第17話:躙り寄る神薙教の闇


 それからの日々は順調だった。

 良くも悪くもめぼしいイベントは起きず、冒険者稼業においてもフラム先輩というB級殺戮マシーンがいてくれるおかげで危険が少ないし楽でいい。


 なんていうか、エルウェとの距離を縮めるために頑張ろう! って意気込んでたわけだけど、このままでもいいかなって思い始めてきた。怠慢ラブ。


 それはそうと、日常と化してきている一日の流れを辿ってみよう。

 まず、僕の一日はエルウェのおっぱいの中から始まるんだ。


 冒険者の朝は早い……訳ではないが、僕らは朝八時までには起床するようにしている。


 起き抜けに寝ぼけたふりをして数度もみもみしながら顔を深く埋め、艶めかしいエルウェの声を聞くのが目覚めをよくする秘訣だ。是非とも朝起きられない子供達に教えてあげたいね。目が冴えちゃって逆に二度寝なんてできなから。


 朝に弱いのかぼけーっとしているエルウェは、その時間帯に限って怒らない。

 だからこのチャンスを逃す手はないのだ。もみもみ、もみもみ。


 ベットを出ると覚束ない足取りでテーブルへ。

 貧乏暮らしのため、朝食は拳二つ分程のパンを三等分。果物のジャムが出る日はエルウェの機嫌が良い日だ。わかりやすい性格をしている。そして可愛い。


 僕は魔素を吸って生きてるような不可思議な鎧の魔物。

 食事は必要ないため、お腹をぎゅるるるとならしているフラム先輩ではなく寝起きでも可愛いエルウェに譲ることにしている。


 そこで変な遠慮をして欲しくなかったから、エルウェの柔らかい太股の上に座らせてもらうことで手を打った。ここでも後頭部にあたる感触がよきよき。ていうか、そもそも椅子は一脚しかないのだよ。


 食器を水に浸すと、狭い洗面所へ。


 シャカシャカと歯を磨くエルウェの隣で、同じようにブラシを用いて面甲ベンテールを磨くのが今の僕のスタンス。事の始まりはフラム先輩が尻尾で器用に歯を磨いているのを見たから。仲間はずれにされるのが嫌だったわけじゃないんだからね!


 顔を洗ったエルウェがポンポンとタオルで水気を取るのを待ってから、両手を斜め上に伸ばした格好でじばらく固まっていれば、やれやれと嘆息した彼女に抱っこしてもらえる。歯磨き粉で泡だった面甲ベンテールを冷たい水で流し、ガシガシとタオルで拭いて貰うまでが一連の流れ。


 さて、次は魔物との戦闘に身を投じる上でかかせない身支度だ。


 大胆に下着姿になって着替えをしているエルウェ――最初は僕の視線を気にしている様子だったが、今ではもう諦めたみたい――を体育座りをしながらガン見するのが日課になりつつある。それが僕の準備。やる気を蓄えてるのさ。


 着替えが終われば、ボロボロの宿の床を抜かないようにそろそろと廊下を歩いて階段を降り、百歳は超えてるんじゃないかと思われるよぼよぼの笑顔が可愛い大家さんに挨拶。フラム先輩は肩、僕は太股という定位置につくと、好奇の視線を浴びながら冒険者組合へと向かうのはもう慣れっこだ。


 なお、慣れているのは僕とフラム先輩だけであって、エルウェは年頃故か微妙に頬を染めて俯き気味だ。多分だけど、大腿にしがみついている眷属が羞恥を感じる主な要因になっているようだ。はは、どこの誰だよそんな真似をする眷属とやらは、変態かっての。ええ、変態です。


 冒険者組合では決まってヨキさんと言葉を交わしてから依頼を受ける。

 他人行儀な態度をとるエルウェだけど、強がっているだけで実は甘々なのかもしれない。ヨキさんのエルウェに対する愛は言わずと知れている。テューミア支部に軽率に手を出してくるような輩はいない。


 受注する以来としては、採取以来だったり討伐依頼だったりで、報酬の少ない雑用系の依頼はやっていない。屋敷のお掃除とかペットのお散歩代行とか雑務の有名どころも人のためになるけれど、やはり新人冒険者向けなのか収入が少ないのだ。


 今の僕たちは《荒魔の樹海クルデ・ヴァルト》の浅域で活動しているため、フラム先輩が無双して即終了。平均して二つ、多いときには一日に三つの依頼を受けられる時さえある。頑張り屋さんだ。


