夜食 at ホテルコンツィアナ地下売店

「ほんとさぁ、何でなんだろうね」


 ずらりと並んだ商品を端から端までゆっくりと眺め、お嬢はそう呟いた。


「ほんとにな、何でなんだろうな」


 まったくもって同感だ。


「まさかあれだけ食べたのにもう小腹が空くなんてな。魔女の胃袋って一体どうなってんだよ」

「それね、私の方が知りたいかな。案外自分のことってわからないものよ?」


 そんなことを言いながら、俺が持っている(正しくは)籠の中に次々とパンやら菓子やらを放り込んでいく。それを検分して不要なものをこっそり戻すのが俺の役目だ。うん、菓子は駄目だ。


「こんなもんかな」


 と言って、お嬢は俺を見てから籠に視線を落とした。けれど、明らかに量が少ないことに気付いたのだろう、「あれ?」と首を傾げている。


「もう良いだろ。あっちで食べられるらしい。会計してくるから、お嬢はそこで待ってろ」


 これ以上ここにいられても籠が重くなるだけだ。まぁ軽くするけど。

 お嬢は「ふぃーす」とか言いながら、それでも大人しく奥にある小さなテーブルへと向かう。お嬢の胸の高さくらいのテーブルで、長居するためのものではないのだろう、椅子はなかった。


「随分な別嬪さん連れてるじゃないか。羨ましいねぇ」

「まぁな」

「結婚は? これからかい?」

「結婚? 結婚かぁ……。俺がどう思ってても向こうにその気がないんじゃあな」

「何だ兄ちゃん、奥手かね。良いかい、女ってぇのは押しに弱い生き物なんだ。ガッと引き寄せてだなぁ、そんで、ギュッて抱き締めるわけよ。そんで、チュッてしちまえば良いんだよ」


 御丁寧に店主はジェスチャー付きでそれをレクチャーしてくれた。すなわち――、


 『ガッ』と、何かを引っ張り、

 『ギュッ』と、を真正面で抱き締め、

 『チュッ』と、口を鳴らしつつ、に唇を付ける。


 という。


「ガッと引き寄せてギュッて抱き締めて、チュッ、か……。まぁ参考にしとく」


 果たしてそんなこと出来るんだろうか。

 まぁ、そのチャンスが巡ってきたら、かな。


 支払いを終え、お嬢の待つテーブルに着く。

 彼女はテーブルに突っ伏して「ぶえぇぇぇええ」と唸っている。たぶん空腹で仕方がないのだ。


「ほら、お嬢。えぇと、揚げ物の挟まったパンと、果物とクリームが乗っかったパンと、刻んだ果物と砕いた氷のシェイク、真ん中に豆のペーストが入っている餅に、食用の花束と――、あと、これは俺の飲み物」

「なぁによぉ、サルが買ったの飲み物だけなの?」

「まぁ俺はそんなに腹減ってないから。あぁでも、花は少し食いたいかも」

「そんじゃ、はい、これはサルちゃんの分」


 そんなことを言いながら、お嬢は花束の中から5本ほど抜きとると、それを俺の前に置いた。青が2本、透き通るような薄い緑が1本、薄桃色と白が混ざりきる一歩手前のやつが2本だった。

 俺は緑色の花弁を1枚ちぎって口に入れた。癖のある青い香りが鼻から抜ける。噛めば噛むほど清涼感のあるピリッとした辛みが襲って来る。これは食後の口臭を消したり、胃のもたれや胸やけを解消する薬花やっかの一種だ。だからまぁ、いま食べる必要はないんだが。好きなんだよなぁ、これ。


 お嬢はその分厚い揚げ物が挟まったパンをどうにか一口でかぶりつこうと、顎が外れんじゃねぇかなってこっちが心配になるほどの大口を開けている。いやいや、まず多少潰さないと無理だろ。どう見たって。いや、角度を変えたらイケるとかそういうもんでもないから。ほら、口を開けたまま顔を振るな。よだれが垂れてる垂れてる!



