夢あわせ

@Aomi_kins8149

第1話

 あれは、いつなんどきのことでしたでしょう。

 そうあれは…わたくしがM家の女中見習いとして奉公ほうこうに上がって、しばらくった頃の出来事であったと思います。

 当時のわたくしはまだ娘にすらならないほどの、幼い子供でした。

 わたくしはそろそろもの心がつこうかという頃にふた親とも亡くし、ほかに身よりも無かったことから隣近所の方々のお情けでしばらくは持ち回りで面倒を見てもらっておりました。しかし、いつまでもそうしているわけにはいきません。かんたんな使い走りならこなせるように育ちあがったところで、今後わたくしが身を立てていけるようにと、大家さんが口入れ屋を通じて住み込みの奉公先を見つけてくれたのです。さりとて、はなっから言いつけられる用事の一から十までをとどこおりなくこなせるわけもありませんから、当初のわたくしはすっかり持て余し者でした。

 ところでM家とは、いま思い返してみても本当に風変わりなお宅でした。洋風の邸宅に合わせて女中のお仕着しきせも洋装と決まっておりましたが、あいにく子供のわたくしのたけ見合みあうものがありません。それでどうしたのかと言えば、なんとわたくしには奥様の子供時分こどもじぶんの洋服があてがわれることとなったのです。家中一かちゅういちのみそっかすが、旦那様と奥様を別にすれば一等なりが良いとはいかがなものか。あなた、どう思われます?

 そうですね。ほかの使用人からやっかまれていじめられていてもおかしくはありませんよねえ。でも、そのようなことはついぞありませんでした。なにしろ奥様の古着ふるぎをお仕着せにしようと言い出したのが当の本人であり、この思いつきがすっかり気に入った様子でしたので、となえる者などあろうはずもありません。ただしこの一件によって、わたくしはほかの使用人たちとの縁がすっぱりと切れてしまったのだと思います。それはわたくしのお話をお聞きいただくうちに追々おいおいなんとなく分ってくるかと思いますので、詳しくは説明しませんのでしからず。

 お話を戻しますと、自身の古着を着せられたわたくしの姿に満足した奥様は、翌日からわたくしを人形に見立てて着せ替えごっこを始めました。服の組み合わせを考え、髪の結い方にも工夫くふうらし、髪飾りはどれが良いかを選び出し、首飾りを下げるのも良いかもしれないとあれやこれやと夢中でした。

 そうそう、まだお話ししていませんでしたがM家の奥様はまだうら若い方で、いまで言えば女学生さんくらいの年頃でしたでしょうか。ですから奥様といっても、わたくしの母に当たるような年代ではなく、歳の離れた姉といったところでした。よそ目から見ても仲の良い姉妹が遊んでいるようにしか見えなかったでしょう。

ですが、いくら歳が近いとは言え気安く話せる相手ではありませんし、奥様の方にしてもなれなれしい態度は一切取りませんでしたから、着せ替えごっこはわたくしにとっては気詰きづまりな時間でした。わたくしとしては奥様から解放されて、お客の接待せったいつとめている方がよほど気楽でした。

 いえ、これは大仰おおぎょうな言い方をしましたね。わたくしはせいいっぱいお客をもてなしていたつもりだったのですが、本当のところは順番待ちのお客の暇つぶしの相手をしていただけなんでしょうねえ。

 ええ、皆順番を待っていたんですよ。病院の待合まちあいみたいにね。

なにかしら相談事のあるお客がひっきりなしに訪れますので、その方たちが談話室で順番待ちをしているわけです。難しい顔をしてひとりで座り込んでいる紳士や、部屋のすみひたいをつき合せてひそひそと話し込んでいる夫婦者もあれば、おらしき人を従えたどこぞのお嬢様やら、と様々なお客が居ました。

