旅のはじまり(5)

 案内されたのは、伏宮家で言うところの大広間だった。板間の広い部屋で、上座には掛け軸と花が飾ってある。左右に見た目が四十から七十くらいまでの男たちが二人ずつ座り、壬たちを品定めするかのごとく睨んでいた。そして中央に、自分たちとそう変わらない若い少年がジーンズにパーカー姿で座っている。少しくせ毛かかった短い赤髪が無造作に顔にかかり、そこから負けん気の強そうな大きな目が覗いていた。彼は壬たちが入るなり、物珍しそうに目を見開いた。

 亜子が壬たちに素早く耳打ちする。

「壬、伊万里、ここからは好きにしな」

 そして彼女は広間に座る面々をぐるりと見て、仰々しい口調で言った。

「伏見谷より本家ご次男・伏宮壬殿、伊万里姫、ご到着にございます」

 左脇の上座に座る年配の男が満足そうに大きく頷く。

「うむ。亜子、ご苦労だった」

 彼は片手で亜子に下がるよう促し、亜子が一礼をして部屋の隅に座った。それから彼は壬と伊万里を見た。

「遠路はるばるよう来なさった。東篠とうじょう亜門と申す。ささ、こちらに座られよ」

 言って彼は中央に二つ並んで敷かれた座布団に二人を促した。目元が亜子に似ている。おそらく亜子の父親だ。

 壬は中央まで行くと、どかりと座布団に腰を下ろした。それから伊万里が隣の座布団には座らずに、少し右後ろの板間に控えるように座った。

 その様子を見て、亜門が口の端に笑みを浮かべて頷き返す。彼は、ちらりと中央の少年を見てから、ゆっくりと口を開いた。

「こちらは、篠平本家が次男、篠平拓真にございます。以後、お見知りおきいただきたい」

 すると赤毛の少年は待ってましたとばかりに口を開いた。

「篠平拓真だ。拓真と呼んでくれ。二代目九尾というのはおまえのことか?」

 あっけらかんとした口調で言って彼はにかっと笑った。壬は少し拍子抜けしながら頷き返した。すると拓真が、その視線を今度は伊万里に向けた。

「それにこっちは立派な角じゃあ。儂は鬼を見るのが初めてなんだ。鬼姫がこんなに美人だとは思わなかったぞ」

 拓真がまじまじと伊万里を見る。伊万里が困惑ぎみに、それでいて少し不快な様子で頭を下げた。ぼそりと一言、

「ただの阿呆あほうですか」

 と、トゲのある言葉が壬の耳に届く。亜門が軽く咳払いをして拓真を制すると、再び壬に話しかけた。

「壬殿は、かの妖刀・焔を引き継いだとお聞きしましたが、誠ですかな?」

「はい」

 大広間の面々に軽いどよめきが起こる。亜門は満足そうな顔で続けた。

「少しは聞き及んでいるでしょうが、篠平は跡目のことで今いろいろとありましてな。二代目九尾殿が来たとあれば非常に心強い。当然、ご助力いただけると思ってよろしいかな」

「知らねえぞ」

 間髪入れず壬が答えた。

 途端にその場にいた全員の顔が一気に険しくなる。腰に差した刀の柄に手をかける者もいる。しかし、そんな中、亜門と拓真だけはにやりと笑った。亜門が軽く首を傾げた。

「はて。壬殿は、伏見谷の名代として来たのでは? 今の言葉が谷の返答とあれば、我らも考えねばなりますまい」

「俺は、名代でもなんでもない」

 壬はその場にいる全員を睨み返しながら答えた。右脇に座る年寄が壬を指差し、しわがれた声を上げた。

「かの妖刀を引き継ぎ二代目九尾を名乗るのであれば、谷の次期当主はおまえであろう? それが名代ではないだと? そもそも、妖刀はどうした? その腰の下緒さげおは、ただの刀ではないか!」