「ねぇ、サル。今日も楽しかったね」


 パンを2つぺろりと平らげたお嬢が、シェイクをストローでずずぅと吸いながらそんなことを言う。餅は半分こすることになった。


「楽しかったな。今日も」

「ね! 楽しかったし、美味しかった!」

「それは良かった」


 お嬢のストローからズゴッという音がした。それに合わせて、お嬢の身体がびくりと震える。あぁこりゃ、果実が詰まったな。


「ねぇ、やっぱりさ。浮島って、違うもん?」

「違うって?」

「だって知らないことばっかりなわけじゃん? 新鮮だったんじゃないのかなぁって」

「うん、まぁな」

「案外おろおろしないのねぇ、浮島でも」

「ご期待に添えられなくて、悪かったよ」

「別に責めてなんかいないでしょ。良いの、夕食の時のサル、可愛かったから」

「かっ……! 可愛いわけないだろ! あんなの!」

「あっはは~、こういうトコも可愛い~。良いでしょ、私がそう思ったんだから」

「……まぁ、良いけど」


 畜生。敵わん。降参だ。


 降参ついでに、と俺は口を開いた。


「――浮島の植物達は、教えてくれるんだよ」

「教えてくれる? 何を?」

「俺達の『知らないこと』を」


 俺は薄桃色の花弁を3枚ほど口に入れ、軽く噛んでから茶を口に含む。口中に広がる花の香りともったりとした甘さが、茶の渋味と混ざり合う。


「浮島に来る樹人っていうのはもう根で大地に繋がってないからな、情報を得るとすれば食べるか飲むかした時だ。根を張るもの達はそこで――樹人の腹の中で歌い出すんだ。自分達の名を、生い立ちを、祖先や子ども達――自分達がどこから来て、どんな命を繋いでいくのかを」

「へぇ~。それで何やらぶつぶつ言ってたのね、サルってば」

「植物達が浮島のことを隠していたのは――」

「うん」

「俺達樹人に断固として情報を渡さなかったのはさ、隠して来たのはさ、言うなれば、アレだ。もったいぶってたんだ、究極に」

「究極に?」

「そう。俺達樹人が――世界のことを何でも知ってるような俺達が、未知のものに遭遇した時に、その驚きや感動が何倍にもなるようにって。たったそれだけのことのために、あいつら、何千年も結託してやがった」

「そうなんだ」

「俺達にとって、『知らないこと』っていうのはかなり貴重なんだ。何せ俺達は知りたくないものを何千年も聞かせられてるからな。しかも自分達ではその根を断ち切れない。止むのは一方的に眠りにつくわずかな時間だけ。それで勝手に何でも知ってるようになってしまう。っていっても、根を張るものの生態とかその辺りのことに偏ってるけどな。まぁ、長い人生だし、これくらいの謎がないと退屈なんだよ」


 産まれてすぐは良いもんだ。その場から一歩も動けなくたって、退屈しない。絶えず誰かのおしゃべりが聞こえるんだから。だけど、そんなのは100年もすれば飽きる。だからもう良い加減嫌になって『魔女』を待ち望むようになる。

 自分達の寿命を縮める魔女を、だ。そんな死神と同義の生き物を焦がれるようになる。永遠の命なんてものを捨ててでも、この、情報の森から逃げ出したくなるのだ。


「そうね。そう言われると、まぁ有難迷惑……なのかしら」

「1000年も経てばもうかなり諦めの境地なわけよ。稀に魔女が来てくれたって、引っこ抜かれるのはどうせ樹齢4、5000のヤツらばかりだ。自分にはまだまだ番は回ってこない。それでもどこかでほんのり期待しながら、聞きたくもない歌を聞かされ続ける。だけどどこかのタイミングでぽろっと誰かが口を滑らせる。『世界には、浮島という樹人の知らない場所がある』って。俺達にとっては宝島みたいなもんだ」

「その割には大して嬉しそうにしてなかったじゃない」


 痛いとこをつかれた、と思った。


「それは、だって――」

「だって?」


 嬉しかったさ、本当は。

 そりゃあ飛び上がらんほどにな。

 だって、夢にまで見た浮島だ。

 未知の島だ。

 

