第26話:第26話:青空を端から覆っていく、うら淋しげな黒雲のように


 眠れないのだから、起きている間はとことんお喋りしよう。

 いっそのこと開き直った僕たちは、いろんな話をして盛り上がった。


 そのおかげで、僕はエルウェについて深くまで知ることができた。

 好きな食べ物は宿屋のおばちゃんが作るチーズインハンバーグ。

 血液型はAB型。誕生日は僕と出会った日、2月24日。歳は15で冒険者歴は2ヶ月。趣味は眷属を愛でること。


 中でも印象的だったのは、エルウェが魔物使いの頂点を目指した理由だった。


「私のお父さんとお母さんは魔物使いだったのよ。中でもお父さんは情熱で全身が燃えるような人でね、すごい魔物をたくさん従えてたわ。それでも世界一の魔物使いを決める世界大会――『黙示録杯』では二位しかとれなかった」


 自慢げな表情から、落ち込んだような表情に。


「周りからは『万年次席の暑苦しい人』って言われてたわ。今ならわかるけど、優勝者は手の届かないかない別次元の存在だからって、庶民的な二位のお父さんを嫉妬の捌け口にしてたのよ。大した実力もないくせに、主要な弱みも見つけられないくせに。何よ暑苦しいって。……私はそれがすごく悔しくて」


 眉根を寄せるエルウェ。本当にお父さんのことを想っていたんだろうね。


「でもね、お父さんはいつも言ってたわ。『周りには好きなように言わせておけば良いさ。なんたって、俺は近いうちに必ず、魔物使いの天辺を――偉大なる一杯ジェノ・グランデをこの手にするんだからなッ! 記念撮影の準備をしておけよっ!!』ってね。私はそんなひたむきなお父さんが大好きだったし、お父さんの夢は私たち家族全員の夢だった」


 しかし、そこで一転。彼女の表情が確かな憎しみに染まる。


「でもある時、別れ日は来たの。あいつらが、神薙教の連中が私たちの街を襲った。狙われた理由なんかわからない。でも一夜にして街は壊滅したわ。住民を逃がすために戦ったお父さんは――……すごいわよね、あんなにうるさくて明るい人だったのに、次の日には地面の中に埋まってるの。今でも信じられない。ふとした時にまた、あの大きな声で『ただいま』って言ってくれるんじゃないかって、ふらっと帰ってくるんじゃないかって……そう思っちゃうの」


 美しい銀眼を潤ませるエルウェに、僕は何も言うことが出来なかった。


「お母さんはショックで持病を悪化させちゃって……数年後にフラムを私とお兄ちゃんに預けて、お父さんの元に行っちゃったわ。お母さんが最後の日に言ってくれた言葉がね、お父さんみたいな強い魔物使いになりなさい――じゃなくて。『お父さんみたいな優しい魔物使いになりなさい』だったの。それが嬉しくて、やっぱりお父さんは間違ってなかったんだって、そう思えて」


 湧き上がる涙を耐え忍ぶように、僕を抱きしめる力が強くなった。


「だから私は誓ったの、フラムを、これから眷属にする子達を、お父さんと同じくらい愛そうって。――でもね。私たちが叔父さんと叔母さんに引き取られてから少しして、今度はお兄ちゃんが事故に遭ったの。原因は川に転落したこと。端の方で遊んでいた私が落ちそうになって、それを庇ったのよ。……叔父さんが急いで駆けつけてくれたけど、お兄ちゃんはもう……」


 若いというのに独り身のエルウェには、何かしらの過去があるとは思ってたけれど。それは想像の範疇を軽く超えてきた。惨い。小さかったエルウェはどれだけの絶望を超えてきたのだろうか。


「その時に気がついたの。私は眷属かぞくを何よりも大切にしたい。でも、感情だけじゃどうにもならないことがあるんだって。物理的に強くならなければ、大切なものを掬えないどころか指の隙間からどんどん流れ落ちていくんだって。だから、『強くなりたい』って心の底から思ったわ――それこそ、『黙示録杯』の優勝者のように」