 え、M家の当主はよほど篤実とくじつな人物だったのだろうって?あら、いいえ。旦那様はかなりの年寄りで、その頃はみついて屋敷の奥で伏せたっきり起き上がることもできない有様でしたし、人柄がどうであったかなどわたくしは知りません。相談を持ちかけられるのは奥様で、もちろん相談に乗るのも奥様でした。お客は奥様を目当てにM家を訪れるのです。

 そうですねえ。その頃はなんとも思いませんでしたが。確かにそんな若い娘になにを相談するのかと言われれば、わたくしも改めて不思議な気がしますけれどね。それでも、M家のお客はどこをどう伝ってかはわかりませんが向うから勝手にやって来るのですよ、奥様を目指して。奥様が言うには“縁が結ばれてしまったのだから仕方しかたがない”ことなのだそうです。いえ、いまでも意味なんてわかりませんよ。わたくしはただ、そういうものなのだと真っ直ぐに納得しました。なにしろ子供でしたからね。それにね、奥様にはどこかこう…有無うむを言わせない雰囲気ふんいきがありました。

 あなた、先ほどから小娘小娘と気安きやすく言っていますが、それは奥様に直接会ったことがないから言えるのですよ。

 さておき、わたくしの奉公の手始めは奥様の着せ替え人形というお役目から始まりましが、それから程なくしてわたくしはあることに気がつきました。M家の使用人は誰も直接奥様とかかわろうとはしないのです。奥様は別に性悪しょうわるで使用人いじめをするとか、高慢こうまんから人を見下すという気配もない人でしたが、なぜか皆一様に奥様を遠巻とおまきにしており、ことあるごとにわたくしを取次に使うのです。風呂が立ったの、食事が出来たのと、いちいちわたくしを通して用事がされるようになりました。こうしてわたくしの役目は徐々じょじょと定まっていったのです。

 ある日のこと、わたくしは奥様の言いつけで談話室にお客用の茶菓ちゃかを運んでおりました。まだ幼い身体ではそれらをいっぺんに運べるはずもありませんから、まずは茶器ちゃきを運び、次に菓子をったはちを運びと、談話室とお勝手かってを行ったり来たりしなくてはなりませんでした。そうしていよいよしまいがお湯です。これが一等難渋いっとうなんじゅうするところで、女中がかした大きな薬缶やかんをえっちらおっちら運ぶのですが、中には煮立ったお湯がなみなみと入っておりますから大そうな重さです。これを中味なかみをこぼさぬよう、床をこすらぬようと持ち運ぶには休み休み行くしかありません。とは言えお湯が冷めては元も子も無いので、休みつ急ぎつ大汗をかきながらの道行みちゆききでした。

 何度目かの小休止でわたくしが立ちすくんでおりますと、不意ふいに横から伸びてきた手がヒョイと薬缶を取り上げました。驚いて目を上げると、そこには背の高いがっしりとした身体つきの若紳士がひとり立っていました。

 “どこまで運べば良いのか”と問われましたので、わたくしはもう一息のところまで近づいていた談話室の扉を無言で指差ゆびさしました。するとその若紳士はさっさと談話室に薬缶を運び入れ、さらには中のお客に手づからお茶をふるまい始めたのです。

 若紳士の名はSさんと言い、奥様の遠縁とおえんの方とのことでした。家が近いためM家にちょくちょく顔を出すのだそうです。談話室のお客とは別種のお客で、このSさんという方はM家の使用人に大変人気がありました。子供の目から見てもなかなかの男ぶりでしたので、女中頭にいたってはSさんを下にも置かぬもてなしようでした。

 今にして思えば、SさんとはM家の使用人にとって唯一まともな主人だったのでしょうねえ。年老いてやまいに伏せったきりの当主と、夫とは孫ほども年の違う若妻、そしてどこからともなく突然現れる得体えたいの知れないお客たち。口はばったい言いようですが、M家の使用人たちは気が気ではなかったのではないかと思います。わたくしだって、この日を境にしてMさんの訪れを心待こころまちにするようになりましたからね。

