解ける境界(6)

 あらたまった表情で、座敷わらしが手毬の上で丸まっている白蛇を彼に差し出した。

「頼みがある。ビャクを巫女の気に触れさせてもらえるか。こやつもかなりこたえている。このような状態になるまで自ら欲を食い、ようわらとこの家を守ってくれた。ほんにわらのわがままに付き合わせてしまった」

「分かりました。大切にお預かりします」

「いや、」

 座敷わらしが片手を上げて圭の言葉を打ち消す。そして彼女は真っすぐ彼を見た。

「そのまま、ビャクはそなたのそばに置いてもらいたい」

「え? でも、だって、大切な守役でしょう?」

わらのことは大丈夫。本来、白蛇は邪を祓う神の使い。巫女と共にいるそなたの側にこそふさわしい」

 言いながら座敷わらしが手鞠をたもとに納めた。

「さあ、そなたの刀をこちらへ」

「刀?」

「うむ、早う」

 座敷わらしに促され、圭は自分の刀を彼女に見せた。彼女が圭から刀を受けとる。そして鞘から刀を抜くと、感心しきった様子で刀身を眺めた。

「なんと素直な無銘の刀か。さすが当主殿、良いものを持たせになる」

 そして座敷わらしは、刀を床に置くと、その刀身にそっとビャクを乗せた。ビャクがゆっくりと動き出し、その白い体を刃に沿って這わせていく。そして白蛇は、静かにその身を刀身に同化させ始めた。

 ややして、白蛇は刀身と完全に同化し、刀身の背の部分となる鎬地しのぎじに蛇の文様が刻まれた。

「かの妖刀・焔とはまた違ったおもむきの刀となるであろう。必ず巫女の気に触れさせよ。それがこの刀の力となる」

 座敷わらしが刀身を鞘に納め、圭に手渡す。

 新しい力を宿した刀。

 喜びと緊張が入り交じり、受け取る手がかすかに震える。彼はぐっと柄と鞘を握りしめ深々と座敷わらしに頭を下げた。



 一方、千尋はずっと圭が来るのを待っていた。

『全部終わったら、会いに行く』

 圭からメッセージが届いたのは今朝。とても短い、事務連絡のようなメッセージ。

 返信はしなかった。伝えたいことがありすぎて、言葉にできなかったから。それに、一番伝えたい気持ちは、清水せいすいと一緒に小瓶に入れて伊万里に託した。圭は会いに来ると言っているのだから、後はもう待つだけだ。

 とはいえ、一人でじっと待っているとあれこれと考えてしまう。座敷わらしを助け出すことは出来ただろうか。モモに憑いている蛇は祓えただろうか。清水は役に立っただろうか。何より、圭は無事だろうか。考え出すときりがなく、不安で胸がざわざわした。そんな気持ちを千尋は何度も何度も落ち着かせた。

