ノックの音が

石田篤美

ノックの音が

 ノックの音がした。

 書斎の重いドアが開けられ、外から少年が入ってくる。私のかわいい息子だ。


「父さん、ちょっといいかな?」

 パソコンに文字を打ち込んでいた指を止め、息子の方へ身体を向き直す。

「ん? どうしたんだい?」

「さっき押し入れを調べていたら、こんな本が出てきたんだ」

 そう言って息子が私に差し出したのは、一冊のキャンパスノートだった。


 何の変哲もない普通のノート。だが、私は妙な既視感を感じていた。

「こ、このノートが、どうかしたの?」

「中を見て」

 息子の言うとおりに中を確認すると、そこにはギザギザの線が一行ずつ、全ページにわたって書かれていた。

「何か書いてあるんだろうけど、読めないんだよ。父さんなら分かるかなと思って」

「う、うん、そうだな。これは……」



 ――言えない。言えるわけない。



 このギザギザ線は、私が昔書いた小説の文だって。



 私は子供のころから字が壊滅的に下手だった。何をどう書いても、線状になってしまう。


 昔から作家にはなりたかったが、書いても読めないのならどうしようもない。


 だからこそ、家にパソコンが来た時には心が躍った。


 今まで書いてきた作品をパソコンに打ち込み、完成した原稿を出版社に送ると、すぐにデビューが決まった。

 その後もヒットを飛ばし、結果、ノーベル文学賞を貰えるような地位まで辿り着いた。


 もはや過去のことなど忘れていたが、まさかこんなところから出てくるとは!

(これが私の書いた字だと知られるのはまずい)

 息子は私のことを尊敬してくれている。もしその事実を知ったら幻滅するだろう。もう二度と話をしてくれない可能性だってある。それだけは避けねば。


「ねえ父さん教えてよ、何が書いてあるか!」

「え、ええっと、それは……」

 絞りだすんだ。息子が納得するような言い分を。


「――宇宙人」

「え?」

「そうだ宇宙人だよ! これは父さんが子供の頃に宇宙人からもらった手紙なんだ!」

 黙り込む息子。さすがにこれは厳しかったか……?



「――えーっ⁉ 父さん宇宙人と知り合いだったの⁉」


(よっしゃラッキー! バレてない! あっぶね! セーフ! お父さんセフセーフ!)


「ああそうさ。お父さんの同級生に火星人がいてな。そいつがくれたファンレターなのさ」

「しかも同級生!? 何て書いてあったの?」

「『アナタノ小説ハ素晴ラシイ。モット書イテ下サイ』」

「それだけ? 全ページに書いてあるんだけど」

「宇宙人の文字はそれだけのスペースを有するらしい」

「スケールでけぇ! やっぱり宇宙人半端ねぇ!」

 息子は私の話を目をキラキラさせながら聞いている。どうやら本当に信じ切っているようだ。

(やれやれ。どうなることかと思ったが、ひとまずこれで一件落着だな)


「あれ? 父さん、外を見て!」

「どうした?」

 息子に言われたとおりに窓を開けると。


 上空には巨大な円盤が浮かんでいた。


「なんだあれ……」

「父さん、中から誰か出てくるよ!」

 謎の円盤から降りてきたのは、長い触手を持った三つ目の生物だった。

 生物は私のそばまでやってきて、おかしな言語で話し始めた。

『……! ……、……!』

「な、何だ?」

「父さん、もしかしてこれがファンレターくれたっていう宇宙人?」

「え? えっと、そ、そうだよ?」

「すごい! なんて言ってるの?」

「ひ、『久しぶり』って言ってるんだよ。な? 久しぶりだなぁ、小学校以来か? ん?」

『……! ……!』

「だよなあ。お前随分でかくなったなぁ、あの頃は俺より小さかったのによ」

『……! ……? ……、……!』

「え、お前子供三人もいるの? それで会社の社長って、いい人生送ってんじゃねえか! ええ⁉」

『……。……! ……!』

 するとその生物はノートを指さして何か叫び始めた。

(もしかして、このノートが欲しいのか……?)

「あ、ああそうだ。このノートな。大人になったらお前に返すって約束だったな、ほらよ。じゃあまた近い内に、皆で飲みに行こうぜ! じゃあな!」

 ノートを受け取った生物は嬉しそうに帰っていく。


 円盤が空の彼方へ消えた後、私は息子にこう言った。

「――なぁ。漢字ドリル貸してくれないか?」

「え? 何で?」


「字を書く練習、ちゃんとしようかなって」


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ノックの音が 石田篤美 @isiadu_9717

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