 埋めていた胸元から顔を上げる。互いに顔を見合わせた。


「だから私は、世界一の魔物使いを目指してるのよ」


 そう締めくくったエルウェの表情は、年若い生娘とは思えないほどに、この美しく惨たらしい世の中を達観したような笑顔で。


 僕はこの命尽きるまで彼女に尽くそうと、強く思った。

 『エルウェが可愛いから』以外の仕える理由が出来た瞬間だった。



 そんなこんなで、夜中に目を覚ましてから一時間半程度は経過しただろうか。結局お互いに睡魔が来ないため、徹夜気分で存分に語らうことにした。

 

 夜も更け、おそらくあと数時間で朝がくる。今はそんな時間帯だ。


「あ、ねぇ。ふふ、良いこと教えてあげよっか?」


 夜中のテンションとは蓄積した疲労すら凌駕するから恐ろしい。

 興が乗ってきたのか、エルウェが指先で僕の額をつんつんとしながら弾んだ声音で言う。


「なに? エルウェのスリーサイズ? それならもう知ってるかな、上から84、58――うむっ」


 調子に乗って軽口を叩いていると、赤面したエルウェがそれ以上は言わせないとばかりに僕の顔を自身の胸に押しつけてくる。むはっ。むーむーむーとしか言えない。むはっ。

 

「なんで知ってるのよちょっと黙りなさい――まったくエロ騎士は、油断ならないんだから。……今日、もう昨日かしら? 大浴場で言ったことよ、覚えてる?」


「――むはぁっ、ご褒美をどうもありがとう……何だっけ、何か言ってたような……あー、『隠し事が下手』ってやつ?」


 想起されるのはエルウェの艶めかしい裸体……じゃなくて。

 例の如く誤魔化すのに失敗した僕を見たエルウェが言っていた言葉だ。


「そうよ、それね」


「ちょうど僕も後で聞こうと思ってたんだよね。僕はまぁあれだけどさ、フラム先輩もそうだったりするの?」


「流石にあなたみたいにあからさまじゃないけどね……そうよ、あの子は誤魔化すのが苦手なの。照れ隠しなんてした時はね、すました表情してるけど、もうわかりやすくてそれが可愛くて……ふふふっ」


 フラム先輩の話題になると、エルウェは本当に楽しそうに笑う。

 心の底から信頼しているし、大好きなんだろうなって。そう思わせられる。


「何、すごい気になるんだけど。教えてよ、どうやって見分けてるの?」


 良い主従関係だよね。

 僕もそんな二人のようになりたいと強く思った。頑張る。目指そう。時間はかかるかも知れないけれど、僕なら出来るはずだ。今日だって一段と距離が縮まった感触があるんだから。


「ふふふ、本人には絶対に秘密よ? これは多分、フラムも無自覚なんだけどね――揺れるの、尻尾の炎がぼわぼわって揺らめくの!」


 想像する。

 エルウェに手放し褒められるフラム先輩。

 きっと表情は無愛想なまま「そうかァ」と素気なく言うだろうか?


 だがしかし。

 尻尾だけが秘めたる内面を表してしまうのだ。

 炎がぼぼぼ、と先走って知らせてくれるのだ。


 ……恥ずかしい。絶対恥ずかしいヤツだそれ。

 バレバレですよって耳打ちされたら一週間は復帰できないヤツだそれ。


「うわぁ……何て言うかそれは酷くシュールだね……少しだけフラム先輩に同情するよぼくは」


「ふふ、そんなところも可愛いのよ?」


「えー、じゃあ僕も可愛い? 誤魔化すの苦手なんだなこれが」


「それはどうかしら?」


 ふふふ、とあざとく微笑むエルウェ。

 そんな笑顔を向けてもらえるだけで、僕は何よりも幸せだけどね。

 それにフラム先輩のそんな弱点らしい弱点を教えてもらえて得した気分だ。

 