 こうして、いついつとの約束は無いにしろ先の楽しみが出来ますと、人間とは不思議なもので俄然がぜんと心にりが出てくるものです。わたくしはそれまで以上に熱心に勤めるようになり、次第にこなせる用事も増えていきました。そうすると子供なりにも自信のようなものがついてきます。

 わたくしの持ち場は奥様の周辺と、談話室。そこに居るお客の様子にもつぶさに目を光らせるようになりました。よくよく見ると、お客の中には一体なんの用事があって訪れているのか分らない者も混じっているようなのです。談話室には居るものの順番を待っている風もなく、他のお客の様子をひととおり眺めた後はぶらぶらと庭の中などを散策さんさくして帰って行く。まるでのようです。

 そのことを奥様に申し上げますと、めずらしくふと微笑まれ“それはその人の在り様だからとがむことではない”と仰り、それきりです。つまりは気にするなということだったのでしょうが、今回ばかりはわたくしも納まりませんでした。

 たいていのぬらりひょんは一度来るとなにかしらに満足して二度と訪れることは無いのですが、中には何度も訪れるぬらりひょんもあります。

 とりわけKさんというぬらりひょんが困り者でした。談話室に居るのはよしとして、屋敷中をわが物顔で探検してまわり、あまつさえ、わたくし以外の使用人にもチョッカイを出すのです。漏れ聞いたところではKさんは名のある家柄の出で、時折ときおり新聞にも名が乗るような有名人のようでした。ただしそれは美名びめいを伝えるものではなかったのでしょう、M家の使用人連中が陰口をたたく時に使われていたKさんのあだ名は“あのゴクツブシ”。

 Kさんがいつ来るかについては特に決まりはありませんでした。なん日も続けて来ることもあればしばらく見かけない時もあり、そうかと思えばまた不意に現れ、といかにもぬらりひょんらしい神出鬼没しんしゅつきぼつぶりです。本当に、あたかも待ちわびるかのごとくKさんの来訪に気をむよりも、奥様の仰るように放って置くのが一番なのです。

 その日やって来るはずのお客はいつもとはまったくおもむきを異にしておりました。

 前もって奥様に約束を取りつけている点もふだんとは違いましたし、その上余人とひざえることは固く遠慮したいとのことでしたので、わたくしは朝からてんてこ舞いです。ふだんの手順ですとお客はいったん談話室に通し、それから奥様にそのむねを伝え、奥様の仕度したくが整ったところで客間へ連れて行く。このくり返しで、その合間あいまに茶菓の用意をしたり、手持無沙汰てもちぶさたのお客の相手をしたりという用事がはさまるのです。ところがこのたびは専用の部屋をもうひとつ増やさねばなりません。しかも約束の時間があらかじめ定まっているのですから、それまでに手はずをつける必要があります。件のお客のために奥様が選んだのは2階の読書室でした。3つの部屋とお勝手と玄関を行ったり来たり、それはもう目の回るような忙しさでわたくしはくるくるしておりました。

 約束の刻限こくげんせまり、どうにかこうにかまりをつけるところまでぎ着いたわたくしは、いま一度出来栄えを見定めるために2階へ上がって行きました。

 すると、そこにはあまり有難くない先客の姿があるのです。忙しさにかまけて見過ごしたのでしょう、しばらくお見限りだったKさんの後ろ姿が読書室の中へ消えていくのが見えました。わたくしは慌てて後を追い、読書室へ飛び込みました。

Kさんは最初、わたくしの剣幕けんまく面食めんくらったようでしたが、同時にあわてふためいている様子が面白かったらしく、押しても引いても一向いっこうに読書室を立ち退こうとはしません。それどころか、一体なにがあるのかとしつこく問い詰めてくる始末しまつです。

そうこうするうちに階下がにわかに騒がしくなり、その気配がそのまま2階へ上がって来るのがわかりました。気配はいよいよ読書室の前で止まり、扉の取っ手がカチリ、音を立てました。

 Kさんはサッとわたくしを抱え上げると、すばやく物陰ものかげに隠れました。“その時”をいっしたことを悟り、慄然りつぜんとしていたわたくしは声を立てることも出来ませんでした。

