第32話 今年も悩み、迷い、進んでいく予定。

少し間があいてしまいました。

何かとバタバタして自分の時間が取れません…そんなんはまあ、言い訳なのですが。


子どもたちの様子としてはそう変わることなく。

その中でも、カースケさんは少し落ち気味かなー、という印象です。

好調期がいつになく長かったので、そろそろ落ちてくるだろうという予想はあったのですが、久しぶりに「死にたい」とか「殺して」とか言われると、なかなかに辛いものがありますね。


なんせ小6。これから中学生になるのに変わらぬ自分の現状。そんなこんなを考えて、落ち込むのも分かります。

ただその気持ちを、「死にたい」ではなく別の感情で示してくれるようになるのが理想ですけどね。


それに関しては一つ兆しが。

昨日話しているうちに、「死にたいって言ってるけど、ほんまに死にたいのかが分からんようになってきてん」と言い出したカースケさん。「死にたいって言葉で現実逃避してるんちゃうかな」と。

そこまで自分で考えられるようになったというのがすごい成長なのでは!?とびっくりしました。


かねてより、この「死にたい」に関してはカースケさんの考察通りだと思ってきました。

死にたいというより、逃げたい。ここにいたくない。そんな気持ちを本人的には手っ取り早く、「死にたい」と言うんだと。

でもそれは、自分で気づかなければどうにもならないってことも分かっていて、言葉通りのことを衝動的に遂行してしまわないように見守るしかないなぁと思っていたのです。

やっとそれに気付き始めたのであれば、もう少しでカースケさんは一歩踏み出せるのかもしれません。

でもこれはただの希望的観測かもしれないので、私のスタンスとしては相変わらず、話を聞いてあげることと見守ること、それしかないのでしょう。


一方チーコさんの方は、学校以外のことでは元気に過ごしてます。

漠然とした不安も以前よりは軽減している気がするし、習ってるバレエは頑張って取り組んでます。ほんの少し勉強もやるようにはなってきました。

それでええやん!充分やん!と私は思っているのですが、ここで問題なのが、チーコさん自身に「学校に行きたい、行けるようになりたい」という気持ちがある、ということ。

本来、その気持ちがあることはいいことなんだろうと思うんです。

そう思ってるのならいつか何とかなる気がする、そんな時代もありました。

なのになぜ問題なのか。それは、思いと体が伴っていないから。


このまえチーコさんが話してくれたことによると、学校に行こう!と思って目覚めたとして、そこから気持ち悪くなってしまうから行けないんだ、と。

寝起きが悪いというのももちろんあるけれど、それより学校に行くことを思うと気持ち悪くなるのが今の問題だ、と言うのです。


それって、体が学校を拒否してるんちゃうの?


単純にそう言い切れるもんでもないんでしょうが、私には明らかに体側からの拒絶に見えるんですよね。

そうなると、「学校に行かないと!」「学校に行きたい!」と思っているその気持ちに添えない自分自身に苛立ったり悲しんだり、余計にしんどくなってしまうのではないか、という懸念がこちらとしてはあるわけです。

とにかくこの「気持ち悪くなる」という現象を、精神的なものと身体的なものそれぞれの観点からしっかり見極めて行かなければ、と思っています。


私が望むのは、学校に行くとか行かないとかそんなことじゃなくて、子どもたちにイキイキと楽しくこの世を渡っていってもらうこと。これ以上あの子達がしんどい思いをしなくていいように私に出来ることはなんなのか、これからもより一層考えて行かないといけないなあ、と思う毎日です。

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