第一章『人外×幻想の魔物使い』

prologue:偽りの悲影


『――お前は偽物、、だ』


 耳にこびりついて離れない、その残忍な言葉は。


 今日もオレを『偽物』たらしめる。




 ****** ******




 夜の帳が降りると、決まって胸の奥が痛む。

 手元から摺り抜け、砕け散ったはずの記憶がジクジクと疼いた。


 さらさらと崩れ去った暖かい感情は、月明かり差し込む宿の隙間風が吹き込む窓から飛び出し、街路に積もっては朝になると行き交う人々に踏まれ汚れていく。


 深い闇に、燐光のような雪が舞い始めた。

 すぐにでも雪雲に覆われるだろう、どこかで見たような星空に――きらり、と。


 何か切ないモノが流れた気がして、その存在――『悲影』は夜空を仰いだ。


 遙かなる高みから見下ろす、中途半端に欠けた三日月。

 弱い月光に照らされ、見慣れた町並みに落ちた淡い影はまるで自分のようで。深い深い、海の底にいるような気にさえなるから不思議だ。


 青黒い薄明かりに包まれた世界は、『悲影』に泡沫の夢を幻視させる。

 何度も何度も、ひび割れた夢の浮橋を渡らせる。


 そう、それは夢。

 小柄な少女と手を繋ぎ、他愛ないことを話しながら帰路につく夢。


 何気ない笑顔が咲いていた。

 穢れなき瞳が混じり合っていた。

 尊く愉快な感情がそこには確かにあった。

 繋いだ手の温もりが……今もなお燻っていた。


 ちらちらと過る、記憶の断片。それは知らない二人。知らないはずの景色。

 こちらを見上げる無邪気な笑顔が、たとえ夢であれども『悲影』には眩しすぎて。 



 けれど。

 いつか、いつか『本物』になれたのなら――



 強い風が吹き、窓がガタガタと音を立てる。

 叶うはずのない、、、、、、、願望は、見上げた冬の夜空へ溶けて消えた。


 そういえば、あの日もこんな寒い夜で。

 漂う冷気を浴びながら、夢現を彷徨うその存在と彼女、、は出会ったのだったか。


 あの日、あの夜に感じた郷愁のような感情は――


 ……それ以上は、馬鹿らしくなって考えることをやめた。


 溜息を一つ漏らすと、ドクン、と胸の魔石しんぞうがおもむろに脈打った。


「――ぅ、ぁぐ、ぅあ――――っっ!?」


 瞬間、吹き荒ぶ衝動の嵐。

 胸元から這い上がり脳裏にまでがんがん響く早鐘が、血色の瞳を細めさせる。

 次々に湧き上がる醜い感情を抑え付けるように、『悲影』漆黒の胸を掴んだ。

 唇に該当する部位を噛みしめた。赤い血がどうして出ないのか、そんなことを思う自分がついと可笑しくなる。


 自分は元から自分だというのに。

 この身は深淵から生じた魔の物だというのに。

 それも、悪の肥だめのような、うんと穢れた――歪な影の。


 思考が闇に染まる。『殺せ』ともう一人の自分が囁いてくる。

 闇の中でも目立つ赤眼は、背後の寝台ベットで寝返りを打った少女の華奢な『首』を確かに捉えていた。


 果てしない渇望に促されるまま、椅子から腰が浮きかけ――


「うみゃぅ……おに――ん――……でへへ」


 けれど、発せられた少女の寝言でハッと我に返る。

 見やればどこか幸せそうな少女の表情に、何を馬鹿なことをと自らを戒め、どうにか衝動を耐え忍ぶ。


 静まれ。

 鎮まれ。

 まだ、大丈夫。

 まだ自分は、少女キミの側にいれる。


 大きく息を吸い、ゆるりと息を吐く。

 荒くなった息も次第に落ち着きを取り戻し、内なる衝動がようやく収まり始め頃。


 きらり、と夜空を光の輝きラインが走り抜けた。


 今度こそはっきりと目にしたそれに、なんだか無性に息苦しくなって。

 眠りにつくキミを起こさぬよう、腹の底で渦を巻いている鬱憤いきを吐き出すように、『悲影』はポツリと小さく呟いた。



「…………流星、か」



 それは、流れ落ちた『涙』のような。


 儚い軌跡を描く、小さな小さな流星だった。




 ****** ******




 ――オレは偽りの影。悲しき憤懣に溺れた闇。


 世界で最も少女キミを愛し、世界で最もキミを殺したい男。

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