谷の跡取り(2)

 モモや木戸と別れ、圭たちは御前みさきまで帰ってきた。すっかり日も暮れて辺りは薄暗い。二人はバスを降り、どちらからともなく手を繋いだ。

「今日は一人で山に入るの?」

「そうだな。阿丸もいるし、大丈夫」

 他愛もない会話。いつもの帰り道。あっという間に御前神社が見えてくる。すると、圭が千尋の手を引っ張って道から外れ、彼女を大きな木の下に誘い込んだ。

「なに?」

「別れる前にと思って──」

 圭がかがんで顔を近づける。千尋が戸惑いながらも目を閉じると、圭が優しく唇を重ねてきた。

 チュッという音とともに二人の唇が離れる。千尋は恥ずかしそうに俯いた。

「なんでこんなとろで……」

「ほら、境内は監視されている気がして、」

 どうやら、昨日の一件が気になっているらしい。思わず千尋が吹き出すと、圭が千尋の頭に手を回し、再び顔を近づけてきた。

 あ、これ、濃いやつだ──。

 千尋の胸がどきんと鳴る。彼女はぎゅっと圭のシャツを握りながら目を閉じた。

 その時、圭のスマホが突然ブルブルっと鳴った。二人はビクッと震え、大慌てで弾かれるように離れた。

「なんだよ?!」

 圭はあたふたとズボンの後ろポケットに入れたスマホを取り出した。

「まったく……、山ん中全部に監視カメラが付いているんじゃないだろうな!」

 ぶつぶつ言いながら彼がスマホの画面を確認する。しかし、彼の顔がすっと真顔になった。

「どう、したの?」

「母さんから。……篠平から使者が来た。すぐに帰ってこいって」

「使者? 壬ちゃんたちが行ったのに、どうして?」

「うん、分からない……」

「私も行く」

 眉根を寄せる圭に千尋が言った。

「二人に何かあったのかも。邪魔なら、別の部屋で待ってるから」

「分かった」

 にわかに胸の内がざわざわと騒ぎ出す。圭はきゅっと口を結んだ。




 圭は千尋を連れて大急ぎで伏宮の家に戻った。最近は面倒で自転車も使っていない。圭は狐の姿になり背中に千尋を乗せて家までの道を一気に駆け上がった。

 家に着くと、あさ美が圭を出迎えた。一緒にいる千尋を見て少し驚く。

「千尋ちゃん、どうして──」

「おばさん、何かあったの?」

 千尋があさ美に詰め寄った。圭が「一緒にいたから話したよ」と言葉を添えた。

 あさ美が、落ち着いた様子で笑う。

「ちょっとね。何かあったのか、何かあるのか、これから話をするの。千尋ちゃんには私から連絡しておくから、とりあえず家に上がりなさい」


 自分の部屋に鞄を置いて圭は居間に行った。すると護の他に、久しぶりの顔が二つ。稲山の大狐と、谷の最古老である猿師だ。圭の顔が自然とほころんだ。

「勝二叔父さん。それに──、百日紅さるすべり先生」

 勝二がにかっと笑い、猿師が嬉しそうに圭を見上げた。

「圭、少し見ない間に大きくなったな」

 猿師が言った。圭ははにかんだ。

「そんなに変わらないよ」

「昨日も結界に閉じ込められたキク様を助けたとか」

「キク──って、先生やっぱり知ってるの? わらし様、九尾のことも谷のことも詳しくて」

「もちろん。あの方は齢四百年は越える方だ。まあ、まずは座っておまえの話を聞かせてくれ」

 猿師に促され、圭はその場に座ると、手短にこれまでのことをみんなに話した。最後に猿師が満足そうに頷く。

「当時、どうしても見つからず、事件に巻き込まれてお亡くなりになったかと思っていた。それで、キク様はどうなされた?」

「……この一件に関わった後輩がいるんだけど、そいつに憑くって」

 圭が答えた。勝二がからからと笑った。

「わらし憑きか、そりゃ大物になるぞ」

「そいつ、もともと大物だから大丈夫。俺たちの素性を知っても、『どうでもいい』で終わらせた奴だし」

 圭が苦笑しながら答えた。今でも木戸の迷惑そうな顔が目に浮かぶ。しかし、彼ならなんとかなるだろう。

「それは、憑き甲斐があるな」

 猿師が笑った。

「わらし憑きに伝えておいてくれ。機会がある時に猿がキク様に会いに行くと」

「うん、分かった。あの、それより──、」

 座敷わらしの話もしたかったが、気持ちが落ち着かない。

 圭は大人たちに向かって言った。

「篠平の使者を待たせているんじゃないの?」

 すると、勝二がふんっと鼻を鳴らした。

「別に待たしておけばいい。今さら使者を立てるなど、相手にするのも阿保らしいわ。だいたい、先の申し出にしても次郎を通じてというのが気に喰わん。どうせ、色仕掛けか何かにあの馬鹿たれが引っ掛かったに違いない」

「色仕掛け?」

 なんの話だ。

 すぐには理解できず圭が眉根を寄せて首を傾げた。護が苦笑しながら「そろそろ」と会話に割って入った。

「遅くなりすぎても、こちらも困る。先生、大叔父殿、行きましょう」



 大座敷は、大広間の隣にある二十畳はある畳の部屋だ。護たちに続いて圭と千尋が部屋に入ると、長い髪を頭の高い位置でキュッと一つに結び、白いシャツにジーンズ姿で座る人物の後姿が目に入った。

 腰も肩も細く、着飾らない服装なのに艶がある。後姿だけで女性だとすぐに分わり、圭はさっき「色仕掛け」と言った勝二の言葉を思い出した。使者だというからてっきり男だと思い込んでいた。

 部屋の後方から上座へ向かう途中、すれ違いざまに使者の顔をちらりと見る。

 凛とした瞳と引き締まった横顔に意思の強さを感じる。「きれい」と言うより「格好いい」という言葉が似合う大人の女性だった。

 護が座敷上座の中央に、その左手に猿師、勝二の順に座る。圭と千尋は、右手にあさ美と並んで座った。

「篠平が狐、東篠とうじょう亜子あこと申します」

 みんなが座り終えると、篠平の使者である女性、東篠亜子が伏宮本家当主を見据えながら言った。視線を全くそらさず、瞬きひとつさえしない。

 そして彼女は、傍らに置いてあった黒塗りの箱をすっと護に向かって差し出した。きっちりと白い組み紐で結ばれた箱は、天井の明かりに照らされ黒光りしている。護が亜子に尋ねた。

「これは?」

「はい、」

 亜子がひと呼吸置く。そして、彼女の口がゆっくりと開いた。

「ご次男殿の尻尾しっぽと鬼姫の角、にございます」

 眉ひとつ動かさず、亜子が言った。

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