々太って食べ頃ねぇ! ……で、そちらのお嬢さんはどうしたのかしら」
レレが心配そうにお嬢の顔を覗き込んだ。
お嬢は依然として真っ赤な顔で呆けている。
「凍傷だろうか」
「いや、違うわね。そういうんじゃないみたい。熱……? 風邪でも引いたかしら」
どぉれ、とレレが自身の額とお嬢の額をくっつけ、「んー?」と唸る。
「熱はないわねぇ。まぁ、ウチの温かいもの食べれば元気になるわよ。そろそろ熱々が食べられる頃だからねぇ」
そうだった。
朝から少しずつ慣らしに慣らして来たのだ。だから夕食では、アツアツのものが食べられるはずなのである。
それなのに、お嬢がこうなんじゃあなぁ。
「お嬢、お嬢ってば。どうしたんだ。寒さで脳まで凍ったのか?」
「ほ、ほほほほほほ……」
「ほ? 今度は『ほ』かぁ。ということはいつもの『呪い』だな。ちょいちょいかかるな、これ」
次の目的地を北東の奥の奥にしないかって提案してみようか。
あそこは有名な呪術師が住む集落があったはずだから、一度ちゃんと見てもらった方が良いだろう。それにあの辺りもまた美味いもんがあると聞いている。
「お嬢、おーじょーうっ!」
そう言いながら肩を軽く揺すってみるが、何とも反応が鈍い。やはり例の解呪法に頼るしかないらしい。
「オリヴィエ、おーい」
俺も慣れたものである。
とはいえ、やっぱりちょっと恥ずかしい……というか、何だか胸がざわざわする。
「――はぅっ! わ、私ったら、どうしてたのかしら」
「またいつもの『呪い』だ。俺はてっきりあまりの寒さで脳が凍ったのかと思ったが」
「脳が? 脳って凍るの?」
「さぁ? それかもしくは風邪で熱があるとか。―—でも」
そこで言葉を区切り、レレがそうしたようにお嬢の額と俺の額をくっつける。
「――――!!!!???」
「うん、やっぱり熱はないな。……って、お嬢? お嬢!?」
「ふぁ……ふぁふぁふぁふぁ……」
「えぇ!? また!!!???」
火の焚かれた温かい室内で、お嬢は茹であがったヨウノメロオオダコかギザギザハサミガニのように真っ赤な顔をしてぐわんぐわんと左右に揺れている。今度は部屋が暑すぎて茹であがってしまったのかもしれない。
が、やはり「ふぁふぁふぁ」と繰り返しているので、またも呪いがぶり返したのだろう。呪いが『ぶり返す』ようなものなのかはわからないが。
「オリヴィエ、落ち着いて」
背中をさすりながらそう言う。
ああもう、何だこれ。結構恥ずかしいんだけど。
「ふぁ、ふぁふぁ……ふぇ?」
「おぉ、戻った。良かった。さぁ、席に着いて。飯だぞ。せっかくお嬢のためにシロオナガグマを狩ったんだから」
「そうだわ! そうだったわね!」
「しかも熱々のが食べられるんだぞ。もう身体も慣れた頃だから」
「そうよそうよ! そうだったわよ! あっつあつぅ~のあっちあちぃ~、イェイイェ――――イ!!!」
お嬢は急に上機嫌になり、ウキウキと拳を振り上げている。その様子を見てレレは「あら、お客さん元気になったのね」と笑った。そこへ「レレ、出来たよ」と厨房から声が聞こえて来る。
どうやらここでも作るのは男性の方らしい。
「はいはい。お客さん達、いま運ぶからね~。ウチのモモがとっておきの作ったから。熱いわよぉ~? 美味しいわよぉ~?」
厨房とカウンターの間にあるカーテンから、ひょい、と顔を出したのはかなり若く見える男性である。
「美味しいよ~、僕のとっておき~。はい、レレお願い」
「ありがとう、モモ。さぁ~ってお客さん、準備は良いかしらぁ?」
「オッケー! もちオッケーよ! どっからでもかかって来なさぁ~いっ!」
ふはは、と鼻息荒くお嬢が返すと、レレは「勝負!」と言いながら、大きな鍋をテーブルの中央に置いた。
「お、おう……」
確かにこれは熱々である。
煮えているのだ。ぐつぐつと。
色はシロオナガグマの体毛よりもう少し薄めの茶色。とろみのあるシチューが、鋳物の鍋の中でぐつぐつといまも煮えている。
「はいはい、そのまま食べても良いけど……。これもあるからねぇ」
鍋の回りに次々と並べられるのは、ライスを潰して平たく伸ばし、パリッと焼き上げた『モチパ』と、多種多様のハーブに、下茹で済みの根菜である。
「モモ特製シロオナガグマのトンツコベルニシチューだよ。お好みでこっちの野菜やハーブにかけても良いし、こっちのモチパを浸しても美味しいわよ」
