満足なエルフィン
雪下淡花
第0話 饗宴
夜の闇を打ち消すかのような無数の松明の灯火が、煉瓦の町並みを朱(あか)く染める夜。
十日にも及ぶ祭典を経てなお、人々の熱気は冷め遣らない。むしろ日に増して加熱する勢いであった。
オムニバル。狂食祭(きょうしょくさい)と名付けられたこの宴も十日目を迎えてやっとメインイベントへと運ばれることとなった。
開かれた庭園を訪れた者は皆、テーブルいっぱいに盛り付けられた料理を眺めたまま垂涎している。誰もが、今にも肉に飛び付かんばかりの勢いを抑えながら開式の辞を待っているのだ。
やがて屋敷のバルコニーに男が現れた。この土地の権力者であることは、そのいかにも荘厳な佇まいからも想像に難くない。
早く喰わせろ。男に集中する視線はどれもそう語っていた。
男は今宵の食材を引き連れて民衆がよく見える位置へと一歩前に出た。それはつまり民衆からも彼の姿がよく見えるということでもある。
「我らは」
男は唐突に口を開いた。
「古代種が抱えた罪と罰をすべて乗り越え、今ここにいる」
それは何度も繰り返されてきた文言である。オムニバルの歴史を語ることで人々の日用の糧に感謝するという意味が込められている。
「かつて人々はその生命を育み永らえる為、故人の知恵と勇気と力を得る為、権力を継承する為、愛する者との別れを惜しむ為、共に人肉を喰らい、そうして歴史を紡いできた」
力強く、男は唱える。
「我らは何故、同種である人の肉を渇望したのか。海を隔てた大陸の賢者でさえ、その解を求めることはできないだろう。だがしかし、我らの喉の渇きを満足させるのは常に人の肉であった。時に我らは人の肉を喰らうため国を滅ぼし、時に我らは人の肉を喰らうため死者の墓を暴き、時に我らは人の肉を喰らうために子を産み育てた。それが罪」
男は拳を強く握る。しかしそれに気付くほどの者もいない。
「だが、人の肉を食した者の肉は、我らにとって猛毒となりえた。そう、共食いを重ねることで不治の病であるジク病に常に蝕まれてきた。それが罰」
男の演説を誰も聞いていない。聞いているとすれば、彼の隣にいる食材ぐらいであろう。
男はさらに続ける。
「しかし、神は我らに救いの手を差し伸べた。そう、エルフィンの発見である。エルフィンは我らに未来を与えた。食糧問題、それによる戦争、そしてジク病。これらすべてをエルフィンはその血肉を以て我らから遠ざけたのである。彼らは幸いにも我らと同じ存在であった。稀少種族であるがゆえ、我らよりも遙かに高い知能を持ちながらも飢えと共食いにより血筋を途絶えようとしていた。そこで我ら人間の祖先と彼らエルフィンの祖先は契約を結んだのだ。誇り高き彼らの血統を永らえさせてその数を増やすことを条件に、彼らは我らに血肉を捧げると。
それ以来我々はエルフィンの恩恵を忘れる事がないように毎年の春にオムニバルを始めたのだ。ここに集った諸君も毎年この季節にはエルフィンを食している事だろう。今や共食いによる滅亡の危機は消え失せた。さあ、諸君。ともに祝おう。そして感謝しよう。神からの授かり物であるエルフィンを大いに喰らおう」
男は熱く拳を天に突き上げた。
そしてそれが合図となった。
人々はいっせいにエルフィンの肉にむしゃぶりついた。
庭園はエルフィンの鳴き声で満たされた。
バルコニーの男は階下の狂乱を眺めたが、食欲に狂う民衆たちの姿など面白くも無かった。
視線を横にずらす。彼の隣に立つエルフィンは眼前に広がる狂気を、涙を湛えた瞳で見つめている。彼に粗相がないようにと震える足をおさえながらしっかりと両脚で立っている。外見から推測される齢は、人間にしておよそ十五ぐらいだろう。気丈に振る舞っているようだが、人間のものとは明らかに異なる細く長く尖った耳が恐怖によって伏せられていた。
自分の状況をわきまえた、すばらしいエルフィンではないか。
彼がそのエルフィンの肩に手を置き、見つめあった時間は二秒。
よく潤った両目から美味しく戴くことにした。
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