#24

 画面の中を元気良く跳ね回っているのはピンクやパープル、オレンジなど目が痛くなるような色をしたデフォルメの馬たち。彼女たちは毎回巻き起こるトラブルを魔法やそう言ったご都合主義で解決してしまう。そんな実に平和で穏やかな内容のアニメがソファーに深く腰を下ろしたミュールは好きだった。


 本当の魔法も、アニメの中のように都合良く何でも叶えてくれれば良いのにと、ミュールはずっと思っていた。実際のところ、使い方次第ではあるが魔法とは戦いにばかり使われる。母も、自分も、他の魔女も。誰かを傷付ける為ばかり。しかも誰かの為に使おうと思えば、それはいつも手遅れになる。


 テレビ画面をその瞳に映したミュールの脳裏には胸に大穴を穿たれた父ウォーヘッドの姿が過る。自らでは、魔法でもどうにもなら無い。レオンの何とかするという言葉を信じ、一人で留守番を頼まれてみたもののどうにも落ち着かない。好きなアニメを見たり、アニメに出てくる馬のぬいぐるみを抱き締めてみたり。けれどもやはり落ち着かない。


 彼女には分かるのだ、きっともう取り返しのつかない所まで来ている事が。レオンを疑っている訳では無い、けれど魔法ですらどうすることも出来なかったことを科学技術でどうにか出来るとは思えなかった。


「……どうしよう」


 一人でそう天井に呟く。もう少し昔は天井にあるその人の顔の様なシミが気になって仕方が無かった。見ていると話しかけてきそうで、見ていることが出来なくて、故に見ない様にしていた。けれど今こうして改めて話しかけてみて、しかしそのシミはミュールに何の返事もしない。当然だ。彼女は溜め息を吐いてまぶたで瞳に天蓋をする。所詮はただのシミ。彼女の悩みを解決してくれる訳も無し。


 どうしよう。きっとウォーヘッドは帰ってきても平気な顔をして、いつも通りイタズラをしていないか? 良い子にしていたか? 勝手に食後のアイスクリームを食べていないか? そう訊ねてくるに決まっている。ミュールはそれをどんな顔をして、どんな気持ちで迎え入れたら良いのか分からないでいた。


「Hi、パパ。元気そう、平気だったの? チェストホールなんて馬鹿にされた呼び方されていたらパパ失格よ。私? 私はもちろん良い子だったわ。とうぜんでしょ」


 幾通りものウォーヘッドとの会話をシミュレートして、気に入ったものを口に出して言ってみる。いざその時になって噛んだりしないように。しかしこうして口にして、耳で聴くと案外にもしっくり来ないことが分かり目を瞑ったまま眉間にシワを寄せる。


「Hi、パパ。平気? まず始めに言っておくけど私ちゃんとお留守番してたから。アイスクリームは熱中症になりそうだったから食べちゃったわ。空調のリモコンが見当たらなくって。それで胸の穴、ちゃんとふさがった?」


 これも違う。普通に接するというのが段々と分からなくなってきたミュールの中には苛立ちが募り、ぎりぎりと抱いたぬいぐるみの背中をその両腕で締め上げて行く。あれやこれやと会話をシミュレートしては納得の行くものが見つからず悶々としてその度に彼女の腕の食い込むぬいぐるみは背中を反らし、ソファーに横になった彼女は左右に体を揺すり、時に脚をばたつかせる。


「出だしを変えて……Hey! パパッ」


 そこに突如鳴り響くインターカム。完全に油断していたミュールは電気でも流されたかのように、あるいは驚かされた猫のように跳び上がってソファーへと落下するのだが体勢が不安定であった為に結局はテーブルとの間に転がり落ちてしまう。


 その時にごつんと音がして、どうやら頭を打ってしまったらしいミュールは後頭部を摩り涙目になりながら体を起こす。幸い床は毛深いカーペットであった為に痛みは大したことは無く、涙目になったのはどちらかというと不意を突かれた驚きからであった。


「あー……ほんと、サイコー……」


 もうすっかり痛みも引いているのだが摩るついでにぽりぽりと頭を掻きながら溜め息と一緒に皮肉を一つ。部屋を出て物置付きの階段を横切る廊下を進み、インターカムの画面を爪先を伸ばして覗き見る。このインターカムのある位置がミュールにはやや高く、ウォーヘッドには低すぎる。これを利用する機会が訪れる度にもっとバリアフリーであるべきなのではないかと彼女は思うのだ。


 そして画面の中に居たのは銀色の顔をした大男、ウォーヘッド。彼は黒塗りのセダンを背に黒服の男たちに囲まれて立っていた。ミュールの同行が無い為、行きは兎も角目的地でもし偽装魔法を解けばその後は彼の特異性である銀色の外観が露わになったままになってしまう。それでは日頃隠している意味が無いし、M.I.B.も困るであろうことからこうして護衛されて来たのだろうが、返って目立っているようにしかミュールには思えなかった。