 それからも雑談をしつつ夜を過ごしていると、窓の外が白じんで来た。

 天蓋に群生している結晶が光を発し始めたのだ。それは紛い物の日の出。けれど本物とは違った趣を持った、なんとも感慨深い美しい光だった。


 僕とエルウェはベットから出ると窓際に寄る。

 僕は窓枠に腰掛け、エルウェは頬杖をついて色づいていくラズマリータの街の景観を見渡した。


「夜……明けちゃったわね」


「あははぁ、やばいね全然寝てないよ。これは今日も非番かなぁ」


「何言ってるの、戦いなさいよ。早く進化して強くなって、私を世界一の魔物使いにしてくれるんでしょう? 私、けっこう期待してるんだから」


「全身全霊で戦わせてもらいますええはい」


 窓枠で片膝をつき、片手をエルウェに差し出す。

 掌返しは置いておいて、騎士が姫に忠誠を誓うような格好だ。我ながら洗練されている。素晴らしいできだ。


 エルウェは「ふふ」と楽しげに笑うと、ちょん、と指先を僕の掌に載せてきた。


「ありがとう。良い子ね、その調子が続くなら、今日みたいに抱きしめて寝てあげる。あなたがどんなに歪で凶暴そうな見た目に進化しても、私は……私だけは好きでいてあげるから」


「――そっか。エルウェはやっぱり優しいね。それなら頑張ろうかな……ちょっとだけ」


 開け放たれた窓際は静謐で冷え冷えとした空気が気持ちが良い。

 どこか夢心地だった意識がスッキリと覚醒し、戦いに没頭する日常の世界に帰還する。そんな景観の中で共に白い息を吐く魔物使いと眷属。いいシチュエーションだよね。気取りたくなる。


「何でちょっとだけなのよ」


 とエルウェは悪し様に言うが、僕としては今のポジションが気に入っているからであります。まぁ、今日から少しだけ頑張ろうとは思ってるけどね。少しだけ。


「まったくあなたは……自分のペースでいいから、真っ直ぐに進化しなさいよ」


「……主様の願うままに」


 そう心寂しげに零して街の眺望を瞳に映すエルウェの横顔は、いっそのこと整いすぎていて怖くなるほどだった。ぴりり、と背筋を走り抜けるこの感覚は何だろう。


『其方、其方』


(ん、おはようシェルちゃん。どうしたの?)


 と、僕の固有スキルで異次元へと収納している黄金龍のシェルちゃんが呼びかけてきた。昨晩は僕が会いに行かなかったから怒ってるのだろうか? 声に一寸ほどの曇りがある気がする。


『其方は……超克種になれるじゃろうか』


(聞いてたんだね。さぁどうだろ、そこばっかりは神のみぞ知る、じゃない? 僕の場合は殺戮の神なんて言うやばそうな神様にしか拝んだことはないけどね)


 シェルちゃんの言いたいことは了解している。


 僕は二度目の人生を魔物として歩んでいるわけであって、前世の知識は継いでいるためその可能性も初期から考慮していた。でもできればなりたくなくて、エルウェと出会ってからは考えたくもなくて。頭の片隅に追いやっていたんだ。



 超克種と対の成す至上の種族――『原戒種』



『……昔からそうじゃ。原戒種は人族と交わることはできないであろ。例え魔物使いの眷属であるとしても、『悪』なる思考を持つ種へと一度進化してしまえば、おそらく其方は……』


(…………)


 悲しいかな。

 それはシェルちゃんの嫉妬なんかじゃなく、どうしようもない事実だ。


 この世界において、惑星アルバにおいては。

 超克種が『善』とするならば、原戒種は紛うことなき――『悪』だから。


 数多なる生命を貪り成長した原戒種に連なる個体は、凶悪な迷宮を片手間に創造し、魔族を取り纏めて人族と敵対する。人間界の外枠にいるはずの『魔王』達もこの種に類する存在だ。