 夕暮れ前にはギルドに帰還、やはりそわそわと帰りを待っているヨキさんと顔を合わせてから彼の家へ。歓迎してくれるサエさんと雑談しながらドラゴンの卵に魔力を注ぐ。本当にいつ孵ることやら、僕もエルウェの目を盗んでこっそり魔力注入しておいた。


 言うんだ、僕後輩が出来たら(君は後輩だと言い張る予定)言うんだ。


「おいおいおい、何言ってるんだい……? 君は僕の魔力を吸って育ったんだ、ちゅーちゅー、ちゅーちゅーってね。ちゅまりだ、何が言いたいかわかるね? 君の身体は僕の魔力でできている! じゃぁ君の身体は僕のものだっ! 拒んでも無駄さ、残念だったね!? 君は既に犯されているんだよ! この僕にッ!!」


 ってね! つまり既成事実をつくったのである。


 昔からよく言うもんね。一人殺せば何人殺しても同じだって。そうそうその原理。将来美少女(だと思い込んでる)に人化するドラゴンちゃん(雌だと思い込んでる)に保険をかけたってわけ。天才かよ。


 ……完全な悪役ではあるけど。

 まぁいいんじゃないかな。僕って人外だし。人のモラルとか持ち出されても僕って人外だし。大事なことだから二回エトセトラ。


 と、まぁ宿に戻ったらすぐに、宿で出される夕食を食べる。

 おばあちゃんの味というやつだろうか、大家さんの作るご飯は絶品だ。……絶品らしい。僕は食べてる姿を見てるだけだからわかんないんだよこんちくしょう。


 その後も、便所に向かった彼女の後を当たり前のようについていって蹴り飛ばされたり、彼女が浸かっている浴場のお湯の中からザバン、と登場して蹴り飛ばされたり、先に帰ってろと命令されたからエルウェのパンツを被って自室に戻ると、しばらくしてリネン服の裾を手で押さえて真っ赤になった彼女に蹴り飛ばされたり。


 こうして一つ一つ思い返すと、僕ってただの変態じゃね……なんて思い始めてしまうから恐ろしい。変態は変態でも、美少女限定で欲情する変態なのである。ブスは無理。


 それから、僕もフラム先輩とお揃いのポーチを持たされ、お小遣いを貰うことになった。

 その金額は勿論だが多くなく、【風天】に飯を奢った際に支払ったフラム先輩のあの金は何年かけて貯まった物だったのやら……少しだけ申し訳なく思う。


 その中でも記憶に新しいのが、貯まったお金を好きに使いなさいと言われた際に、これといって欲しいものなどなかったからエルウェに履いて欲しい可愛いパンツをプレゼントしたら凄い複雑な顔をされたこと。肌触りの良い黒の生地に紅いリボンと、良いセンスしてたと思うんだけどなぁ。


 そんな感じで、魔物使いの眷属として健全なしもべとなった僕の一日が終わる。


 エルウェとフラム先輩と僕、一人と二匹でたわいもない話をするのは楽しかった。

 僕に限っては洞窟で一人旅をしていた経験があるせいか、それだけで至上の幸せを感じていた。些細なことに嬉々たる反応を示す僕に、二人は若干引き気味ではあったけれどね。


 ギコギコと軋むベットに一人と二匹が身を寄せ合い、二枚の毛布を一緒に被る。

 フラム先輩の体温が高いため、冬は重宝するらしい。因みに尻尾の炎は魔素マナの放出によって作り出された幻覚のようなものなので、発火する心配はない。


 僕がしばらく無言でエルウェの目を見つめ圧力をかけていると、彼女は一度こほん、と咳払い。ちょっとだけ赤くなった顔を見られたくないように、伸ばした両手を僕の兜に回し――むぎゅっと抱きしめる。


 顔面を覆う極上の感触。睡魔なんて来ない。やってくるはずがなくて。

 相変わらず良い匂いだ、なんて思いながらエルウェを堪能していると、寝付きの良い彼女の寝息が直ぐに聞こえてくる。起こしてしまうといけないから、無駄に触ったりはしない。


 僕の一日の終わりも、やはりエルウェのおっぱいの中なのだ。


 紫紺の瞳を閉じると、薄闇の世界でうたた寝をしているシェルちゃんに会うことが出来る。

 彼女は僕が来るのを待っていたようで、僕に気がつくと嬉しそうな顔をするんだ。ああ、なんて罪な男なのだろうか、こうして二人の少女をたぶらか――シェルちゃんはノーカンか。そうだな。そうだよ。