「当然だ、焔は疲れるんだよ」

 腰の下緒ではなく彼の右手首にあるあざこそが、妖刀を引き継ぐ証しであるとは分かっていない。

「ふざけたことを! では、おまえは何をしにここへ来たのだ?!」

「カツオを食べに」

 壬は篠平の狐たちを見返した。

「谷の次期当主は俺じゃねえ。そして俺はカツオを食べに来ただけだ。カツオが出てこないようならこのまま帰る。あるっていうのなら、カツオを食ってから帰る」

「どのみち帰るのではないかっ!!」

 だんっと荒々しく片足を踏み鳴らし、老人が片膝をついて腰を浮かせた。

 すると、壬の背後に控える伊万里が、その怒り狂う様子にくすくすと笑った。

「書状もなく仔細も話さず、ただ来てくれなどと、本気で谷が動くとでもお思いか? 篠平には阿呆あほうしかいないとみえる」

「谷に体を売った小娘風情が知った口をききおって──!」

 顔を真っ赤にした老人が立ち上がり、刀を抜きにかかった。しかしその時、壬の口から老人に向かって火炎が飛び出した。

「う──、わあっ?!」

 突然、炎に包まれ、老人がみっともなく尻もちをついた。その場にいた全員が、口から飛び出した炎の玉に息を飲む。

 壬が老人を怒りに満ちた目で睨んだ。

「おいおまえ、今、なんて言った?」

 片膝をつき、伊万里を庇うように片手を広げる。その口からくすぶる火炎がぶわっと溢れ出た。老人をはじめ、残りの男たちが一斉に刀を抜く。

 次の瞬間、その内の一人が壬に向かって小刀を投げつけた。鋭く飛んできたそれが壬の頬をかすめる。壬の頬がすぱっと切れたが、彼が小刀の飛んできた方へ顔を向けた時にはもう傷が消え失せていた。

「何すんだ、危ねえな」

「貴様、この──!!」

 言うが早いか、亜門以外の男三人が壬に斬りかかった。

 刹那、

 バリバリッという音とともに三人の男が弾き飛ばされた。男たちはそれぞれ、二間ほど先へ吹っ飛んだかと思うと、そのまま床に叩きつけられた。

 半妖姿になった壬が、尻尾をぶるんっと振った。

「刀なんか抜くんじゃねえよ」

 言って壬は伊万里の前に立った。

「こ、ここのっ、化け物がっ……!」

 情けなく腰を抜かした老人が吐き捨てるように呟く。壬がふんっと鼻を鳴らし、その後ろで伊万里が平然とした顔で静かに視線を床に落とした。

 しかし、

(今のは一体──??)

 表面上は冷静を装っていたが、彼女は内心ひどく驚いていた。

 口から狐火を吐くなんて前代未聞、猿師からも聞いたことがない。

 そして、その後の攻撃。何が起こったか、おそらく受けた本人たちも分かっていないだろう。

 背中に集まった霊気が尾を伝い走り、尾先から斬撃のように飛び出した。しかもかなりの高密度。

(いつの間に、あのようなことを?!)

 あれだけ気のりの練習を嫌がり、結界術の時も一人ふらりとどこかに消えてしまっていた。それなのに、何をどうしたら突然あのようなことが出来るようになる?

 さらに極めつけは顔の傷だ。かすり傷ではあったが、傷がついた先から癒え消えた。さすがの伊万里でもありえない。あれでは、本人は切れたことさえ気づいていないかもしれない。


 必要に応じて、封じられた力は解放される。


 ふと猿師の言葉を思い出す。

 これが本来の壬の力なのだろうか。

 伊万里は自分の想像をはるかに超えた早さで彼の力が解放され始めているのを感じた。

(なんだろう。怖い……)

 力そのものに? 壬に?

 得体の知れない不安に胸がどくんと波打った。

 伊万里は膝の上でぎゅっと両手を握りしめた。

(とにかくこのままだとダメだ) 

 なんとかこの場を収めないと。伊万里は思った。

 その時、

「おまえらの負けじゃ」

 ことの成り行きをじっと見ていた拓真が声を上げた。そして、口の端に不敵な笑みを浮かべ、壬を睨む。

「面白いことをするな。今のはなんじゃ?」

「言わねえよ」

「ケチだのう」

 拓真が声を上げて笑った。そして彼は立ち上がった。

「亜門、カツオを用意しろ。上等のやつだ」

 言って彼は壬を見る。

「ここは山奥だから、悪いが少しばかり時間がかかる。上等のカツオを用意するとなると、そうだな一週間はかかる」

「一週間……」

 今の時代、そんなにかかるわけがない。つまりこれは、簡単には帰してもらえないということだ。

「せっかくだ。悪いことは言わん、食ってから帰れ。これから面白くなりそうじゃ」

 拓真はそう言うと、にかっと笑った。

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