 扉が開くと家令かれいを先頭に四、五人ばかりの男たちが入ってきました。その後に続いて、まだ二十歳はたち前と見受けられる少年がひとり現れました。

つねとは違うものものしい様子におされたのでしょう、ふだんは奥様のお客になどはなもひっかけない女中頭までくっついて来てなにくれと世話を焼いています。

M家の使用人たちが引き上げると、入れ替わりに奥様がやって来ました。

 奥様は部屋の様子を見渡すとおもむろに口を開きました。

 “相談事がおありなのはどなたでしょう?ご用の無い方はご遠慮ください”

 少年がひとつうなづくと、男たちは残らず部屋の外へ出て行きました。

 奥様も少年も特に挨拶を交わすようなことはせず、そのまま床の上に差し向かいに腰を降ろしました。

 いつもそうするのか、それともこの時だけそうしたのかは、この当時のわたくしは知りませんでした。奥様がお客の相手をしている間は、わたくしもそれ以外の使用人も、客間に入ることを禁じられていたからです。

 腰を落ち着けると少年はすぐに用件を切り出しました。

 “夢解きをお願いしたい”

 先日しかじかの夢を見た、とその内容を少年は奥様に語り聞かせました。

 “それは滅多な者が見られる夢ではありませんね”奥様くにはこれは大変な吉夢きちむであり、少年の将来の出世を約束するものだということでした。“ただ、この夢は魂を持っているがために、人に触れればゆがむ恐れがあります。親族であれ他であれ、語り聞かせることはひかえるのが宜しいでしょう”

 少年が立ち去るやいなや、Kさんはぬけぬけと奥様の前に進み出て行きました。奥様は動じる気振けぶりも見せずひたとKさんの顔を見据みすえた後、いまだKさんに抱えられたままのわたくしを一瞥いちべつしました。わたくしはお役目をしくじった上に禁忌きんきまでおかしてしまったみじめさに、べそをき始めていました。

 “いまの夢を買いたい”

 Kさんの突飛とっぴな申し出に、奥様は静かにこたえました。“それを望むと望まざると、ご自身の運命さだめこそが価値のあるものですよ”

 それでもなんのかんのといってKさんは引き下がりません。“たまさかこの場に行き会ったのも運命なのかもしれませんね”奥様はとうとう承知しました。

 ―それでは先ほどの方と同じようにこの部屋に入り、語られた夢をひと言も違えずにお話しください―

 Kさんは放り出すようにしてわたくしを床に降ろすと、奥様の言いつけに従いました。奥様も先ほどの少年に語ったとおりをそっくりくり返しました。

 Kさんは立ち去り、そして二度とM家を訪れることはありませんでした。

 その後Kさんがどうなったのかは、あなたもご存じのはずですよ。そう、そうです。めずらしい名前ですから、いつ気付かれるかと内心ヒヤヒヤしていましたけど。Kさんは大臣まで成り上がったのです。

 縁起の良い夢さえ買えれば出世もかなうのかですって?さあ、そこですよ。

 Kさんがお役目に就いた時はM家でもちょっとしたお祭り騒ぎになりました。人とは虫の良いもので、あれだけ嫌っていたはずなのに見知った人が世に出たと知るや、自慢の種にすり替わるのです。あの人はよくウチに出入りしていたとか、心安く口を利いたことがあるだとか。

 そんな具合に家中が沸き立っていましたので、ふだんしてはいけないように思われることも許されるような気がして、わたくしもあなたと同じように奥様に訊ねたのです。

 すると、“神や仏でもあるまいし”人の運命を都合よく変えることなど出来ないと仰るのです。つまり、あれはまるっきり嘘だった。そのように奥様は仰いました。

 奥様は読書室でKさんに抱えられながらべそを掻いているわたくしを見た時に、害成す者であればこのまま捨て置くわけにはいくまい、ひとつ妖怪退治をしてやろう、そう思ったそうですよ。

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