誰ぞ呼ぶ声(3)
背景は赤サビと黒カビが混じったような色を塗ったくっただけで何もない。そこにポツンと赤い着物を着たおかっぱの女の子が正座をし、じっとこちらを見つめている。小さな手には赤、青、黄、様々な糸でまかれた
「女の子が閉じ込められているように見えるからか、昔からこの絵はとても嫌な感じがして……。そう、あの
木戸は四人に向かって言った。
伊万里がすっと絵に歩み寄った。そしてツタや花のレリーフが施された金色の仰々しい額縁をじっと見つめた。
「きっちり境界を結んであります。隙がありません。それに、この額には何かが住み着いていますね──」
伊万里が額縁に手を伸ばす。刹那、バチッと大きな音がして手がはじかれた。
壬が慌てて伊万里に駆け寄り、彼女の手を取った。
「大丈夫か、伊万里。指先から血が出てるぞ」
「大丈夫です。舐めておけば治ります」
「じゃあ俺が──」
「舐めるなよ、ただの同居人」
間髪入れず圭が言った。本当に油断も隙もない。
壬がいまいましげに圭を睨む。圭はそんな壬を無視して伊万里に言った。
「で、姫ちゃん。この子、やっぱり閉じ込められているわけ?」
「はい。木戸さんの感じた嫌な感じというのは、この額からでしょう。この絵の中の女の子、おそらくこの
「なあ、こいつ、ずっと正座してて足が
唐突に壬が呟く。思わず圭が「問題はそこじゃないだろ」と突っ込もうとした時、
『……そこな
突如、小さな女の子の声が響いた。しかし、可愛らしい声には似合わない大人びた言葉遣いだ。
「声が──! 俺にも聞こえました!!」
木戸が少し興奮気味に言った。すると伊万里が人差し指を口にあて、静かにするようみんなに合図した。そして彼女は、絵の少女と向かい合った。
「失礼いたしました。わらし様とお見受けいたします」
伊万里が言った。
『おまえは誰ぞ』
「
『谷に狐ではなく、鬼とな』
驚いた声が返ってきた。
伊万里がみんなに説明した。
「こちらは、座敷わらし様でございます。
ややして、再び声が響いた。
『谷に鬼とは、九尾どの
圭をはじめ壬も千尋も、九尾と知り合いのような座敷わらしの物言いに驚いた。同時に、「藤花って誰?」と思った。すると、伊万里がすぐさま答えた。
「藤花は私の母にございます。私を生んだ後、里を追われました」
しばらくの沈黙。そして声がした。
『では、そなたが二代目九尾の嫁となるのか』
伊万里が少し戸惑った表情を見せる。
『なんだ、違うのか』
「いいえ。二代目さまの……、嫁にございます」
伊万里が口ごもりながら答えた。隣で壬が複雑な表情で顔をそむけ、小さなため息を吐いた。
声が続く。
『なるほど。では、そこな
「よく、ご存知で……」
伊万里がさらに驚いた様子で頷き返した。
そばで聞いていた圭も驚いた。伏見谷のことにとても詳しい。
圭は絵の前に歩み出た。
「わらし様。伏宮本家の狐、圭と言います。この阿呆は、壬。双子の弟で、妖刀・
伊万里をはじめ、千尋も壬も驚いた顔で圭を見た。まさかいきなり妖刀の話を初対面のあやかしにするとは思わなかったからだ。
「おい、圭」
「大丈夫だよ。この人、俺たちより知ってるよ」
圭の言葉に座敷わらしは驚いたようだった。
『なんと……!』
驚嘆の声ののち、長い沈黙。そして、今度は嘆き声が響いた。
『そこな阿呆が二代目とな』
壬がムッと絵を睨む。
「そんだけ引っ張って、そのコメントかよ……」
しかし、すぐに伊万里にたしなめられ、壬はムスッと押し黙った。
圭がそれを横目で見ながら座敷わらしに尋ねた。
「俺たち、ここにいる木戸に頼まれてこの家に来ました。木戸が俺たちを頼ったのは、この家に住む大橋モモに相談されたから。彼女、急に女の子の声が聞こえたと怖がっているそうです。どうして急に?」
『
座敷わらしが答えた。
『
「奴って?」
『この結界の番人よ。だがしかし、焔の使い手まで連れて来てくれるとは思わなんだぞ。かの妖刀にて、
「破壊って、いきなり何を言い出すんだ? おまえまで死ぬだろ」
壬がすかさず聞き返す。すると、座敷わらしの落ち着いた声が返ってきた。
『
「そんな。いけません、わらし様」
伊万里も反対する。
『絵の中に閉じ込められ百年ほど。それでも子供らの笑顔があればそれで良かった。しかし、もはやそれさえも叶わぬ。もう、この家に笑う者は誰もおらぬ。
伊万里が座敷わらしに尋ねた。
「あなた様をこの絵に閉じ込めたのは、何者にございます」
『妖縛の絵師、
「では、この額に住み着いているのは?」
『もとは
遠くから足音と食器が打ちつけ合う音が聞こえた。モモが戻ってきた。
「わらし様、まだ聞きたいことが──」
『奴は蛇。まるでツタのように人の心を絡めとる……』
声がぴたりと止んだ。直後、モモが三段のお皿に盛ったスイーツと、ティーセットをワゴンに乗せて入ってきた。
「お待たせしました。せっかくなので、アフタヌーンティーなんかいいかなって!」
およそ、普通の家庭では出てこないおやつである。モモも会心の出来映えらしく、どうだと言わんばかりの顔で先輩四人を見た。
しかし、座敷わらしとの会話の後で誰もすぐには反応できなかった。まだ聞きたいことが山ほどあった。
何も知らないモモが、途端に泣きそうな顔をする。
「あの、もしかして外しました?」
千尋、壬、伊万里が慌てて反応した。
「違う違う! すごすぎてびっくりしただけよ!」
「うちじゃ、きよ屋のプリンでも豪華なのになあ!」
「はい。素敵すぎて声が出ませんでした!」
「良かった~」
モモがほっと胸をなでおろす。そして、彼女がティセットをテーブルに並べようとした時、圭がすっと割って入った。
「モモちゃん、すごいお洒落だね。これ、どこかお庭で食べたりできない?」
この場から離れた方がいいと、とっさに圭は思った。
モモの登場で座敷わらしは口を閉ざしてしまい、彼女が「蛇」と言っていた結界の番人は、今どこにいるのかも、いつこの場に戻ってくるのかも分からない。
「天気もいいからさ。ね?」
「そそっ、そうですね!」
間近で圭の笑顔を見せられてモモが顔を真っ赤にする。そして彼女は、しどろもどろになりながら「あっちにお庭があって、外で食べることが出来ます」と指さした。
それを見た伊万里がため息まじりに呟いた。
「さすが圭。どこかの誰かとは違い、スマートです」
「ふーん、そのどこかの誰かって誰?」
すかさず壬が突っ込む。伊万里が「さあ?」と首を傾げた。
モモが再びワゴンを押し始める。
「じゃあ、案内しますね!」
モモが満面の笑みを圭に向ける。
その様子を見ながら千尋は座敷わらしの言葉を思い出した。
── もう、この家に笑う者は誰もおらぬ ──
あんな完熟の桃のような可愛い笑顔を見せているのに?
ふとモモがこちらを見た。そして、彼女と目が合ったとき、千尋は心の中を覗き見られたような気持ちになった。
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