 そうして、お腹にもたれかかる僕を包むように身体を丸めたシェルちゃんと共に、僕は深い眠りに落ちるのであった。

 


 ****** ******



神薙かんなぎ教……ですか?」


 冒険者組合副ギルドマスター、リオラ・エレガントは毅然とした表情で先に投げられた言葉を反芻した。


 彼女が手をつく机を挟んで向かい合う先、ギルドマスターの執務室にて「ああ」と小さく頷くのは左り目を跨ぐ裂き傷が特徴的な強面の男、ヨキ・テューミアである。


 ヨキは金属製の椅子に足を組んで座り、手元の資料に視線を落としながら続けた。


最近皇都で取り沙汰されている無差別殺人……例の『通り魔』事件だが、あの神薙教が関与している可能性があると上層部から報告が入った」


 ――『神薙教』


 世界中に存在する反社会的な組織の中でも、指折りの知名度と実力を有する集団である。


 ヨキの言葉に「そんなまさか……」と顔を青くして目を伏せるリオラ。言葉ではありえないだろうと、そう言っているが、それくらいに信じたくない一心なのだろう。


 ややって、現実を受け入れてきた彼女は独り言ちるように零す。


「……いえ、最初の犠牲者から一週間、もう指では数え切れないほどの被害が出ています……騎士団の方々も問題解決のために多く人員を割いていることでしょうし……そうですか、神薙教が、また、、……」


 強調された言葉尻にピクリと眉を上げたヨキ。

 記憶をまさぐるように一つ息を吐いてから語り出す。


「ああ、お堅い騎士団連中も今回ばかりは躍起になって犯人を捜してるぜ。二年前のこともあるからな」


「っ……やはりそうですか。個人の犯行にも関わらず三桁もの死者を出した、皇都の歴史に類を見ない最低最悪の事変……ついぞ犯人が捕まらなかった、未解決、、、の『連続殺人事件』ですね……?」


「ああ、それだ。ある日を境に忽然と凶行が終わりを告げたわけだが……未だ足取りは掴めていないそうな。世界的な反社会的組織である神薙教の仕業――ということにしてギリギリ騎士団の面子は保てているが、俺の知り合いは解決の糸口も見つからないって涙目だったぜ」


 やれやれ、と両手を上に受ける仕草は壮年も半ばを超えた年齢も相俟って、妙にこなれている。


「それで……今回の騒動もまた、神薙教が関係していると?」


「証拠が少なすぎるし正確な情報じゃねぇんだが、そう考えたくなる気持ちはわからんでもねぇ。未知ってのはただそれだけで恐怖だ。そうやって不確定な元凶を『神薙教だ』と仮定してしまえば、それだけで民間人の混乱の指向性も大分違ってくる」


「それはそうですけど……私は今でも夜になると、思い出す時があります……」


 ぽつぽつと言い、リオラは震える肩を自らの腕で抱く。

 白い顔にうっすらと影が縁取った。


「そうか……お前は祖母を神薙教の教徒に――悪い、失言だった、怖がらせちまったな……」


 頭を掻くヨキの言葉に、リオラは力なく首を振った。


「いいえ、神薙教の被害にあっている人は世界中にいます。私だけじゃないですから……冒険者や民間の人だって、それに――エルウェちゃんだって……」


「……ああ。だからこそ、はやく捕まえられたらいいんだが……ただまぁ、そういうことだ。今皇都の巷では専ら噂されてるんだよ。二年前の事件の再来だ、ってな……」


 コクリと無言で頷くリオラ。

 ヨキは目尻を下げて彼女を見ると、大きな麻紙と文字を書くための筆型魔導具を机の棚から取り出す。


「さて、と。冒険者各位は単独行動を控え、なるべくパーティで動くように。それと夜に出歩かないようにあたりか、忠告の張り出しをするとして……問題はソロの冒険者だが……」


「気さくな冒険者ならいいですけど、頑固な性格のソロ冒険者も多いですからね……プライベートに干渉すると怒り出しますよ、きっと」


「ああ、まったくだ。そいつらにゃあ別の冒険者にちょくちょく様子を見て貰っとけばいいだろ……とにかく俺は上位の冒険者を集めて討伐隊を編成せないかんのでなぁ……騎士団の連中もうるせぇうるせぇ」


