辛くなければ美味しくない

和代内也

第1話 占い師と少年

珍しく明け方に夢を見た。

内容は覚えていないが、夢を見たことは確かだった。目覚まし時計を止めた後、ベッドでゴロゴロしながら少し考えてみたが思い出せない。

夢を思い出すのは諦めて、米山蔵人よねやまくらんどはベッドから出てバスルームへ向かった。顔を洗った後、水を飲もうとして洗面台のコップに手を伸ばそうとしたところで何か違和感を感じた。


この状況、何か既視感があるぞ。以前にもこうして顔を洗った後、コップに手を伸ばした事があるような…。

いや、朝に水を飲もうとするのはよくある事だ。別に珍しい事じゃない。

些細な違和感を無理やり振り払うように自分を納得させて、蔵人は水道水をコップに注ぎ、水を飲んだ。


蔵人くらんどは29歳。物流センターに派遣で勤めるフリーターだ。 今日は6月29日、金曜日で蔵人は休みの日だ。物流センターは年中無休なので平日に休みを取るメンバーも多い。蔵人は基本的に火曜日と金曜日を休みにしていた。


さて、今日は友達との約束も特にないし、どう過ごそうか。昨日は残業で荷物の積込をたくさんしたから、少なくとも午前中はのんびりしたい。まだ時間は9時半だ。

昨日の服を洗濯機に放り込みながら何となく休日のプランを考えていた蔵人の目に、机の上のカードが目に入った。


「占いの館 新宿区役所通店 スペシャル占い師 イザベル志葉」

見るからに胡散臭い名刺を手に入れた経緯を、蔵人は思い出した。そして妙に気になる出来事も。あれは昨晩の事だ。


仕事帰りに仕事仲間と新宿で軽く飲み、他愛もない世間話で盛り上がったあと、蔵人は自宅へ帰ろうと西武新宿線の駅へ向かっていた。

見るからにガラの悪い3人組の酔っぱらったチンピラが向こう側から近づいてきたため、蔵人は道の端へ避けようとした。


運悪く蔵人に近い酔っぱらいがよろけて蔵人にぶつかり、二人とも転んでしまった。転んだときにぶつけた膝の痛みよりも、絡まれることを心配したが、チンピラの一人は「悪いな兄ちゃん。ほらちゃんと立てよ、行くぞ。」と言い、転んだ奴の腕を掴んで引っ張り起こして連れて行った。


3人組が大して蔵人に気をとめずに行ってしまった後、蔵人は道の横手に小さな店があるのに気がついた。「占いの館 新宿区役所通店」と看板が掲げられている。

ふだん蔵人は全く占いには興味がなく、朝の情報番組を見るときも占いコーナーの時間にトイレへ行くのが常だ。しかしその時は何となく興味が沸いた。

いまチンピラにぶつかられたのもそうだが、最近どうもツイてないことが多い気がする。物は試しで入ってみよう。


店に入ると、受付の日焼けした金髪ギャルが退屈そうに「初めてですか、ご予約は?」と聞いてきたので、初めてで予約はないと伝えた。さらに「占い師の指名ありますか?」と聞いてきたので、特にないと伝える。

金髪ギャルは「入場料2,000円です。この番号札を持ってて向こうの待合室で待ってて下さい。準備ができたら番号呼びますね。」と面倒臭そうに言った。


蔵人は入場料を払って4と書かれた番号札を受け取り、待合室でタバコを吸いながら呼ばれるのを待った。

15分ほど待っただろうか。そろそろ待ちくたびれてきた頃に受付の金髪ギャルが入ってきて、興味なさそうに「4番さん、あの通路奥のオリオンの間へどうぞ」と案内した。


オリオンの間と書かれた部屋のドアをノックすると「入れ」と女性の声で返事があった。入れって、おい…。

とりあえず入ってみると、テーブルを挟んだ向こう側に、外国の民族衣装っぽい服を着た女性が座っていた。歳はまだ20代前半にしか見えない。顔はまあ、目がちょっと離れ気味でキツそうな、個性的美人という感じだ。万人受けはしないだろう。


初対面だというのに彼女は呆れたように、「占い師のイザベル志葉だ。ずいぶん待たせてくれたな。まあいい、料金は30分5,000円だ。延長の必要はないだろうが。」と言った。

言ってることが訳わからない。待たされたのは俺の方だ。それに何だこの偉そうな態度は?どう見ても年下なんだが。蔵人は店に入ったことを後悔し始めていた。


しかし、彼女が次に口にした言葉で蔵人は話を真面目に聞く気になった。

「今ここに来たことで、お前の明日は始まった。明日の休日を過ごすのは、今までにない試練になるぞ。」

なぜ彼女は俺が明日休みなのを知ってるんだ?この店に入ったのは偶然で予約もしてないのだから、事前に調べるのは不可能だ。

その疑問をぶつける隙を与えず彼女は話続けた。

「明日、お前は一人の少年に出会う。お前の明日を左右する少年だ。そしてお前はまた自分の人生をかけることになる。もし見過ごせば、お前は未来を掴み損ねる。」


意味深すぎるし訳がわからないが、彼女の言う言葉に少しでも真実があるのなら、チンピラにぶつかった程度のツキの相談をしてる場合じゃなさそうだ。

しかし蔵人が何をどう聞けばいいのか考えあぐねているうちに、彼女は冷たく言い放った。

「伝えるべきことは伝えた。もう帰れ。何か聞きたければ、何かが起きてからまた来い。」

そして蔵人は名刺を渡されて店から追い出された。


昨日の出来事を思い出したものの、蔵人は何をどうすればいいのか、さっぱり分からなかった。少年に出会うと予言されたが、何をどうしろとは言われていない。どこで出会うかも聞いていない。強いて言えば、出会いを見過ごすと俺にとって悪い方向に人生が傾きそうだということくらいか。


ならば、まずはその少年を探してみるか。たかが占いだし、あてずっぽうかもしれない。少年に出会わなければ占いが外れた訳だから、悪いことも起こらないだろう。

そう考えて、蔵人はまず朝ご飯を食べようと、近所のファミレスへ出かけることにした。

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