夏祭り(3)

 千尋が、心の中を覗き込むような目を伊万里に向ける。

「まだこっちに来て間もないし、実感ないかもしれないけど、あれでけっこうモテるんだよ? 壬ちゃんに一瞬でもドキドキしたこととかないの?」

「それは……」

 そんなの、ドキドキの連続だ。婚儀の礼で手を引いてくれたとき、短く切った髪を「可愛い」と言ってくれたとき、そして、大広間で抱き寄せられたとき──。

 しかし、伊万里はぶるんぶるんと頭を振った。

「いいえ。それについても、気の迷いということで話がついております」

「いや、だから、一体なんの話があったの?!」

 千尋が「ダアッー」と頭を抱えてのけぞる。

「何か不都合が?」

「ありまくりだよ。もう、よく分かんないけど、デートじゃない!」

「違いますか?」

「違う、違う。ぜーんぜん違う!」

「そうですか。では、どのような服を着ていけば良いでしょうか」

 伊万里が困った顔で呟いた。千尋は、やる気のない声で彼女に答えた。

「も、デートじゃないならなんでもいいじゃん」

「しかし、今日のような格好でも『可愛い』と言ってもらえるでしょうか?」

 伊万里が今日のTシャツにジーンズというシンプルな格好を不安そうに眺める。

 刹那、千尋が伊万里に詰め寄った。

「伊万里ちゃん! 壬ちゃんに『可愛い』って言ってもらいたいの?」

「はい、できれば……」

 突然の千尋の迫力に押されながら伊万里は頷いた。せっかくの夏祭り、せめて一つぐらい楽しみがないとつまらない。

 すると、千尋が伊万里の肩にがしっと手を回した。

「デートだわ、デート!」

「えぇ? でも千尋、先ほどは全然違うって」

「何を言ってるの、これをデートと呼ばずに何をデートと呼ぶの!」

 今度は伊万里がたじろぎながら頭を捻る。

「いや、私、もう全然分からないんですけど」

「いいから! まずは基町で買い物ね。何を着ていくか決めなくっちゃ。この千尋さんにまかせなさい!」

 千尋が目を輝かせてウインクした。



 毎年この時期に行われる夏祭りは、御前神社のある御前地区が開催しているもので、神社から民家が集まる集落までの沿道に夜店が立ち並び、最後は花火も上がる。

 祭りの日の当日、伊万里はひと足先に千尋の家である御前神社に向かった。圭と壬は朝から猿師と稽古で、夕方まで解放されそうにもない。

 出かけ際に道場をちらりと覗くと、道着姿の二人が猿師と交互に激しく打ち合っている最中だった。

「ほらっ、腕を下げるな! まだだっ」

 猿師の厳しいげきが飛ぶ。

 伊万里は密かに三人に一礼してから、そっと道場をあとにした。


 稽古を終えた壬と圭が千尋の家に二人を迎えに行ったのは、夕暮れどきになってからだった。橘家の自宅は、御前神社の本殿社屋と繋がっていて、その奥に建っている。自宅に着くと、まず千尋の母親の千里ちさとが出迎えてくれた。

「あら、いらっしゃい。千尋も伊万里ちゃんも準備オーケーよ。今、呼んでくるからちょっと待っててね。」

 それで壬と圭は、玄関前にある石に適当に座り二人が出てくるのを待った。

「姫ちゃん、午後イチに張り切って出ていってたようだけど、千尋になにされてるかな? 先週、二人で買い物にも出かけてたじゃん」

 一緒に連れてきた阿丸をなでながら圭が言った。壬は、自分の反応を伺うような圭の視線が面倒臭く、何も答えずに手に持っていたスポーツドリンクを飲んでいた。

 どうせ、祭りなんだから浴衣だろう。着物姿の伊万里なんて、今でもいっぱい見ているし、むしろ伊万里にとってはそちらのほうが普段着だ。

「二人ともお待たせ!」

 まず、藍色に白い花柄の浴衣姿の千尋が出てきた。長い黒髪を一つにまとめ、いつもより大人っぽい。

 圭が見るなり「お、今日は可愛いじゃん」と茶化した。

「いつも可愛いの!」

 千尋は機嫌良く圭に答える。そして、ちらりと壬を見てから玄関に向かって声をかけた。

「ほらっ、伊万里ちゃん。早く!」

「今、行きます」

 しかし、伊万里が姿を見せた途端、壬は飲みかけたスポーツドリンクをあたりに「ブホッ」とぶちまけた。

 伊万里はオフショルダーのロングワンピースを着て、首筋から両肩まで白い肌がむき出しになっていた。胸元も大きく開いていて、少しかがんだら中身が見えてしまうのではないかと思う勢いだ。

「ゲホッ、ゴホッ──。なん??」

「姫ちゃん、また今日はイメージが全然違うね……」

 さすがの圭も予想外の姿に言葉がない。

「何か、変ですか?」

 少し不安そうな顔をする伊万里を見て、千尋が男子二人を睨む。

「この服を着てもらうのに、二時間説得し続けたのよ? か・わ・い・い・でしょ?」

 千尋の迫力に押され、慌てて二人は頷いた。

 間違っても否定なんて許されない。

「大丈夫、あまりの変わりようにちょっとびっくりしただけ。なあ、壬」

「あ、ああっ」

「じゃあ、行こ!」

 満足げに千尋が言った。

  

「千尋、どこ行きたい?」

「まず、クレープ食べたい。阿丸は食べるかな?」

「狛犬にそんなもの食わすなよ」

 神社の参道から夜店が並ぶ沿道に向かって四人はぞろぞろと歩いていった。

 途中、太鼓の音が大きく鳴り出し、伊万里がふと足を止めた。

「太鼓、見たいの?」

「はい」

 壬が聞くと伊万里が小さく頷いた。

「じゃあ、俺らは先に行くよ」

 圭が壬と伊万里に声をかける。壬は「分かった」と片手を上げた。 

 

 しかし、太鼓を見たいと言った当の伊万里が動こうとしない。

「伊万里、太鼓行かないのか?」

「少し待ってください」 

 圭と千尋の背中を見送りながら、伊万里が辺りを見回す。そして、神社の参道脇に咲いている白い花を見つけると、彼女はそれをひとつ摘んで手の平に乗せた。

「伊万里?」

「式神を飛ばします」

 そう言いながら伊万里は花に念を込め、ふうっと吹いた。

 白い花は、伊万里の手の平の上で一度蕾に戻る。そして、再び花開いたかと思うと、それはそのまま蝶に変化へんげした。

「頼みますね」

 蝶がひらひらと伊万里の手から飛び立つ。そして、圭と千尋が歩いて行った方向へまっすぐに飛んで行った。

「圭と千尋の見張り? ばれたら、圭がキレるぞ」

「分かっています」

 伊万里が式神の飛んで行った方向を鋭く見据える。

 壬はその心配の仕方がやはり普通じゃない気がして、伊万里に言った。

「なあ、伊万里。何か俺らに隠してないか?」

「……百日紅さるすべり先生は、何かおっしゃっておりましたか?」

「いや、何も」

 今日、稽古のときに「呪詛仕込みの百目ムカデ」の件を聞いてみた。しかし、「気にしなくていい」の一点張りで何も教えてはくれなかった。

(確かに、俺ら役立たずではあるけれど…)

 何も教えてもらえないというのは、子ども扱いされているようで気に入らない。

「なあ、やっぱり何かあったんだろ」

 その時、

「あっ、壬くんだ!」

 甲高い女子の声が飛び込んできた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る