コップの中の漣・中Ⅰ
「お前、春…春斗なのか?」
勤務先で倒れて市内の大学病院に運び込まれて、意識を取り戻した翌日に祖父がお見舞いに来てくれたのだけど、僕を見るなり祖父は目を丸くした。
今の僕は酷い姿をしている。
それもそうだ、ストレスで不眠症になり満足に睡眠が出来ていないから目の周りは濃い隈が出来るている、体は忙し過ぎてちゃんと食べていなかったから痩せ干せていて、最近では食事が喉を取らなかった。
今の僕は柳の木の下に居る幽霊の様な姿になっている。
「なんじゃあ、春は何時からお化けになったんじゃ?」
祖父は絞り出す様に、それでも何時もの様に陽気で気楽な好々爺であろうとしてくれていた、両親が事故で他界してから高校を卒業するまで一度って僕の前で暗い顔をした事が無い祖父は、こんな状況でもその姿勢を崩すまいとしてくれていた。
「お化けって、お化けには足がな―――」
「何ではよー言わんかった!!」
「じいちゃん」
「聞いたぞ」
「……」
何も言えなかった、初めて見る怒った祖父の顔を見て僕は何も言えなかった。
「まともな働き方じゃない、それに倒れてのはこれが初めてじゃないそうだな、何でもっとも早くワシに相談してくれんかった。脅されて仕事も辞められんで、こんなボロボロになって……」
祖父は僕の枯れ木の様に細くなった腕を握って、泣き出した。
ごめんじいちゃん、でも僕はじいちゃんに迷惑を掛けたくなかったから。
駆け落ちして勝手に子供を作って、その挙句に事故死した僕の両親の代わりに散々迷惑ばかりかけた息子の子供である僕を大切にしてくれたじいちゃんにこれ以上心配を掛けたくなかったんだ。
後悔ばかりが浮かんで来る。
何でこんな選択をしてしまったんだろう。
ただその後悔ばかりが浮かんで来る。
♦♦♦♦
一週間が過ぎた頃に漸く店長や本部の人が来た。
口々に僕が元気みたいだと言って、仕事に復帰が出来るのか何時だと訪ねて来て担当医の人に聞いてみないと分からないと答えたけど、早期の内に退院して復帰が出来る様にしろと言われた。
そうしなければ会社が損害を被るから、手続きが必要になると言って帰って行った。
つまり脅しだ。
僕が務めているスーパーは品質重視を謡い、他社がしていない新しい事に挑戦すると確信的な企業を謡っている。
だけど実態は小売業を支えるパートやアルバイトを使い捨ての道具としか思わず正社員が本来なら負担する仕事まで負担させ、そして数少ない正社員を馬車馬として酷使する、典型的なブラック企業だ。
ただ若い頃の僕はそれを鵜呑みにして入社した。
そして入社してすぐに研修も無く配属された場所で徹底的に酷使される日々が始まり、気付けば高校を卒業して7年が経っていた。
病院のベッドの上に座りながら僕はただ何でこうなったのか自問自答を繰り返している。
頑張る。
ひたすらそんな人生を送っていた、両親が死んで祖父に引き取られて、親無しと馬鹿にされても歯を食いしばって生きて来た。
誰かに頼る事を自分に禁じて、その末路が病院のベッドの上。
自然と涙が出てきた。
何でこうなったんだろう、すごく自分が惨めだった。
♦♦♦♦
「じいちゃんの家に?」
「そうじゃ、ワシな啓二の家に移る事になっての、じゃからあの家はお前にやる、そんで養生せい」
お見舞いに来た祖父は開口一番に言った言葉に僕は唖然とした。
隣には叔父の啓二さんが居て何時も眼鏡の先から鋭い目で僕を見ながら祖父の言葉を肯定する。
「そうだ春くん、父さんも歳だ、全く自覚していないがね。だがそれでも何があってからでは遅いのでね、しかしそれだと実家が空き家になるし取り壊すにもあそこは思い出が詰まっている、そこで君に住んでもらう」
何時もの拒否する権利を一方的に否定する叔父の口調に圧倒されながら僕は状況を理解する事に務める。
「そもそもだ、このまま市内に住んでいれば間違いなくまた倒れる。そうなると私の心労が絶えない、なので福山に戻って来てもらう、いいね?」
「は、はい」
叔父は一見すると冷たい人に思えてしまうけど、本質はとても情の深い人だ。
普通なら腫物として扱われる筈の僕を普通に甥っ子として接してくれる。
だからこそ迷惑を掛けたくなかった。
ここは素直に言う事を聞いておこう。
「それと春くん、戻って来るのは良いがそもそも君が倒れた原因の一つは君自身の不摂生にある、そこで君の生活習慣の改善も兼ねて父さんの友人に君を世話してもらう事にした」
「え?」
「父さんの家の隣に住んでいている気の良い青年だ、入って来てくれ」
叔父がそう言うとそいつは入って来た。
2メートルはありそうな巨躯、それでいて体は引き締まっていて肌は日焼けをして真っ黒で、何より祖父の様に心底陽気な顔をしている。
「おっす!あんたが春斗か?いや、本当にお化けみたいに痩せてんな!飯食ってるか?病院食は栄養面がしっかりとしてるから残さず食えよ!」
絶句だった、入って来るなり他に入院している人の事を全く考えずに大声で喋り始めたその男に、僕は絶句した。
まだ高校を卒業して間もないのか少年から青年に変わる過渡期の様な幼さの残る顔、そしてその行動はまさに学生気分が抜けていない若者だった。
「彼は野分 雄介君だ、今年で二十歳になる。
「うっす!野分雄介だ、聞いての通りだよろしく!」
♦♦♦♦
「お!起きたか、珍しいな春が昼寝するなんて」
気付いたら僕は縁側で寝ていたみたいだ。
隣には雄介が居た。
その所為だ、出会った時の夢を見るなんて。
「しっかし雨か、困んだよなこの時期に降られると。降るなら雨じゃなくて飴が降ればいいのよお、そしたら食べ放題だ、いや飴だから舐め放題か!」
「飴だと降って落ちて砕けて終わりだよ」
「んだよ、夢がねーなー!男なら何時だって心に夢だろ」
「男が全員、雄介みたいに単純じゃないんだ」
僕は立ち上がって台所に行く。
蛇口を捻ってコップに水を入れて渇きを訴える喉を潤す。
「そういや春はどっか出かけるのか?」
「いや、雨が降られると自転車に乗れない。合羽を持ってないからね、でもスーパーに行かないと食べ物が無い」
「そんじゃ俺のフェラーリで送って行ってやるよ」
「君が乗っているのは軽トラだろ?」
「知らねーの?俺の軽トラは農道のフェラーリなんだぜ!」
「知らないよ、少なくともフェラーリは軽トラが十台は普通に買える高級車だ」
何時だって、あいつと一緒に居ると僕の心に漣が立つ。
苛立ちとか、そういうのもあるけど何故だろう。
あいつと話しているとすごく楽しい。
そして心が騒めいてしまう。
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