九尾の盟約と「にえ姫」(5)

 壬は奥の書院まで着くと、伊万里の腕を放し「はあ~」と大きく息をついた。


「壬さま、どうされました?」

「まず、その『さま』やめろ。『壬』でいい。背中がムズムズする」

「分かりました。では壬、どうされました?」

「おう、それな」


 壬は大きく息を吸ってひと呼吸置いてから、伊万里にくってかかった。


「どうもこうもねえよっ、おまえ、今バラそうとしただろ!」

「あー、」


 伊万里がごまかすように笑って、目をそらす。


「いえ、思わずうっかり。まさか幼なじみが人間の女の子とは、」

「うっかりじゃねえっ。何が『口は堅い方』だ。心臓が縮み上がったわ!」

「またそんな。心臓が縮み上がるなどと、なんと器の小さきものの言いよう──」

「悪かったなあ、小さくて」

「そもそも昼間、『人間にとってあやかしは敵だ』と言ったのは壬ではありませんか」

「うっ。それは確かに言ったけど、千尋は違うんだよ」


 歯切れ悪く壬が答えると、伊万里はクスクスと笑った。


「それにしても、あんなに可愛らしい巫女さまをお兄さまに譲るなんて。壬はそれでいいんですか?」

「あたりまえだろ」


 壬が両手を頭の後ろに回し、天井を仰いだ。


「そりゃ、千尋は俺にとっても特別だけど、そういうんじゃないから。圭はさ、人間にもずっと馴染んでて、千尋にも俺とは違う感情を持っているんだろうけど」

「壬は違う?」

「ちょっと違うかな。俺はやっぱり狐のままで、学校でバカやってても、どこかで冷めてる。ああ、これってニセモノだなあって」

「日々の生活にホンモノもニセモノもありませんよ。あなたはあなたでしょう?」

「ま、そうなんだけどさ」


 そう答えながら、壬は部屋の中を見渡した。


「荷物、これだけなのか?」


 部屋の隅には、明日着るのだろうか、華やかな深紅の打掛うちかけ衣桁いこうにかけてある。しかし、華やかに部屋を飾るものはそれぐらいで、それ以外には葛籠つづらが一つだけ。思えば、付き人にしても結局あの二人だけのようだった。


「意外だな。大荷物でも大行列でもないんだな」


 仮にも姫の輿入れだと言うのに寂しすぎる。いや、姫じゃなくてもこれはない。これでは、ただの引っ越し、もしくは家出だ。

 伊万里が小さく頷き返す。


「はい、百日紅さるすべり先生が身ひとつで良いと。こちらでは普段、着物は着ないと聞きました。この打掛も昼間のワンピースなるものも壬の母君さまがご用意くださったものです」

「おまえの両親は?」

「父も母も──、私を産んですぐに屋敷を追われました。会ったこともありません」


 伊万里が苦笑しながら答えた。壬が申し訳なさそうに彼女を見返した。


「ごめん。俺、何も知らなくて」

「いいえ。些事さじにございます」

「それじゃあ、おまえはずっと一人?」

「屋敷には乳母がおりましたし、百日紅先生をはじめ、私を訪ねて来てくださる方もいくらかはいましたので一人ではありません」

「でも、不自由な生活だったんだろ? 外に出るのもままならないって──」

「ええ、でもこうして伏見谷へ来ることができました。ここで二代目さまをお待ちすることができます」


 伊万里が嬉しそうに答える。思わず壬は笑った。


「はは、二代目一筋だな。本気で待つつもりか?」


 からかい気味に壬が聞くと、伊万里は「当然」と頷いた。


「私は母のようにはなりません」


 まるで突き放すように伊万里が言った。その言い方が壬の耳に引っかかる。壬は少し迷ったが、思いきって尋ねた。


「さっき、おまえの母親は屋敷を追われたって言ってたけど?」

「はい。九尾さまに嫁ぐという立場を忘れ、世話役の男と恋仲となった浅慮な女でございます」

「え?」


 壬は驚いた。


「ちょっと待て。もともとこれは母親の話なのか?」

「そうです」


 伊万里が小さく頷き返した。


「私の母は、先代鬼伯きはくの娘です」

「鬼伯?」

「……月夜の里のおさ、王と言った方が分かりますか? 単に『はく』と言うこともあります」

「ああ、分かった。つまり、伊万里の母親は前の王の娘ってことだな」

「そうです。しかし三百年前大きな争いが起こり、現在の鬼伯きはくが新しい王の座につきました。一族の者はほとんどが殺されましたが、母は九尾さまへの捧げ物という立場から処断を免れたのです。今の鬼伯が九尾さまの力を恐れたのか、利用しようと思ったのか、それは分かりませんが、とにもかくにも母は生かされ里の端にある屋敷に幽閉されました」