 だけど。


「……あんまりはしゃいだらみっともないだろ」


 ぽつり、とそう白状する。

 だってそうだろ。

 どんな時だってどっしり構えていないと。

 浮足立ってたら、有事にお嬢を守れない。

 

「……サル、お顔が真っ赤よ」

「……うるさい」

「サルの一番可愛いところはその素直さね」

「……うるさい」

「そんで、その次は、そうやってすーぐ顔が赤くなるところ。んもう、可愛いんだからぁ」


 お嬢はうんと悪い顔をして、ぎひひ、と笑い、俺の鼻の頭を突いている。

 

 俺は、そのお嬢の手を取った。


「ちょ、何?」


 その手をぐい、と俺の方に引き寄せる。


「――おぇ?」


 無防備だったお嬢の身体は案外簡単に俺の方へと倒れてきた。

 テーブルに手をついて持ちこたえれば良いだろうに、彼女はそれをしなかった。いや、咄嗟のことで、それが出来なかったのかもしれない。

 とにもかくにも、お嬢は「ぷぎゃ」とか言いながら、俺の胸の辺りに鼻から衝突した。


 えぇと、これが、まず『ガッ』だろ? 

 それで――、


「ちょ、ちょちょちょ、サル? サルメロ? ちょっとぉ?!」


 こうやって抱き締めてみると、何かお嬢ってものすごくちっちゃいのな。お嬢の身体には空を飛ぶ時に触れるけれども、その時は背中と膝裏くらいだからなぁ。

 こうやって真正面から抱き締めるというのは、かなり新鮮だ。

 いっつもすとんとした緩めのワンピースだし、背中になんてほとんど肉もないから、もっと全身ガリガリの痩せっぽちかと思ってたんだが、案外前面には肉がついているようだ。

 きゅ、と軽く力を入れてみると、それに抗うように跳ね返す弾力が腹の辺りに伝わってくる。しかし、やはり背中の方にはそれがない。どうにか肉をつまんでやろうとするものの、服が滑るからか、上手くいかないのだ。


「……サルメロ? あなた何か私に失礼なことしてるんじゃない?」

「何もしてないぞ?」

「嘘。さっきから背中の肉をつまもうとしてるじゃない」

「何だ、これって失礼なことなのか」

「あったりまえでしょ! レディの背中の肉をつまむなんて! 言っときますけどね! 私まだ背中に肉なんてつかないんだから!」

「それは失礼した。でも、それじゃ、いまのこの状況は失礼じゃないんだな?」

「え……?」


 いまの状況、というのは、つまり、お嬢が俺の中にすっぽり収まっている、という状況のことだ。


「ま、まぁ……これは……許容範囲、かしら」

「良かった」


 お嬢は俺の胸に顔を埋め、ふごふごと言った。少々くすぐったい。


 というわけで、『ギュッ』も完了した。

 となると、後は、『チュッ』になるわけだが。


 困った。

 お嬢のどこに『チュッ』をすれば良いのだろう。

 あの店主のジェスチャーの感じだと、俺はお嬢の頭の上、この、何も無い空間に『チュッ』をすることになってしまうわけだが。


 困った。

 どうしてこういう知識はないんだ。

 どうして植物達は『チュッ』をしないんだ。


「サル?」


 お嬢の頭が、もぞり、と動く。

 

「どうしたの?」


 そんなのん気な声を上げながら、俺を見上げている。

 熱いのか、その顔は真っ赤だ。おかしい。酒は買ってないと思ったが。

 あぁ、もしかしたら、酔花すいかが混ざってたかもしれないな。初夏の花束だから酔花の1本くらいは入っていてもおかしくはない。


 まぁ、良いか、ここでも。


 そう思い、無防備にさらけ出されているその丸い額に唇を付けた。


「んな??! ななななななな…………!!!!!!?????」

「――うぉ? どうした、お嬢」


 お嬢はゴルバトラズオウムのようにひたすら「なななななな」と繰り返した。

 どうした急に。

 言葉を忘れたのか?

