1日目 港町シュテンフタムからトッヘルラン島へ
大食い魔女、森を出て北西の港町に降り立つ!
朝食 at サロンパルタールカフェ
「うっはぁ、これはたまらんわぁ!」
くぅぅ~、と目を細め、紙ナプキンで口を拭う。それをくしゃりと丸めてテーブルの端に置き、グラスに並々と注がれているワインをごくりと飲んだ。
「相変わらずの食べっぷりだなぁ、お嬢は」
「ぐひひ。だってさぁ、美味しいんだもん。この……えーと何だっけ。これ」
そう言いながら、ほぼ欠片しか残っていない皿を指差す。
「これはナヤマホユカハチノコのトルネードオリーブ和え、だったかな」
「あー、そうそう、それそれ」
「それそれって、食べたらすぐ忘れるくせに」
「うへへ。そのためにサルがいるんじゃん? 記録、よろしくぅ」
「へいへい」
俺は胸のポケットから手帳を取り出すと、今日の日付が書かれたページを開いた。そして、手帳カバーのベルトに刺さっているペンを抜き取り、それをさらさらと走らせる。
【朝食:サロンパルタールカフェ】
ナヤマホユカハチノコのトルネードオリーブ和え
シュテンフタムクラゲの香草焼き
ネムリクジラのヒゲパスタ
エヴァリンゴの紅色ワイン
「この後の予定は?」
「そうだなぁ、市場を回ってみよ。屋台も結構出てるみたいだし」
「うへぇ、まだ食うのか」
「まだまだ食べられるの、私は」
結構な量を平らげたはずなのだが、驚くべきことにお嬢の腹にはまだ余裕があるらしい。年頃の女というのは食事の量を抑えて体型維持に努めるものと聞いていたのに……。まぁ、それは年頃の女の話であって、魔女の話ではないから、お嬢には該当しないんだろう。
「サルは別行動でも良いよ」
さらりとそう言って、デザートのメニューに手を伸ばす。
「良いのか?」
「攫われたり、脱走しなければね」
「俺が脱走なんかするわけないだろ。それに攫われる……かなぁ」
「絶対にされないとは限らないんじゃない? 森の外にいる
「言われてみれば。でも、まぁ大丈夫だろ」
「その自信があるんなら、お好きにどうぞ。3時間後に広場の花時計前で待ち合わせね」
「わかった」
俺と魔女のオリヴィエが最初にやって来たのがここ、シュテンフタムだ。
シュテンフタムは人口5万程度の港町で、先の料理にも出て来たシュテンフタムクラゲとネムリクジラで有名な――というか、それくらいしかアピールポイントのないところである。
ここでしかとれないシュテンフタムクラゲは子どもの手のひらにおさまってしまうほどの小さなクラゲで、脳にかなり強い毒がある。同じくらいの大きさの魚なんかはいちいち捌かずにそのまま焼くか揚げて食べたりするものだが、こいつの場合、そんなことをしたらエライことになってしまうのだ。とはいえ、こいつらを補食するネムリクジラの方ではその毒を分解する酵素を体内で生成することが出来るため、何の武器にもなっていない。
その上、頭頂部に切り込みを入れ、その中にリンガパセラというハーブをぎゅうぎゅうに詰め、3日ほど塩漬けにするとその毒もきれいに抜けてしまう。最早、何から自衛しているのだろうか。
「おやぁ、兄ちゃん。もしかして樹人かい?」
お嬢と別れて食べ物屋台から外れたところにある骨董屋を覗いていた時だった。
もじゃもじゃと顔中に髭を生やした――辛うじて目鼻口が露出しているが、それ以外はすべてごわごわの縮れ毛に覆われている――ナヤマホユカ族の男に声をかけられた。
腰のベルトに取り付けられている虫籠の中には彼らの重要な収入源であるハチノコがぎっしりと詰められている。恐らくそれを売るために山から降りてきたのだろう。
彼らは森深くに居を構えることから、森林の民などとも呼ばれていて、俺達樹人の仲間と思われているらしい。自信満々にそう断言している学者なんかもいる。
とんでもない。
俺らからすれば、こいつらはただの無法者だ。
ただただファームと呼ばれるハチノコ採取場を拡大して儲けることしか考えていない。どかどかと土足で――まぁそれは当たり前なのだが――俺らの森に侵入し、まだ若い樹木達に傷を付けながら無許可でハチの巣を設置していくのである。俺らの長にこっぴどくやられても学習しない。ほとぼりが覚めたと思った頃に何度もやって来るのだ。
「だったら何だ」
ぎろりと睨み付ける。
森にいるナヤマホユカ族は基本的に群れで動く。だから俺達に対してもかなり強気に出られるのだが、どういうわけだが街に降りる時は単独行動をするのである。それは恐らく、稼ぎを独り占めしたいからだろう。本当に浅ましいやつらなのだ。