 これは古代から変わらぬ概念。人族に深く根付いた固定観念だろう。

 原戒種及びその下位種に派生した魔物に遭遇したのならば、早期に芽を摘まなければいけないらしい。それが野生の魔物であっても、魔物使いの眷属であっても同じ。


 将来的に害をなす可能性ありと国に評されて、最後は魔物使いの表意に関係なく即処分。それが道を誤った眷属の悲しい末路なのである。


 そして。

 街の景観が、冷たい空気が、エルウェの言葉が、シェルちゃんの憂慮が、そして何より僕自身の弱さ、、が。


 何よりも大切に思う彼女の地雷を踏ませてしまった。


 今日は絆が深まった確信があった。距離が縮まってちゃんと家族になれた。そんな気がしたから。してしまったから。それが失言だったと知るのは後になってから。



「ねぇエルウェ……もし僕が原戒種になったら、どうする……?」



「――――――――」



 恐らく僕は、これから先。

 その時彼女が浮かべた表情を忘れることはないと思う。


 そこに張りついていたのは『虚無』。絶対的な『拒絶』だった。

 見開かれた銀眼に渦巻くのは見下げ果てた嫌悪感。


 これは――失敗した。


 直ぐに悟った。

 これは彼女にとっての地雷だったと。決して踏み入ってはならない領域、鍵を差し込んではならない秘め事の扉だったのだと。


「――エ、エルウェ?」


 その天と地ほどの差もある変化の大きさに、僕は悍ましい何かを感じながらエルウェの名を呼ぶ。懇願するような口調になってしまったのは、彼女に嫌われたくない一心だったからだ。


「――ぁ、ぇ、そ、そうね……ごめんなさい。何の話、だったかしら……」


  整然な顔に張りついていた能面人形のような違和が剥がれ落ちると、片手で頭を抑えるような仕草をする。その華奢な身体にどれだけの衝動が渦巻いているのか、想像することもできやしない。


「それは……仮に、だよ? ……仮に、僕が原戒種になっちゃったらって――」


「そんなこと言わないで――ッッ!?」


 耳を聾する絶叫、壁を叩く鈍い音。

 叩きつけられた拳から血が滲む。息苦しそうに咳き込み、思い出したくない記憶を磨り減らそうとばかりに強く歯を食いしばる。


 ――エルウェが激昂している姿を初めて見た。


 思わず口を噤む僕。


 これ以上何か言葉を発するだけで彼女を憤慨させてしまいそうで、こくんこくんと頷くだけに止めた。怖い、少女に対してそう感じるのは狂気じみた感情に触れてしまったから。


 長い髪が表情を隠す。伏せられた顔には濃い影が縁取っていた。

 しばらく肩で息をしていた彼女はハッとして気を取り戻すと、おろおろと狼狽した様子で僕の方へ腕を回してきた。彼女の変わりように、僕は一瞬だけ震えてしまった。


「っ……ごめん、ごめんなさい。こんなつもりじゃ、なかったの。でも……でも、その言葉だけは、もう口にしないで……お願い……ごめんね、ごめん……」


 そう言って小さな僕を抱きしめるエルウェの身体は、雨天の元に捨てられた子犬のように震えていて、細く、弱々しく感じられたのだった。



 ****** ******



 ――人族が三人、宿の前で死んでいた。



 そのピクリとも動かない姿からは、命が抜けた骸を思わせる。

 現に冒険者と思われる男たちを中心に地面に広がっていく赤黒い液体が、そのもの達の命の終わりを告げようとしていた。


 エルウェの甲高い悲鳴が朝の静謐な空気を引き裂いた。

 僕も同様に目を瞠る。何より、何より、だ。


 血だまりの前に薄赤の子猫が一匹、可愛らしくちょこんと座っていた。

 可愛らしいのは小さな獣の見目だけであって、その腰を下ろしている場所は可愛げの欠片もない。



 ――どうしてフラム先輩が?