 そして、夜も更けた頃、千尋のスマホがポンと鳴った。ちょうどテーブルに突っ伏してうたた寝をしていた千尋はハッと顔を上げた。

『拝殿前の階段で待ってる。出てこれる?』

 圭からだ。

 千尋は椅子にかけてあったパーカーを羽織ると、勝手口からそっと外へ出た。

 ひんやりとした秋の夜風が頬をかすめる。ほの暗い外灯に照らされた砂利道を歩いて急いで境内へと向かう。と、拝殿前の階段に小さな狐火を灯し、圭が座っていた。 

「圭ちゃん、」

 千尋が声をかけると、圭が顔を上げて笑った。

「こんな遅くに出てきて何か言われなかった?」

「こっそり出てきた」

「そっか……」

「うん」

 階段の端っこで立ち止まり千尋が頷いた。まだ、なんとなく遠慮してしまう。今の圭との距離は、そのまま彼との気持ちの距離だ。

 すると、圭が自分の隣をぽんぽんと叩いた。

「顔がよく見えない。こっち」

 千尋は黙ったままこくりと頷いた。そして彼女は圭のとなりにちょこんと座った。緊張で心臓がとくとく鳴った。

 話したいことはいっぱいある。でも、あり過ぎてにわかに何から話せばいいか分からない。

 それで彼女が迷っていると、圭が口を開いた。

「千尋、ありがとう。千尋がくれた清水せいすいのおかげで助かった」

「あっ、清水──、本当に? 大したものじゃないけど……」

「や、木戸が劇薬だったって言ってた」

 その時のことを思い出したのか圭が笑いながら言った。千尋は思わず顔をしかめた。

「げ、劇薬??」

「大丈夫。おかげでちゃんと蛇の穢れを祓えたから。わらし様も絵の中から出てきてくれた」 

「出てきた? 出したんじゃなくて?」

「うん」

 圭は伊藤屋いとうや右玄うげんの日記のことから今日の出来事まで、全部千尋に話して聞かせた。そして話し終えると、彼は千尋に自分の刀を差し出した。

「これが白蛇のビャクが宿った刀。わらし様が、千尋の気に触れさせてやってほしいって」

 彼に言われ、千尋はおそるおそる彼の刀を受け取った。刀を手にするのは初めてだ。思えば、圭は伊万里にはもっと気軽に刀を渡していたように思う。でも、自分には決して持たせようとはしなかった。

 そんな彼の刀が今、自分の手の中にある。ずっしりとした重みに少し緊張した。しかし一方で、認められたような気がして千尋は嬉しかった。

 彼女がぎゅっと柄と鞘を握りしめる。すると、何かが答えた気がした。

「……」

「千尋?」

「ううんっ。なんでもない。はい、これでいいかな」

 今答えたのは、刀に宿ったという蛇だろうか。そう思いながら千尋は圭に刀を返した。

「ありがとう」

 圭が刀を受け取り傍らに置く。

 そして、彼は何かを言いかけて途中でやめ、口をつぐんだ。

 思わず千尋も黙り込む。お互いに次の言葉が続かない。

 夜も遅い。もう、帰らないといけない。

 でも、まだ何も伝えていない。

 するとその時、意を決したように圭が「あのっ」と声を上げた。

「えっと、あの、千尋」

 圭がたどたどしい口調で言う。

「阿丸もそうだけど、ビャクも千尋の清浄な気が大好きだから……、だから、これからも俺の刀を……持って欲しい」

 お世辞にもスマートとは言えない言葉。

 それでも、「これからも俺の刀を持ってほしい」なんて、まるでプロポーズのような言葉に思えて、千尋は気恥ずかしくなった。彼女は黙って圭に頷き返した。

「あと──、」

 彼が少し視線を外し言葉を続ける。

「ごめん。俺、自分のことばっかりで、千尋のこと全然考えてなくて」

 一つ、一つ、丁寧にゆっくりと彼の言葉が千尋の耳に伝わる。

「いろいろ自信がなくて、ついでに余裕もなくて。勝手に無理だって、境界線を引いたのは俺の方。本当に──、ごめん。千尋をいっぱい傷つけた」

「ううん。私も圭ちゃんにひどいこと言った」

 千尋が首を左右に振って答えた。そして最後に「ごめんなさい」と付け加えた。

 また少し、黙り合う。ややして、圭が千尋の手に自分の手を重ねた。

 お互いの胸がとくんと高鳴る。

 圭は千尋を真っ直ぐ見つめた。

「千尋、ずっと好き。今までも、これからも」

 風の音も、虫の音も聞こえない。彼の言葉だけが、千尋の耳に届いた。

「絶対に変わらない。俺、千尋がいないとダメなんだ」

 触れ合った指をお互いにゆっくり絡まらせる。

 知らず知らずのうちに引いていた境界線。それが自然とほどけていく。

 額を寄せ合う。鼻先が触れる。

 目を閉じて、唇を重ねる。またひとつ、ほどける。

 両手を合わせ、何度も唇を重ね合う。

 ひとつ、またひとつ、ゆっくりとほどけていく。

 気持ちがあふれる。

「千尋……」

「ん、」

 圭が千尋を力強く抱き寄せた。

 そして、

 二人は深く唇を絡ませた。

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