解ける境界(5)

「座敷わらし……? 圭先輩!」

 すると、座敷わらしが木戸に歩み寄った。

「あやかしとえにしのある者、礼を言う」

 座敷わらしは床にぐったりと伸びている白蛇に目を向けた。そして、彼女はをそっと蛇を拾い、手毬の上にくるくると巻いて乗せた。

「繭玉の巫女の清水せいすいか。長い間、欲にまみれた体には相当こたえたであろうよ」

「そりゃ……、清水せいすいって言うより劇薬っぽかったですから」

 片腕をさすりつつ、木戸が珍しく不機嫌そうに圭をちらりと見た。

「あれを大橋にかけろって、ひどくないですか。人としてどうなんです?」

 普通に「人」としてのモラルを問うてくる木戸に圭は思わず吹き出しそうになる。彼は両手を上げて苦笑した。

「ごめん、そんなに強力なものだとは思ってなくて。勉強になった」

 呆れた様子で木戸が圭を見返す。しかし彼はすぐさま床に倒れ伏したモモを抱き起した。

「大橋っ、しっかりして」

「ん……」

 彼女は小さい呻き声を上げただけで目を覚まさない。隣で座敷わらしがモモの顔を覗き込んだ。

「命に別状はないが、心が疲れておる」

 そう言いながら彼女は圭に目を向けた。

「繭玉の巫女にモモを祓わせよ。回復も早かろう」

「分かりました。明日にでも連れてきます」

 圭が頷き返した。そして彼は、あらためて部屋をぐるりと見回した。

 派手に割られた一枚ガラスの窓、中央の絵からは少女の姿が消え、ただの黒い絵の具を一面に塗ったくっただけのものになっている。

「これ、弁償しないといけないかな?」

 圭がまいったなと頭を掻いた。木戸が信じられないとため息をつく。

「何を今さら。全部、圭先輩がしたんですよ」

「……木戸、なんとか誤魔化せない?」

「また、俺が? 誤魔化すって──」

 しかし、そこまで言って木戸がぴたりと黙り込んだ。ややして、彼は圭と座敷わらしを交互に見た。

「大橋の記憶を消してください。そしたら、誤魔化します」

「ここまで関わった者の記憶を消せとな」

「はい。圭先輩や橘先輩にしたこと、そして今日のこと、全部まるっとです。気がついて覚えていたら、大橋はきっと傷つく」

 座敷わらしが少し考え込んだ。圭も難しい顔をする。

 記憶の消去は珍しいことではないが限度がある。あまりに長い期間をすっぽり消し去ってしまうと、どうしても記憶に違和感が残るので結局きれいに消し去れない。

 ややして座敷わらしが木戸に答えた。

「記憶をすべて消すというのは難しい。しかし、蛇が憑いていた間のことは記憶も曖昧になっているはずだ。なので、曖昧な部分を埋めるようにしながら記憶を入れ替えよう」

 木戸が頷き返した。

「それでいいです。できますか?」

「うむ、それならば。圭、それで良いか?」

「もちろん」

「では、モモが回復するまでわらはもうしばらく彼女のそばにいるとしよう」

 座敷わらしが言った。その言葉が圭の耳にふと止まる。

「もうしばらく……。では、その後はどうするつもりですか?」

 座敷わらしは、一所ひとところに長くはいられない。とうの昔に、この大橋家から立ち去らないといけなかったはずなのだ。

 すると座敷わらしがにっこり微笑んだ。

わらは、しばらく家には憑かぬ。九尾の子と繭玉の巫女をわらのもとへと連れてきた者に憑こうと思う」

 言って、座敷わらしは木戸を見た。木戸が「え?」と戸惑った顔をする。

「いや、俺の家、アパートだけど……。それに妹や弟がうるさいし」

「そなたに憑くのだから、住む場所はなんの問題もなし。それに子供は大好きだ」

 いよいよ木戸が困惑した顔をした。この押し売りのようなあやかしを、どうすれば丁重にお断りできるかといった感じだ。

 圭が吹き出しそうになるのを我慢していると、座敷わらしが思い出したように言った。

「そう言えば……圭、今日はなぜ一人なのだ? あの阿呆あほうと鬼姫はどうした?」

 圭が複雑な顔を彼女に返した。そして彼は座敷わらしに事情を話すことにした。



 ひとまず木戸がモモを休ませるために彼女を自室へ運んでいった。その間に、圭は座敷わらしに壬たちの事情を簡単に説明した。

 ひと通り圭が話し終えると、座敷わらしが「ふむ」と大きく頷いた。

「篠平の跡目争い……。正式な文もない状態では、思惑だけが先走っている状態だの。当主殿はなんと?」

「父は、壬にただ行けばいいと」

「……なるほど。それが当主殿の返答というわけか」

「返答、ですか?」

「兄弟そろって重たいものを背負わされるの」

 腑に落ちない顔をする圭に対し、座敷わらしは含みのある、それでいて気遣うような笑みを返した。

 それで圭がさらに彼女に問いかけようとした時、木戸が戻ってきた。

「さあ、時間がない。もたもたせずにやりましょう」

 開口一番、木戸が言った。そして彼は真っ黒な塗り壁と成り果てた絵を指差した。

「まず、この誰もいないくなった絵はまずい。さすがに説明がつかない。圭先輩、例の空間を切り取るやつできますか? あの方法で抹殺しましょう」

 すると圭がうーんと渋い顔をした。

「空間の切り取りはできるようになったけど……、この額縁、実はものすごく精巧にできた結界なんだよな。だって、すごいよ。わらし様に対して得体のしれないものは絶対に弾き返すのに、そうじゃないと分かったら簡単に入ることができる。その気になれば出ることも可能。でも、そういう結界だってことが一見まったく分からない。まるで、分かればするっと解けるけど、分からなければ絶対に解けない知恵の輪みたいなやつだ。レアものだよ」

「だから?」

 木戸が圭を睨みつけた。

「結界オタクみたいな御託ごたくはいいから指示に従ってください。俺に誤魔化せって言ってるんでしょ?」

 心なしか態度も横柄になっている。そして彼は肩をすくめる圭に対し、てきぱきとした口調で言った。

「窓ガラスはこのままで。今から大橋の母親に電話します。俺たちは大橋の見舞いに来たということで口裏を合わせてください。絵は、ということにします」

「警察沙汰になるんじゃないか?」

「かもしれませんが、そこは大橋の両親の判断に任せます。どのみち、こんな大きな絵が忽然こつぜんと消えて、まともな説明なんて誰も出来やしない。当然、証拠もない。疑われることはあっても、捕まることはないですよ。俺たちは、あくまでも狼狽うろたえる高校生です」

「分かった」

「じゃあ、今から廊下で電話してきます。絵、ちゃんと消してくださいよ。それからわらし様、俺に見えるってことは、他の人間にも見えるってことですか? とりあえず蛇もろとも気配を消して大人しくしていてください。あ、圭先輩の刀、ちゃんと隠してくださいよ。銃刀法違反もいいとこだ」

 言いたいことを一気に言って木戸は気ぜわしく再び部屋を出て行く。

 その後姿を見ながら座敷わらしが意外そうに呟いた。

「ふむ。見かけによらず豪胆な奴だ。まったく動じんの」

「はい。第一印象はもっとひ弱なイメージで、それでいてしっかりしているというか落ち着いている奴で。不思議な奴だなあって思いました」

「では、後始末はあやつに任せるとして……」

 座敷わらしが圭に向き直った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る