ハチから身を守るために粘膜を除く全身に固く縮れた毛がびっしりと生えているナヤマホユカ族は、見た目のインパクトの割に案外力も弱く、身体も小さい。単体で遭遇しても全く脅威ではない相手なのである。
「そう睨むなよ。同じ森の仲間じゃねぇか」
「お前らみたいな卑怯者と仲間になった覚えはないね」
「ちぇー、言ってくれるなぁ。いや、そんなことよりよぉ、なぁ、買わねぇ? ハチノコ」
「いらない。もう食った」
正直にそう言うと、ナヤマホユカ族の男は両手を上げて左右に跳び跳ねた。
「そうかそうか! 食ってくれたか! いやぁ、今年のは特に味が良いって評判なんだぜ!」
顔中に髭が生えているせいで、こいつらは喜怒哀楽が伝わりづらい。そのため、動きがいちいち大きいのだ。
「お嬢も美味い美味いって食ってた」
「そうかそうか! どうだい、お嬢様にお土産でも。最近、こんなのも作るようになったんだ」
男はベルトをぐるりと回して、背中側にあった大きめのポーチを腹の方に移動させると、その中から小瓶を取り出して見せた。
「ジャムだ。パンに塗っても良いし、意外とサラダにも合う」
「ふぅん。甘いのか?」
「甘酸っぱい。舐めてみるか? それは試食用だから」
「どれ」
瓶を開ける。
黄金色のとろりとした液体の中に、みっしりとハチノコが詰まっている。長時間煮込まれたからだろうか、ハチノコは本来の鮮やかな色を失ってしまっていた。
「砂糖を使ってるのか?」
くん、と嗅いでから、人差し指でほんの少し掬いとる。ぺろりと舐めてみると、しつこくない甘さにほど良い酸味がある。
「いいや、甘味はハチミツだ。砂糖よりも断然相性が良い」
「そりゃそうだろうな。この酸味は?」
「デンドラレモンの果汁と皮をすりおろしたものを使ってる」
「デンドラレモンかぁ。成る程成る程。しかし、何でこんな色になったんだ」
「レモンと煮込んだらこんな色になったんだよ。ハチノコもすっかり色が抜けちまって」
「ふん。味は良いが、色がこうなるんじゃ致命的じゃないか。お前らのハチノコは鮮やかな虹色ってのが特徴だからな」
「そうなんだよ。だからこうして売れ残ってるんだ。なぁ、頼むよ。せめて1瓶でも売れねぇとさ」
男は、なぁ、なぁ、と情けない声を出しながら何度も頭を下げる。
こいつらには個人的に結構な恨みがあるわけだが、しかし、このジャムの味は良い。お嬢は確実に気に入るだろう。
「何瓶残ってるんだ」
「あと5瓶」
「何個持って来て?」
「ご、5瓶……」
「一個も売れてないのか」
「みーんな色見ていらねぇって言うんだよ。味見すらしてくれねぇ。どうせやっすいコジコハチノコでも使ってるんだろうってな。冗談じゃねぇ。確かに色が抜けちまうとそう見えなくもねぇが、あんっっっっな味も食感もいまいちなハチノコ使うなんてナヤマホユカのプライドが許さねぇんだって!」
確かにまぁそうなんだろう。
こいつらはこれで案外プライドが高い。自分達のハチノコこそ至高、と信じて疑わないから、品種改良なんてことも一切行わない。他の品種と混ぜるなんて以ての外なのだ。
「でもお前が一人でそんな声を張り上げたところでなぁ」
「そうなんだよ。お客はさ、この毛むくじゃらが持ってくる虹色のハチノコにしか興味はねぇんだ。でも、これ結構手間も金もかかってるんだよ。これっきりで辞めるにしても、とりあえず元は取りたい」
「がめついやつめ。まぁでも良いよ。お前らの所業は許せないけど、でも、このジャムはお嬢が好きな味だ。3割まけてくれるんなら、5瓶全部買ってやるよ。それでも元は取れるんだろ?」
「お前も抜け目ねぇなぁ、樹人よ。ギリギリだが背に腹は代えらんねぇ。3割まけてやる」
ナヤマホユカの男は降参とばかりに両手を上げ、首を横に振った。こんな余裕のあるジェスチャーをするということは、恐らくそこまでギリギリではないのだろう。まぁ、別に良いけど。
「とりあえず、俺らの森にはもう来るな」
「わかってるって。お前んトコの長老さんおっかねぇんだもん。別の森にするさ。樹人がいねぇ森にな」
「賢明な判断だな」
毛むくじゃらの手の平に紙幣と貨幣を置くと、男は「毎度」と言って、やたらと色艶の良い唇をほころばせた。
【手土産:ナヤマホユカハチノコとデンドラレモンのジャム】
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