 乱雑に汚い文字ですらすら書き終えると席を立ち、防音効果もある扉へ向かう。

 そんなヨキの背負う雰囲気には、濃い疲労の色が見て取れた。


 冒険者組合に勤務する受付嬢は激務を極めるが、それはギルドマスターも然り。エルウェを朝に送り出し、夕方に迎えるのがヨキの隙間時間の精一杯だ。休息を取るよりそちらを選ぶ当たり、子離れできていない様子が窺えるけれど。


「意外ですね。ヨキさんならエルウェちゃんを心配して、真っ先に護衛を十人つけるとか言いだしそうですけど」


「お前は俺を何だと思ってるんだ……」


「親馬鹿?」とあざとい仕草で首を傾げるリオラに大きく嘆息し、ヨキはなんでもないように手を振った。


「あの性格だ、護衛をつけるって提案しても頑なに聞き入れないだろ。最近は特に調子がいいみたいだしな、せっかく独り立ちしたあの子にそんな茶々をいれたくねぇ……それに、エルウェが宿にいる限り万が一はねぇよ」


 どうして? という双眸が扉を開け、気温が数度低い廊下に出たヨキの背中を追いかける。


「それはな」

 

 閉まりゆく扉の隙間から、ヨキのにやりと笑う顔が窺えた。

 そして透間風のように吹いてきた言葉に、リオラ瞠目する。


「あの宿には先代ギルドマスター……とんでもない化け物がいるからだ」



 ****** ******



「はぁ……やっぱり恥ずかしいわ。エロ騎士……人目のあるところで太股に張りつくのはやめてくれないかしら?」


「ええっ!?」


 魔熊族マリス・ベア三体の討伐、筋肉兎マッスル・ラビット十体の討伐、上級薬草十五本の納品等、今日もハードな一日を終えてぼろ宿に帰還した際にかけられた言葉が、労うどころかそんな優しさの果てしなく乖離した内容で。


 僕は鳩に豆鉄砲をくらわせたゴブリンみたいな顔をした。


「なんで鳩が豆鉄砲を食ったような感じに驚くのよ……いや、わかるでしょ? 私はこれでも年頃の女の子なの。恥 ず か し い の!」


 いろいろ間違えた言い回ししてた僕の方が恥ずかしいよッ!!


 と、ぐちぐちうるさいエルウェを無視して悶えていると、一階のやはりボロい食堂のキッチンから背中が直角にまで曲がった一人の老婆が出てくる。


「おやおや、今日もお疲れ様だねぇ。疲れただねぇ。腹一杯ご飯食べてぇ、風呂に入ってぇ、明日もがんばんなねぇ」


「あ、大家さん」


 そう、この何百年と歳を重ねてそうなよぼよぼのお婆さんは、エルウェが住んでいる宿の大家さん。

 エルウェは恐縮そうに頭を下げた。フラム先輩なんて足にすり寄ってこび売ってる。あ、なんか食い物貰ってるし。本当にあざとい先輩だ。


「いつもお世話になってます。大家さんの食事とこの宿のお風呂だけが私の救いです……」


「そうかぃそうかぃ。エルウェちゃんはめんこいねぇ。あの男が育てたとは到底思えないわぃ」


「あの男?」


 僕が首を傾げて不思議がるも、ふぁっふぁっふぁと怪しい笑みで返されるだけ。そしてこれ以上言うことは何もないとばかりに大家さんは背中を向けた。そのまま覚束ない足取りでキッチンに戻っていく。


「むむむ、今の去り方格好良いな……あの婆さん、何者だ!?」


「何言ってるのよ。早く部屋に戻るわよ……あれ? 何か大事な話をしようとしてたのだけど……まぁいいいわ。あー疲れた、早くお風呂に入りたい~」


「あ、待ってよエルウェ。あのさあのさ、女の客なんてエルウェくらいなんだから、僕も一緒に入りたいよ。良いでしょ?」


「次入ってきたら殺すわよ」


 今にも崩れてしまいそうな乾いた音を立てる木造の階段を登る僕たち一行。

 キッチンに戻った大家さんが、怪しい笑い声を響かせて水晶の魔導具を操作していたことを、この時の僕らはまだ知らない。


「ふぉっふぉっふぉっふぉっべぇくしッ!?」


 ガポーンと、飛び出した入れ歯なにかが落ちる音がした。

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