 僕は目の前の現状を受け入れられず、一度目を閉じた。


 ここに至るまでの軌跡を丁寧に思い出そう。



 明け方、エルウェの変わりようには驚いたものの、その後は後悔しているのか彼女が執拗なまでに僕を慰めようと抱きしめてくれていたから、いつの間にか僕は寝入っていた。


 心の中で出会えるシェルちゃんに寄り添って、三時間くらい寝ただろうか。

 目を覚ませば準備を終えたエルウェが僕の寝顔を覗き込んでいた。やっぱり申し訳なさそうに謝ってきたけど、僕は気にしてないと言い張った。


 しまいには「今日から一緒にお風呂入ってくれるなら許してあげる」という軽口を了承されてしまったので、僕に圧倒的な利があるままその件は終了。


 結局、僕がどんな種に進化するかは運次第だ。


 運といえばワールドスキル『六道』様がぐぉんぐぉん吸い取っているため、全然当てに出来ないのだけれど。僕に加護をくれているシェルちゃんは超克種だ。そして僕も金龍系統に進んでいるはず。


 だから多分大丈夫だとは思うんだよね。

 まぁ確かに不安ではある。でも今から考えていても心が持たないだろう。


 それから宿で提供される軽い朝食をとり――僕は食べなくても平気なので食べていない――しばらく歓談していたわけだが……フラム先輩がなかなか帰ってこない。エルウェは終始不安そうな表情をしていた。

 

 やがてチェックアウトの時間が来て、仕方がないから外で待ってようと宿の扉を押し開いた所で……冒頭に戻るわけだ。



「な、何して――」


 ――るんだよフラム先輩、と僕は咄嗟に言いかけて、


「大丈夫フラムっ!? 怪我はっ、どこか怪我してない!?」


 エルウェが今にも泣き出しそうな形相で子猫の眷属に縋って抱きしめる。

 無事なのか、どこか怪我をしてないか、ぎゅっと抱きつかれて苦しそうな顔をしているフラム先輩を置いてきぼりに何度も何度も尋ねる。


 エルウェはこの異様かつ凄惨な状況よりも、フラム先輩の身を案じたのだ。


(――いや、それが普通、か……だめだな僕は、完全に疑ってかかっちゃったよ)


『この状況で真っ先に疑わない理由もないしの……其方の反応は普通であろ』


 シェルちゃんも同意を示してくれるけど、これは失敗だった。


 昨晩にフラム先輩を信じてるって、そうエルウェに言ったばかりだというのに。

 自分の発言の軽薄さと、家族を信じ切れない薄情さに吐き気がする。


 エルウェはまず一番にフラム先輩に駆け寄った辺り、流石の信頼度だ。

 立場的に、本当は僕もそうでなくちゃ行けないんだけど……、


『それなりに人だかりも出来ておるようじゃし、カーバンクルが一段と目立っている影響もあるのじゃ。そんなに気にせんでもいいであろ』


 慮るように言われ、宿の前に集っている冒険者達に気づく。

 その数は少ないが、あまりに衝撃的な光景過ぎて周りが見えていなかったようだ。 


 ざわざわとした喧騒の最中に足を運ぶ。目立っているエルウェに近づいたのだから、僕もそれなりに視線を集めた。よくわからない不快感がふつふつと湧き上がる。


「……フラム先輩、無事?」


「…………あァ、オレはなンともねェよ」


 気を取り直して声をかけたフラム先輩はというと、どこか深刻そうな顔をしていた。その陰りの落ちた紅眼は何を見据えているのか、僕には皆目見当も付かない。


 野次馬同様その場に居合わせただけだろうから、怪我なんてしてないとは思うけどね。


 それからしばらくして駐屯していた騎士団がやってきた。


 根掘り葉掘り事情を聞かれ、もちろん僕たちは何もしてないし野次馬みたいなものだから何の力にもなれなかったけど。結局この件はヒースヴァルムの本部に持って行くという形で解放された時には、町中の時計台で午前十時を回っていた。


 初めての迷宮探索だというのに、本当に予定が狂ってばかりだ。


 一度ゆっくりと腰を落ち着けたい、けれどヨキさんには今日帰ると言ってあるので戻るしかないんだよね。あの人エルウェが帰ってこなかったら職務を放り出してこの場所まで来そうだもん。親馬鹿かよ。


