解ける境界(6)
あらたまった表情で、座敷わらしが手毬の上で丸まっている白蛇を彼に差し出した。
「頼みがある。
「分かりました。大切にお預かりします」
「いや、」
座敷わらしが片手を上げて圭の言葉を打ち消す。そして彼女は真っすぐ彼を見た。
「そのまま、
「え? でも、だって、大切な守役でしょう?」
「
言いながら座敷わらしが手鞠を
「さあ、そなたの刀をこちらへ」
「刀?」
「うむ、早う」
座敷わらしに促され、圭は自分の刀を彼女に見せた。彼女が圭から刀を受けとる。そして鞘から刀を抜くと、感心しきった様子で刀身を眺めた。
「なんと素直な無銘の刀か。さすが当主殿、良いものを持たせになる」
そして座敷わらしは、刀を床に置くと、その刀身にそっと
ややして、白蛇は刀身と完全に同化し、刀身の背の部分となる
「かの妖刀・焔とはまた違った
座敷わらしが刀身を鞘に納め、圭に手渡す。
新しい力を宿した刀。
喜びと緊張が入り交じり、受け取る手がかすかに震える。彼はぐっと柄と鞘を握りしめ深々と座敷わらしに頭を下げた。
一方、千尋はずっと圭が来るのを待っていた。
『全部終わったら、会いに行く』
圭からメッセージが届いたのは今朝。とても短い、事務連絡のようなメッセージ。
返信はしなかった。伝えたいことがありすぎて、言葉にできなかったから。それに、一番伝えたい気持ちは、
とはいえ、一人でじっと待っているとあれこれと考えてしまう。座敷わらしを助け出すことは出来ただろうか。モモに憑いている蛇は祓えただろうか。清水は役に立っただろうか。何より、圭は無事だろうか。考え出すときりがなく、不安で胸がざわざわした。そんな気持ちを千尋は何度も何度も落ち着かせた。
そして、夜も更けた頃、千尋のスマホがポンと鳴った。ちょうどテーブルに突っ伏してうたた寝をしていた千尋はハッと顔を上げた。
『拝殿前の階段で待ってる。出てこれる?』
圭からだ。
千尋は椅子にかけてあったパーカーを羽織ると、勝手口からそっと外へ出た。
ひんやりとした秋の夜風が頬をかすめる。ほの暗い外灯に照らされた砂利道を歩いて急いで境内へと向かう。と、拝殿前の階段に小さな狐火を灯し、圭が座っていた。
「圭ちゃん、」
千尋が声をかけると、圭が顔を上げて笑った。
「こんな遅くに出てきて何か言われなかった?」
「こっそり出てきた」
「そっか……」
「うん」
階段の端っこで立ち止まり千尋が頷いた。まだ、なんとなく遠慮してしまう。今の圭との距離は、そのまま彼との気持ちの距離だ。
すると、圭が自分の隣をぽんぽんと叩いた。
「顔がよく見えない。こっち」
千尋は黙ったままこくりと頷いた。そして彼女は圭のとなりにちょこんと座った。緊張で心臓がとくとく鳴った。
話したいことはいっぱいある。でも、あり過ぎてにわかに何から話せばいいか分からない。
それで彼女が迷っていると、圭が口を開いた。
「千尋、ありがとう。千尋がくれた
「あっ、清水──、本当に? 大したものじゃないけど……」
「や、木戸が劇薬だったって言ってた」
その時のことを思い出したのか圭が笑いながら言った。千尋は思わず顔をしかめた。
「げ、劇薬??」
「大丈夫。おかげでちゃんと蛇の穢れを祓えたから。わらし様も絵の中から出てきてくれた」
「出てきた? 出したんじゃなくて?」
「うん」
圭は
「これが白蛇の
彼に言われ、千尋はおそるおそる彼の刀を受け取った。刀を手にするのは初めてだ。思えば、圭は伊万里にはもっと気軽に刀を渡していたように思う。でも、自分には決して持たせようとはしなかった。
そんな彼の刀が今、自分の手の中にある。ずっしりとした重みに少し緊張した。しかし一方で、認められたような気がして千尋は嬉しかった。
彼女がぎゅっと柄と鞘を握りしめる。すると、何かが答えた気がした。
「……」
「千尋?」
「ううんっ。なんでもない。はい、これでいいかな」
今答えたのは、刀に宿ったという蛇だろうか。そう思いながら千尋は圭に刀を返した。
「ありがとう」
圭が刀を受け取り傍らに置く。
そして、彼は何かを言いかけて途中でやめ、口をつぐんだ。
思わず千尋も黙り込む。お互いに次の言葉が続かない。
夜も遅い。もう、帰らないといけない。
でも、まだ何も伝えていない。
するとその時、意を決したように圭が「あのっ」と声を上げた。
「えっと、あの、千尋」
圭がたどたどしい口調で言う。
「阿丸もそうだけど、
お世辞にもスマートとは言えない言葉。
それでも、「これからも俺の刀を持ってほしい」なんて、まるでプロポーズのような言葉に思えて、千尋は気恥ずかしくなった。彼女は黙って圭に頷き返した。
「あと──、」
彼が少し視線を外し言葉を続ける。
「ごめん。俺、自分のことばっかりで、千尋のこと全然考えてなくて」
一つ、一つ、丁寧にゆっくりと彼の言葉が千尋の耳に伝わる。
「いろいろ自信がなくて、ついでに余裕もなくて。勝手に無理だって、境界線を引いたのは俺の方。本当に──、ごめん。千尋をいっぱい傷つけた」
「ううん。私も圭ちゃんにひどいこと言った」
千尋が首を左右に振って答えた。そして最後に「ごめんなさい」と付け加えた。
また少し、黙り合う。ややして、圭が千尋の手に自分の手を重ねた。
お互いの胸がとくんと高鳴る。
圭は千尋を真っ直ぐ見つめた。
「千尋、ずっと好き。今までも、これからも」
風の音も、虫の音も聞こえない。彼の言葉だけが、千尋の耳に届いた。
「絶対に変わらない。俺、千尋がいないとダメなんだ」
触れ合った指をお互いにゆっくり絡まらせる。
知らず知らずのうちに引いていた境界線。それが自然と
額を寄せ合う。鼻先が触れる。
目を閉じて、唇を重ねる。またひとつ、
両手を合わせ、何度も唇を重ね合う。
ひとつ、またひとつ、ゆっくりと
気持ちが
「千尋……」
「ん、」
圭が千尋を力強く抱き寄せた。
そして、
二人は深く唇を絡ませた。
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