 何はともあれ早く迎え入れなくてはと先程までの悩みの種を前にしているという事すら忘れたミュールは浮かしていた踵を地につけ、ドアにかかった鍵を開ける。どちらかがどちらかを残して外出する場合のルールとして帰宅した方は家に誰も居なかった場合を除き、内側から開錠されるまで合鍵を使い入る事をしない。防犯の理由からである。


 ドアを開け放つと、すぐ正面に立っていたウォーヘッドが片膝を付いて両腕を広げる、そこへと吸い込まれるようにミュールは飛び込んで、二人は互いにハグを行う。ウォーヘッドの肩口から顔を出しているミュールは後にサングラスをしている上に無表情で周辺を警戒しているエージェントらを見渡し、ウォーヘッドから離れると共に彼らを家に上げてもてなすべきかと訊ねたが、もう必要無いと分かったエージェントらは無言でぞろぞろとセダンへと戻って行ってしまう。いつもの通り。


 そして改めてウォーヘッドと向き合ったミュールは笑顔で一言目を口にしようとして、そこで不運にも先程までの事を思い出してしまった。


「あー……その、パパ……えっと……」


「見せたいものがある、さあ家に入ろう」


 きょとんとするミュールを余所目に、ウォーヘッドは自らの傍らに置いてあったミュールくらいの子供ならば入ってしまえそうな程大きいラッピングされた箱を持ち上げ、彼女を促しながら自宅へと入って行く。どういうことなのかと困惑するミュールはどんどん家の奥に進んで行くウォーヘッドの背中を見て目を丸くするものの、はっとして今自分も魔法による偽装で姿を変えていないことを思い出し周囲を見渡し見られていないことを確認しながら自らも引っ込みドアを閉めた。


 魔法を禁止されている自宅に於いてミュール、彼女は地に足付けた歩行を強いられている。そしてウォーヘッドを追い掛けて走る彼の所の足取りたるや、これまで魔法で浮遊することに慣れ親しんでいたこともあってどたどたと酷くうるさく音を立てる。一歩一歩が無駄に力強いのだ。


 そんな風に騒々しい足音でリビングへと到着したウォーヘッドに追い付こうと彼女がした時、肩口からその横顔を覗かせたウォーヘッドは己の口の前に人差し指を立ててしーっとミュールに遠回しに足音を注意。それを見たミュールはぴたりと片脚を上げた状態で静止、その後ゆっくりと上げていた足を床に下ろしてそろりと残りの距離を歩み寄って行く。するとウォーヘッドは近付いてきた彼女に振り返り、抱えた巨大な箱を床に置いた。


 その箱気も気にはなるものの、しかし一番はやはりウォーヘッドの容態が気掛かりなミュールは箱を境に彼の顔を見上げる。見た目としては何ら調子が悪いようには見えない。寧ろ動力を失っている間表面の金属の流動は止まっていたのに今はそれまで通り金属は流動している。これはつまり動力はどうにかなったという事なのだろうか。


「ねえ、パパ……」


「――ミュール、猫、飼いたがっていたよな」


「ねえ、パパ。今はそんな事どうでも……」


「お前一人だとまだ不安だから、私も、ああ、俺も一緒にで良ければ家族に迎え入れようじゃないか」


 どういう意味か分かるな? と、箱の前にしゃがみ込みその箱ごとミュールのすぐ前まで近寄ったウォーヘッドは彼女の頭へと手を被せ、普段通り娘へと見せる穏やかな表情に苦手なのに浮かべた下手な笑顔で暗に告げる。


 そう、ウォーヘッドは一緒にと言った。それはつまり彼はまだミュールと共に居られるという事。こうして言葉を交わす彼に異常があるようには思えない。ならばやはりレオンは彼を救う事に成功したのだと、ミュールの表情が途端に明るく晴れた。もう何も心配要らない。嬉しくてつい鼻がつんとして涙ぐみそうになるのをしかし強がって堪えたミュールは、あまりウォーヘッドの顔を見ていると次こそ我慢できないで泣いてしまうと思い彼が差し出す箱へと己の意識を向ける。


 ウォーヘッドの言葉が確かならば、この箱の中にある、否、居るものはそれはすなわちミュールが予てより強請っていたもの。故にウォーヘッドは彼女のうるさい足音を咎めたのだ。と、ミュールは推理し、ちらりとウォーヘッドを見て彼が頷くと箱を包む包装紙に指を掛けた。


「驚くぞ?」


「ふふっ、まさか――!」


 びりびりと豪快に包装紙を破り捨てながら、どこか得意そうな顔をするウォーヘッドに対しミュールは反骨精神を見せ付けた、しかし期待に高揚した顔に浮かんだ笑顔は間違い無くサンタクロースとプレゼントを前にした幼子のそれであった。


 そして彼女の手が箱の蓋にかかる。

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