#26

 ニューヨーク、バッテリー・パーク。

 アッパー湾を臨み、友好と自由の名を冠した女神を前にした二人の男は合間に人一人分ほどの隙間を開けて同じベンチに座っていた。


「頼みって言うのは?」


 青いシャツにカーゴパンツを穿いただけ、簡単にセットしただけの頭は所々ブロンドの髪が飛び起きようとしていて、出かける為の装いをしている訳では無いことが一目で分かるその人物はスパイク・アーノルド。


 購入したコーヒーの入ったカップを口に運びながら彼はちらと横目を向ける。その先にいるのは先ほどから行き交う人々の関心を惹き付けて止まない大男ことウォーヘッドだった。


 スパイクは他ならないウォーヘッドに呼び出されて今ここに居る。魔法によって姿を普通の人間に偽装しているウォーヘッド、とは言えその体格まではどうにもならないのか決して小柄ではないスパイクを二回り以上越える体つきはまさに熊のようで、そんな様相でありながら彼が飲んでいるのはうんと甘くしたココアだというのだから、自然とスパイクの口から溜め息が零れた。


 彼の問い掛けに対し、指二本で摘まんで持っていたカップを下ろしたウォーヘッドは彼方を見詰めながら告げる。


「娘の……ミュールの事を頼みたい」


 それを聞いたスパイクは怪訝そうな顔をして彼の顔を覗き見る。冗談を言っている様には見えなかった。


「断る。なんで俺が……」


「君が適任だと……いや、私が思い付く限りミュールにちゃんと接してやれるのは君だけだった。父親としても私より……」


「俺が父親だったのは一日以下だ。しかも父親になったって聞かされただけだしな。子供の面倒なんて分からん」


「シャトルの墜落事故……いや、事件か。情報としてならばロシアに居た頃に手に入れていた。痛ましい事件だ」


 究極のAI、ゼロの反逆。研究者であり技術者でもあったスパイクの恋人、ゾーイはその標的となりステーションからの帰還の最中、乗っていたシャトルの爆破に巻き込まれ宿していたもう一つの命と共に海中へと没した。


 以降、スパイクはかたき討ちを誓い独断による暴走に及び、果ては異例の特殊部隊”PRIME”への編入を経て目的を果たし、現在に至る。今の彼はPRIMEのいちチームを纏める立場にある。


 隕石として情報収集用の端末であった頃、その事件や事のてん末については収集して知っていると告げるウォーヘッドにスパイクは鼻を鳴らして笑い、コーヒーを喉に流し込む。所詮は他人事。しかしものを頼む立場としてウォーヘッドの発言は芳しくない。けれど彼はそれを口にした。今の彼であればわざわざ人の古傷を突っつくようなことはしまいと、スパイクはウォーヘッドを睨んだ。


「……私は、もう長くない。ミュールの独り立ちまで寄り添っていてやることは、恐らく出来ないだろう」


「そうは見えないが?」


「見た目だけならどうにでもなる。問題は中身の方だ。私は、人で言えば心臓を失っている。今私を生かしているものは残量の少ない電池の様なもの。しかもこれきりの」


 その事をミュールには伝えたのかとスパイクが訊ねると、しかしウォーヘッドは首を横に振った。


 その事にスパイクは呆れたように肩を竦めた。


「臆病風に吹かれやがって」


「ああ……だが、私にあの子を一人突き放すようなことは出来ない。安心もさせられないと言うのに、別れを告げる事など出来ない。あの子の不安がる顔など見たくない。だからスパイク、君さえ頷いてくれれば……」


「冗談」


 飲み干したコーヒーカップをすぐ傍のゴミ籠へと放り込んでベンチから立ち上がったスパイクはそのままウォーヘッドに背中を向ける。歩き出したのは己の車が駐めてある駐車場。それを見て追いかけるようにウォーヘッドもまたベンチから立ち上がると、彼を引き留めようと声を上げる。


「あの子には、ミュールにはまだ……!」


「自分でなんとかしろよ。出来る努力をしろ。本当に終わりなのか? 心臓の一つや二つ何とかするくらい言ってみろよ。まだ望みが途絶えたかも分かんねえのに、勝手に絶望するなよ。親父だろうが。ガキのためにかっこつけろ。足掻いて足掻いて、それでもダメだったら……ああ、くそ……もう一度、本当にダメだったらだぞ、その時は俺に連絡しろよ」


 気恥ずかしさが拭い切れずに、言い終わるまでに何度己の頭を掻いてセットした髪型を崩しただろうか。そしてスパイクはその人差し指を立ち尽くすウォーヘッドへと突き付けて、トラブルメーカーはトラブルメーカーらしく最期まで周りを振り回して見ろと、そして本当に最期が来ると言うのならば自分が助けてやると、そのままでは無いにしろ彼に告げ、照れ隠しに舌打ちなどしながら足早にウォーヘッドの前からその姿を消す。


 残されたウォーヘッドはスパイクの名を小さく呟く。見ると空が僅かに暗く、日に焼かれようとしていた。


 海鳥の鳴き声と、疎らになり始めた人たち。一人になったウォーヘッドが帰ろうと自らもまた駐車場の方へと行こうとした時であった、観光客らしいアジア人の二人組が彼にたどたどしい英語で話し掛けた。どうやら写真を撮ってほしいらしく、写真アプリの起動したスマートフォンをウォーヘッドへと差し出し、彼も手にしていたカップを捨ててからそれを受け取る。


 男女のその二人組は自由の女神の写る場所に移動。ウォーヘッドもそれを追いかけ、少し屈んで目線を合わせてからカメラを二人に向ける。こうするとミュールと写真を撮ったときの事を思い出してつい彼の頬は緩んでしまう。


 ウォーヘッドは二人と合図の段取りを決め、そしてシャッターへと指を掛けた。


「それでは……平和に――」


「ピース!」


 それはミュールがする合図であり、ウォーヘッドの言葉に続き二人がピースサインを作った所で彼はシャッターを切った。


 写真を見せ、満足気な二人であったが、どうせならばとウォーヘッドも一緒にと彼を誘う。恐らく巨体の彼を珍しく思ってのことだろう。ウォーヘッドにとってそれは別段珍しいことではなく、快く頷くとその後女性と男性、一人ずつと写真を撮り、やがてその場が解散するといよいよ以て独りになったウォーヘッドは遠く見える街を眺めた。


 考えて、やはりどう解決すべきなのかは分からなかった。

 死は恐ろしくない。恐ろしいのは、怖いのは一人の越してしまうミュールが悲しむこと。故に事実すら伝えられない。


 スパイクは助けてくれるだろう。だがその為には、ウォーヘッドもまたスパイクと同じように戦わなければならない。死の運命に抗う戦いは、それはきっとスパイクの戦いよりも過酷だろう。


 それでも、理由まで与えられて、戦わない選択肢はもう選べなかった。全てはミュールの為、娘の為に。


 気が付くと、ポケットの中で携帯が揺れていた。取り出して見てみると、それはミュールからの着信で、それにすぐ出たウォーヘッドは彼女の話を聞く。どうやら子猫のパニッシャーの事で困ったことがあるようだった。すぐに帰るとウォーヘッドは告げ、彼はバッテリー・パークを後にした。

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