ライへの跡

鳩麦

第1話

幼き2人

「酷い傷だな‥‥おい、声は出せるか?」


息が苦しい。けれども先程まで飛び交っていた怒号はもう聞こえない。どうやら助かったらしい。


「―――」


声を出そうとすると微かに息が漏れるだけだった。ぐじゅりと傷口から血が滲む。

あまりの痛みについ顔をしかめてしまったのだろう、目の前の彼も自分と同じく眉間に皺を寄せた。


「声が出ないのか‥‥まあいい、安心しろ。この城の者は誰もお前を傷つけることはしない。声が出るようになったら話せばいい」


素直にコクリと頷くと彼が微笑んで、それから部屋を出ていった。重そうな扉がゆっくりと閉じる。身なりと“城”という言葉から察するに貴族か王族らしかった。


―――――


城の主(正式には主の息子だが)、クヌート・アルトナーが帰りついたのはつい先刻の事。常から剣術や馬術の鍛錬を欠かさない真面目な性格であったので、嵐のこの夜も愛馬に乗り少し遠くの村まで出ていた。


村に着いてすぐ風が強くなってきたが、雨はまだ小降りだった為、早めに帰路につく事にした。行きつけのパン屋の主人に軽く挨拶をする。パン屋の主人は何やら浮かない表情だ。


「クヌート様、こんなことを言っちゃあなんですが、隣村で何やら揉めてるみたいでね、危ないから近づかない方がいいですよ。何やらセイレーンの類が出たみたいでさァ」

「セイレーン?海の怪物が何故こんな山奥に?」



言いながら一つ二つパンを選ぶと、主人は丁寧に袋詰めしてくれた。



「いいや、言い方が悪かった。セイレーンかどうかはわからないんですが‥‥羽が生えていて鳥脚。歌声で幻術を見せるらしいんです」


主人の話をよく聞くと、彼らは村のすぐ近くに群れで住んでいて、歌声で村人を惑わし喰らうらしい。先日も子どもが1人いなくなったとか。


「忠告感謝する。俺はこのまま城へ戻る。この村も気をつけてくれ。それと、パン。ありがとう」


普段はキリとした表情をしている為幾分か大人びて見えるが、まだ14歳の彼はパンを大層気に入ったらしく、少し幼げに笑った。

主人が心配そうに見守る中、馬に飛び乗るとすぐに彼は森へと走り出す。


―主人の忠告通りに真っ直ぐ城へ帰るつもりだった。だが、隣村は思った以上に混乱しているらしい。クヌートの進む道のすぐ側までセイレーンを追ってきている声がする。


「セイレーンだ!セイレーンを捕まえろ!」

「奴らの歌声は幻術を見せるらしい!喉を潰せ!」

「焼き殺せ!皆殺しにしろ!」


松明たいまつを持ち、森の中セイレーンを血なまこになって探す姿はそれこそ怪物の様だった。

来た道の僅か南の方向を仰ぎみれば大きな炎があがっている。村人達がセイレーンの住処を焼き払ったのだろう。この小雨では炎が治まらない、それどころか強い風の力で大きくなるばかりだ。


ふと、村人達の荒らげた息の中に微かな気配を感じる。興奮でも憤怒でもない、息を殺しているような気配。

馬を見遣り、悟られるなよとそっと撫でる。

村人はまだかなり近くにいたが、微かな息がどんどん弱っていくのを感じて少しでも気配に近づこうと慎重に草を掻き分けた。

この状況で瀕死の傷を負っているとなるとセイレーンの生き残りか。

気付かず遠くなる多数の足音を聞きながら、気配のある所まで進むと闇の中にぼんやり光る白を見た。


噂に違わぬ鳥脚、村人によって危害が加えられたのだろうか、片方の翼は途中まで千切られていた。喉からひゅーひゅー息が漏れている。すごい出血だった。年の頃は6つくらいだろうか、小さくてかなり細い。


「おい、意識はあるか。」

「う、‥‥う‥‥」


意識は朦朧としている。このままでは死んでしまうかもしれない。

気休め程度に喉の傷を素早く塞ぎ、抱き上げるとすぐさま城へ向かった。大丈夫、爺なら適切な処置をしてくれる。


「帰ったぞ。爺は、爺はいるか」

「お帰りなさいませ。どうしたんですそんなに慌てられて‥‥キャッ!そ、そちらは‥‥?」

「話は後だ、見た通り傷がかなり深い。処置をせねば」

「は、はい!すぐに呼んで参ります!」


驚いた使用人は慌てて爺を呼びに走ったが、気が気ではない。いくら酷い事をしたといえ―それも真実か定かではないが―まだ幼い子どもをこんなに惨たらしく攻撃出来るものか。

喉だけではない、翼も細い手足も傷だらけで、掌と膝が血だらけなところから必死に這いつくばって逃げたのだろうと推測できる。仲間を焼かれ、自分も命の危機に晒されながら。

もしかするとこの子を逃がすためにこの子の両親は犠牲になったかもしれない。


「‥‥」

「クヌート坊っちゃま!」


すぐに駆けつけてくれた爺に事情を話す。話しながらテキパキと処置をしてくれた。


「それで、セイレーンがその村を襲っている、と?」

「そういう《噂》だ。セイレーンというより、半鳥人、といったところか」

「しかし妙ですねぇ。彼らは古くからその場所にいたはずですよ。それに奴らは海の怪物。船ならいざ知らず陸地の村人を襲うなど‥‥」

「馬術の鍛錬の為村まで出た時に聞いた」

「噂っていうのは厄介ですねぇ。言い伝えによればそもそも歌声を聞いたものは帰ってこないはず。消えた村人達が他の原因で帰って来なかったとしても、セイレーンの仕業だと誰かが言えばそうと信じてしまう」


クヌートは、爺は話がわかる。とばかりに頷く。どうやら思っていることは同じだったらしい。


「他に村人を襲っているやつがいるのかもしれない。今は情報はないが‥‥」

「生き残ったのはこの子だけ、でしょうかね」

「わからん。見つけたのはコイツだけだ。他の仲間たちも逃げていればいいんだが‥‥」

「そうですねぇ、ああ坊っちゃま、お疲れでしょう。目が覚めたらお呼びしましょうか。爺がついておりますので」

「いや、連れてきたのは俺だ。処置して貰ってすまない。面倒はみる」

「‥‥目が覚めたら、どうか話しかけてあげてください。ゆっくり休めばきっと大丈夫ですから」

「ああ」


爺はどこか優しげにベッドに横たわる子どもを見遣るとクヌートに坊っちゃまも休んで下さいね、と声をかけた。爺もな。と返すと少し楽しそうに笑ったあと、では、と部屋を後にする。


静まり返った部屋に先程よりは幾分か穏やかな寝息だけが聞こえる。半鳥人。色素の薄い髪はゆるりと長く、後ろで一つに結われていて耳はエルフのように尖っている。爪も少し尖っているみたいだ。睫毛が長く、肌も白い。子どもながらにかなり綺麗な顔立ちをしていた。

対するクヌートは、髪は短く綺麗な黒、キリリとした太めの眉に、眉間に皺が刻まれており、整ってはいるがかなり仏頂面だ。(爺曰く、隠れファンは多いらしい)


人外だからか、自分とはまるで違うな‥‥と思いながら目が覚めるまで見守ることにした。

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