 困ったなぁ、これからどうやって意思の疎通を図れば良いんだ。


「なななな……ななななな……!!!」

「お嬢、顔の色が尋常じゃないぞ。ピアスの色よりも赤い。大丈夫か?」


 お嬢の耳に揺れる、スノウピオニーの花弁のピアス。俺が一番好きな花。満月の晩に、ふわりと桃色に色づいたその花を、一番美しい瞬間に摘み取って作ったものだ。

 その花弁の色よりも、お嬢の顔はずっとずっと赤い。


「困ったなぁ。『ななな』しか言わなくなっちまったし、顔も真っ赤だし。もしかして、何かしらの呪い? 店主め、あの野郎、俺に一体何を教えたんだ。――お嬢、ちょっとここで待ってろ。いま店主に解呪法を確認してくる」


 そう言って、お嬢の身体から離れようとした時――、


 今度はお嬢が『反撃』に出た。

 

 俺の背中に腕を回して、ありったけの力を込めてきたのだ。


「――ぐぇ。ちょ、お嬢苦しい」

「…………」


 それも無言で。

 もう『なななな』すら言わない。


「お嬢? お嬢ってば。何だよ。言語に変わる新たなコミュニケーション法か? とりあえず結構苦しいんだけど」

「…………」


 もしかして力の入れ具合とか、手の触れる位置とかで意味が違って来るのかもしれない。熱帯地方の密林地帯に住む部族が確かそんな意思伝達法を使用していたような気がする。


「……サル、もう許さないから」

「うぉお!? お嬢がしゃべった! しゃべれるのか!?」

「しゃべれるに決まってるでしょ! もう、酷い!」

「何が!?」


 まぁ、確かに何かしらの呪いをかけてしまったかもしれないが、それはあの店主に騙されて……って、それを鵜呑みにしたのは俺だけど。そうか、やっぱり俺が悪いんだな。


「仕返し! ちょっと屈みなさい!」

「え? 何?」

「黙らっしゃい! 目ぇつぶれぇー!」

「何? 怖っ!」


 何だろ。

 何されんだろ。

 ビンタかな。それともグーかな。

 それとも魔女らしく魔法で何かするとか?

 あーでもお嬢は俺が魔力を増幅してやらんと使えないし。

 てことは何? 俺は自分自身に制裁するために魔力増幅させんの?

 えー、やだなぁ。

 でもまぁ仕方な――……


 ――ふに。


「――――む????!!!!」


 唇に感じる妙な温かさと柔らかさに驚いて目を開けてみれば、正に目と鼻の先に――、


 お嬢の顔があった。

 ぎゅっと目をつぶって、これまた真っ赤な顔で。


 ちょ、ちょちょちょちょちょちょ……?!

 何これ……!!!


「おっ、お嬢! 近いな!」


 慌てて唇を離すと、お嬢は怒ったような顔で、でも、そこまでは怒ってないような顔で、「ふん」と口を尖らせた。


「先に仕掛けたのはサルなんだから」

「はぁ? 身に覚えないんだけど」

「ないわけないでしょーがっ!」

「え~? あ! あぁ、あった! ごめん、やっぱりあったわ。さっきのだ。いまのびっくりで吹っ飛んでた」

「しっかりしなさいよね、もう!」


 2人同時に大きく息を吐き、吐き出した分だけ酸素を吸う。

 そしてから、熱を冷ますように各々の飲み物を手に取った。

 俺の方の氷はすべて溶けきってしまっていたが、お嬢の方は主成分が氷みたいなもんだから恐らくまだ冷えているはずだ。

 そんなことを思いながら、温くなった茶をごくりと飲む。しかし、お嬢は、というと――、


「んっ? んんっ? ん――――っ!!」


 どうやらまだストローに果実が詰まっているらしい。

 真っ赤な顔で悪戦苦闘していた。




【夜食:ホテルコンツィアナ地下売店】

 総菜パン(トグナペコのパドムヴィウ揚げとフデニフィ地区産フリフリ葉野菜)

 デザートパン(オコウハゥの実とポルホイップクリーム)

 トト豆大福(グプコプ餡、トリクルミ入り)

 刻みペコナツパインゴーとクラッシュアイスのシェイク

 クーベルベルベルンのつぶつぶもったりジョガジョガティー

 食用花束~初夏のすっきりアレンジ~



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