「それで……?」

「あとは先ほど話したとおりです。母の不貞により私が生まれ、同時に母が背負っていたものは私に引き継がれました。その結果、私の両親は里から追放されたのです」

「そんなことで追放って──」

「殺されなかっただけましだったかと。私が生まれた以上、母はすでに用のない者ですから。不貞の話も、その者の末路も、よくある話です」


 平然とそう話す伊万里に、壬はいら立ちに近い違和感を覚えた。

 大広間での『にえ』発言といい、こと九尾の輿入れの話になるとまるで言葉が通じない。何か呪いにでもかかっているかのようだ。


「なんで、そんな風に言えるんだ?」


 思わず壬の口から言葉がついて出た。


「……不貞って、何が? おまえの母親が誰かを好きになったことが? 挙げ句、自分の母親が追放されることが、よくある話なのか? だいたい、おまえが生まれたのは十六年前。九尾が死んだのも、その争いが起きたのも三百年前だぞ。どれだけの間、待ち続けたと思ってんだ? 不貞もなにも、普通に誰かを好きなっただけだろ」


 伊万里が困惑ぎみに壬を見返す。


「それは、そうかもしれませんが、九尾さま以外の男と恋仲になるなど許されませぬ」

「どうして?」

「どうしてって──、どうにもこうにも許されぬものは許されぬのでございます」

「だって、それでおまえが生まれたじゃん。殺されるかもしれないっていうのに、おまえの母親はおまえを産んだんじゃないのかよ?」

「……」

「普通に誰かを好きになることが、そんなに悪いことなのか?」

「──だったらっっ、」


 伊万里が声を絞り出すように口を開いた。


「壬は私に、盟約を忘れ、自由になり、母のようによその男と通じろと?!」

「違う、そういう意味じゃなくて──」


 伝えたいことが伝わらずもどかしい。

 彼女にどういう風に言えばいいのか分からず、壬はイライラと大きなため息をついた。

 万里が申し訳なさそうに口をつぐみうつむいた。


「……すみません。少し、言い過ぎました」

「いや。なあ、母親のこと──」


 恨んでいるのか?

 そう言いかけて、壬はぐっと言葉を飲み込んだ。

 自分は何も知らない。

 彼女が背負っているものも、彼女の覚悟も何ひとつ。

 自分より霊力も高く格も違うあやかしだっていうのに、その両肩がひどくか弱く見えた。どんな思いで伊万里は伏見谷へ来たのだろう?

 壬は思わず伊万里の肩に手をかけそうになって、しかし、慌ててその手を引っ込めた。伊万里の九尾に対する思いの強さが壬を躊躇ちゅうちょさせた。


 その時、廊下で声がした。


「ちょっといい? 圭だけど」

「圭?」


 壬が障子戸を開けると、そこに圭が立っていた。


「悪いね、邪魔しちゃって」


 圭はそう言いながら壬と伊万里を交互に見た。その言い方にはとげがあるし、向けられた視線も冷ややかなものだった。


「夕飯、一緒に食べようって母さんが言ってるから伝えにきた」

「ああ、分かった。他のみんなは?」

「今、帰ったよ。明日の準備もあるからって」

「そうなんだ」


 言いながら壬は伊万里に向かって圭を紹介した。


「伊万里、今さらだけど、こいつ俺の双子の兄。あ、俺と同じで『圭』でいいぞ」


 伊万里が静かに頭を下げた。圭に良く思われていないことは十分分かっている様子だった。

 圭はそんな伊万里に会釈えしゃくをし返すと、すぐに顔をそらした。


「用意ができたら呼びに来るよ。とりあえず、荷物の整理でもしててって」


 圭がくるりと踵を返す。

 しかし、去り際、呟くように言った。


「さっき、両親を庇ってくれてありがとう。それだけは、お礼を言っておくよ」

「圭さま」

「『さま』いらないから。背中がムズムズする。じゃ、よろしく九尾のお嫁さん」


 圭はそっけなく言うと、そのまま障子戸を閉めて行ってしまった。


「ちょっと、圭」


 壬が慌てて部屋を飛び出し圭のあとを追いかけた。


「待てって!」


 廊下で追いつき呼び止めると圭が不機嫌そうに振り向いた。


「なに?」

「なにって、今の態度はないだろ?」

「やっぱり肩をもつんだ」

「別にそういうわけじゃないけど、やみくもに嫌悪するなって言ってんだ」


 すると、圭が大きく息をついた。


「悪いけど、100%信用したわけじゃないから。親父たちを確かに庇ってはくれたけど、千尋にしたこと見ただろ」

「したことって、頭を払ったこと? 虫がついてたって言ってたじゃんか」

「どうだか。だいたい、鬼だぞ。いきなり鬼が輿入れって受け入れられないだろ、ふつう」

「別に、単に同居人が増えると思えばそんなもんだろ」

「のんきだね。なんでそんなに余裕をかませるのか、俺には理解できない」


 最後は吐き捨てるように言って圭はふいっと顔を背けて行ってしまった。壬は渋い顔で頭を掻きながら「あ~あ」とため息を吐いた。

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