5)これは誰のせい

これは誰のせい(1)

 伊万里はもときた山道を必死に走っていた。焦る気持ちが呼吸を乱す。

(とにかく早く──!)

 この感じは、それなりのものだ。

 普通、人間が出会っていい類いのものではない。悪いものなら命にかかわる。 

 彼女はもどかしさにギリッと歯を食いしばった。すると、疾走する伊万里の傍らに白銀の大きな狐が追いついた。

「姫ちゃん、このまま山道を真っ直ぐなのか!?」

白銀しろがね、圭ですか──?」


 早い──。伊万里は驚いた。


 おそらく今の二人では自分の早さについて来れないだろうと思っていたからだ。

(なんだろう? さっきから、この二人の違和感は…)

 伊万里は思った。

 雑蠱ぞうこを見ることも出来ないのに、遠く離れた物の怪の気を感じ取った壬。一方、つたないながらに狐火を出せるのに何も感じなかった圭。かと思えば、狐の姿になっているとは言え、この早さ。

 明確な答えが出せないまま、今度は金色の狐が現れた。

「伊万里、俺の背中へ乗れ!」

黄金こがねの狐──」

 壬だった。

「早くっ」

 そうだ、今はあれこれと考えている場合ではない。

 伊万里が迷わず背中に飛び乗る。そして彼女は壬の背中の上で体制を整えると圭に言った。

「圭、千尋への場所を示します。私たちにかまわず先に!」

 伊万里がすっと目を閉じた。

『かの気をもってその在処ありかを示せ』

 伊万里が両手を前に突き出すとそこから青い小さな光の玉が真っ直ぐに飛び出した。

「圭っ、行ってください!」

「分かった!」

 圭は山道から逸れ、森の茂みの中へと突っ込んだ。




 その頃、千尋は山道の途中でひとり立ち尽くしていた。

「な…に?」

 大きな獅子だ、千尋はそう思った。

 ギロリとした大きな目、むき出しの牙、灰色の巻き毛は顔全体を覆っていた。低い唸り声は、まるで地鳴りのようだ。先日、伊万里が何もない空間から引っこ抜いた百目ムカデも大概たいがい怖かったが、今、目の前にいるこれはその比ではなかった。

 千尋はずるずると後ずさった。途中、石につまずいて、彼女はべたんと尻もちをついた。獅子は千尋をじっと見据えながら、じりっと距離を詰めてくる。

(なんで、こんなのがこんなところに──!)

 この獅子も自分に取り憑こうとしている? いいや、取り憑くようなタイプには見えない。どう見たって、これは食べるタイプだ。

(怖い、助けて!)

 助けを求める声が声にならない。

 千尋は一人で飛び出してきたことを激しく後悔した。

 そもそも圭は自分のために石を探してくれていたのだ。それを伊万里との仲を怪しんで勝手にふてくされて帰ってきたのは他ならない自分だ。

 獅子がまた一歩距離を詰めた。千尋は恐怖で体がこわばり、ぎゅっと両目を閉じた。


 その時、


「千尋!!」

 白銀の狐が茂みから飛び出してきて、獅子の横っ腹に体当たりした。獅子がどうっと体勢を崩して倒れ込む。

「圭ちゃん!」

「千尋、無事か?!」

 圭はすぐさま獅子から離れると、半妖の姿になり千尋に駆け寄った。

「圭ちゃん、私、ごめんなさい──」

 千尋がぽろぽろと涙をこぼした。そんな彼女を圭はぎゅっと抱きしめた。

「良かった! もう大丈夫だから」

「……伊万里ちゃんたちは?」

「来る。それまでなんとかもたす。それにしても──」

 圭はあらためて獅子を見た。

(なんでこんなのが谷にいるんだ)

 獅子が唸りながらゆっくり起き上がり、頭をぶるんと振った。


 圭はごくりと生唾を飲んだ。

(どう見ても肉弾戦は不利だよな)

 とてもかなうような相手とは思えない。

 圭は獅子を睨みつけながら、この状況をどう切り抜けようか考えた。


 ところが、半妖の圭の姿を見て獅子が驚いた様子を見せた。その目にわずかな狼狽ろうばいの色を浮かべ、ほんの少し後ずさりしたのだ。それを圭は見逃さなかった。

「なんだ?」

 圭は、いったい自分の何に獅子が驚いたのか全く理解できなかったが、こちらにとっては好都合だった。彼は千尋を後ろに下げると、右の手の平を獅子に向け、そこに自分の気を集中させた。

「け、圭ちゃん? まさか狐火? 圭ちゃんのサイズじゃ、ちょっと無理じゃあ──」

 千尋が背後でおろおろしながら声をかける。圭はムッとしながら千尋に言い返した。

「分かってるよっ。悪かったな、姫ちゃんじゃなくて!」

 月夜つくよの姫君のようにいかないことは分かっている。ただほんの少し相手を驚かすことができればそれでいい。要は伊万里が来るまでもてばいいのだ。

 しかし、守るべき相手と敵とも言える対象物が目の前にはっきりといる今、圭はこれまでになく「反立」というものを意識した。

 

 ただひたすら相手に対峙する───!


 刹那、右手から赤い炎がめらめらと燃え上がった。


「わっ」

 千尋が驚きの声を出した。

「圭ちゃんっ、なんか、すごいの出た!」

 圭自身、「おぉ?!」と驚きの声を上げた。そして、笑みを浮かべ千尋を振り返った。千尋もつられて笑う。

 しかし次の瞬間、千尋が真っ青になった。

「だめ、圭ちゃんっ、うしろ!」

「え?」


 獅子が圭に飛びかかってきた。

 

「千尋、さがれ!!」

 圭が千尋をドンッと突き飛ばした。同時に獅子に向かって炎を飛ばす。

 獅子は、狐火をすんでのところでかわし、そのまま圭に突っ込んだ。

 圭と獅子が絡まり合いながら地面へと倒れ込む。

「圭ちゃんっ?!」

「来るな!!」

 圭が叫んだ。

 獅子が圭を捕らえ、その大きな口に彼の腕を咥え込んでいた。

「きゃあああっ、圭ちゃん!!」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る