「香ばしくて、良い匂いねぇ~。これだけでも充分美味しそうなのに、さらにこの美味しそうなシチューに浸したら、もうどうなっちゃうのかしらぁ~!」
熱々の料理を前にお嬢はキャッキャととはしゃいでいる。
いざ! とレードルを入れ、自分用の取り皿によそう。
さすがにその取り皿の中では沸騰まではしないものの、それでも湯気はもうもうと上がっている。それを一匙掬ってふぅふぅと適温に冷まし口へと運ぶ。
「――んふっ! んふふふふふふ……」
お嬢がにんまりと笑う。あまりの美味さに笑みがこぼれてしまったようだ。
「おおっ!? 熱っ!! はふ、ほふ!」
「いやん、もう、絶品すぎるわ! このあっつあつぅ~!!」
「モチパももちもちのパリパリだ」
「ハーブもシャキシャキだし、お野菜達もねっとりホクシャキ~!!」
お嬢は一口食べる度に頬を押さえている。しかし、両手を使ってしまうと食べられないため、空いている手で片方ずつ押さえている。いやいや、あれは迷信だからな。
「もうぽかぽかを通り越して暑くなって来たわね」
食べ終えると、もう身体の中で石炭でも燃やしてんじゃないかと錯覚するかのような温かさ――いや暑さである。額の汗を手で拭っていると、モモが「どうぞ」と冷えたおしぼりを持って来てくれた。ありがとう、と受け取り、額に当てる。
「さぁて、締めは――」
レレのその声で、だらりと弛緩していたお嬢が、ぴん、と背筋を伸ばした。
そのタイミングで、どん、と勢いよく置かれたのは、キンキンに冷やされたジョッキグラスである。さすがに氷竜の鱗を使っているわけではないようだが。
その中に入っているのは、真っ赤な発泡酒のようである。
「ビョック=フェルネ特製『イクスタムの瞳』のソーダ割だよ」
「『イクスタムの瞳』……確かに!」
「そうだな。イクスタムは、皆、宝石のような美しい目をしてるもんなぁ」
「あらぁ、お客さんたら、褒めるのが上手。でもね、その台詞、他の女の子には言っちゃあ駄目だと思うわぁ」
あっはっは、と笑って、テーブルの上の食器を回収すると、レレは「ごゆっくり」と言いながら去って行った。
何だ、他の、って。
目を褒めたら駄目なのか?
そういや何日か前にヒミコ婆の目を褒めた時もフジシロに怒られたっけ。
「――お?」
よく見れば、お嬢がぷくりと頬を膨らませて俺を睨んでいる。いつの間にかジョッキは既に半分ほど減っていた。
「な、何だよお嬢」
「サルの馬鹿ぁ」
「はぁ?」
「私にはそんなこと言ってくれない癖にぃ!」
「はぁ? 何が」
「どうせ私の目なんてね! サルにとっちゃあ珍しくも何ともないんでしょうけどね!
「お嬢? え? 目? 目がどうしたって?」
「……ちょっとくらい、……褒めなさいよぅ」
お嬢は勢いよくしゃべるだけしゃべると、急に大人しくなった。燃料でも切れたのかと思うほどに。
成る程。
ここでやっと自分が失言をしてしまったのだということに気付く。レレの言葉の意味にも。
お嬢は寂しそうに目を伏せ、下唇を突き出している。
俺は目の前のジョッキを手に取ると、それを一気に喉へと流し込んだ。
かなり度数の高い酒のようである。胃の中の石炭はどうやら追加されたらしい。熱が、身体の中心から外へと広がっていく。それが頭にまで到達し、ぐらりと視界が揺れた。
あっという間に空になったジョッキを端に寄せ、肘をついて、ずい、と身を乗り出す。
「……お嬢」
「な、何よう」
「きれいだよ、お嬢」
「ふん! いまさらだもん!」
「口にするのが怖かったんだ」
「――は? どゆこと?」
「独り占めしたくなるから。俺だけを見ろって」
「な? なななな……!!」
「お嬢は、俺だけの宝石だよ」
「もっ! もう良いから! わかった! わかったわよ、降参!!」
――――――――
――――――
――――
――
などというとんでもなく恥ずかしい夢を見た。
レレに揺り起こされ、10分ほどで目を覚ますと、目の前には、夢の中と同じように真っ赤な顔で天を仰いでいるお嬢がいた。
どうした、お嬢。飲みすぎじゃないのか?
【夕食:ファッファロンの宿付き夕食屋】
シロオナガグマのトンツコベルニシチュー
・モチパ
・ハーブ(ムコネルスタ、コトトミント、エウロパッセ)
・根菜(ぺパイスニンジン、ネカブオニオン、ホックイポテト、グリーンリーディッシ)
イクスタムの瞳のソーダ割
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