 ちなみに魔導念話器なる遠方と連絡を取るための装置もあるにはある。

 でもエルウェはできるだけヨキさんに頼りたくないみたいで、念話器を使うことは滅多にない。だってあの人念話器で遅れるって言っただけで心配してこの場所まで来そうだもん。親馬鹿かよ。


「……なんだァ、昨日の夜に何かあったのかァ? 新入りがあんなに熱心に働くなんて異常だぞォ」


 そして今、そんな僅かな驚きに濡れたコメントが背中越しに聞こえてきた。


 異常とは失礼な――と内心で毒づきながら、飛びかかってきたスケイル・ウォルフを上手くいなして腹を割く。血飛沫と呻き声が洞窟内に散った。


「ふふふ、それは内緒」


「そうかァ、別に気にしちゃいないンだがなァ」


 なんて言う彼の尻尾の先はぼぼぼ、と炎が乱雑に揺らめいている。


 どうして今までこんなにわかりやすい変化に気づかなかったのか。フラム先輩はどうやら教えてもらえなくて不満らしい。仲間はずれにされたとでも思ってるのだろうか。


「……フラムが心配かけるからいけないのよ?」


「それはァ……すまねェ、心配かけたな主ィ」


 エルウェもその変化を見て取っただろうが、フラム先輩が正面を向くように抱きしめている両腕にぎゅっと力を込めた。頬を押し当てて恋しそうにしているのは、エルウェも昨晩の間ずっと憂慮していたからだろう。


 朝にあんなことがあったから、なおさらだ。


 本当は「そこ僕の場所なんだけどぉー!!」と全力で抗議したいところではある。でもエルウェがフラム先輩を離さないので仕方ない。おかげで僕が戦う羽目になってるんだけどね!


 そして、先にフラム先輩が言ったように、僕は今まで以上に戦いに没頭していた。軽口だってあんまり叩かないし、集団に囲まれてもフラム先輩にはエルウェを守っててと伝える始末。自分で自分らしくないって思うね。


 前方の岩壁から新たに三体の魔物が生まれ落ちた。

 産声を上げると同時に襲いかかってくる。次から次へと、休む暇なんてない。


『…………其方』


 シェルちゃんの親身な声が鎧の内部を振動させる。

 一度剣を振って赤黒い血糊を飛ばすと、僕は無言のまま地面を蹴った。


「――ぁああぁあッ!!」


 種族等級レイスランクからすれば僕と同等の巨大ネズミ――鱗鼠マウスクゥ三体と切り結ぶ。防御力にかまけた強引な戦い方だ。強靱な爪と牙、白の剣閃が迸り血と火花が散る。


 ――なんとも言えない危機感が募っていた。

 気味の悪い感慨が喉の奥から迫り上がってくるんだ。そわそわしてとてもじゃないがじっとしていられない。今はこの状況が僕の助けになっている。


 醜い断末魔を残して、最後の一体が地に伏した。

 僕は肩で息をしながら、再度血糊を振り払って背後をちらりと確認。


 エルウェは我武者羅に戦う僕の姿から何か感じ取ってるのか、何も言ってこない。フラム先輩は少しだけ感心したような表情をしていた。多分エルウェから夜の話を聞いたんじゃないかな。


『其方……あまり無理はするでないぞ』


「今までサボってたんだ。いいんだよ、このくらいで。……それに、」


 代わりにシェルちゃんが心配してくれるから、小声で返す。

 このドラゴン様は高位の存在にも関わらず、最初から変わらずに優しいよね。その配慮だけでまた次も戦えそうだよ。


(――早く強くならなきゃ、何か良くないことが起こるような気がする)


 黒雲が青空を犯していくような不安が空虚な鎧の内部をひしめく。

 小柄な身体のどこかで小さな警鐘が鳴っている。


 何か事件に巻き込まれつつある気がしてならない。

 だから今は強くなることが先決。そのためには戦うしかない。


 力なき者が何を吠えたところで、変えられるものなんて極少数なんだから。


 僕はエルウェを、フラム先輩を――大事な家族を。

 絶対に、絶対に失いたくないんだ。

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