九尾の盟約と「にえ姫」(3)

「おおお、鬼??」


 千尋が両手で口を覆い、悲鳴に近い声をあげた。その横で圭も信じられないと目を見張った。


「ちょっ、待てよ、先生。月夜つくよって……」

「そうだ、あの月夜の一族だ」

「何を言って──、四大鬼族よんだいきぞくじゃないか」

「鬼って、鬼? 圭ちゃん、知ってるの?」


 千尋がうろたえた様子で圭を見る。圭はそんな千尋の肩をぎゅっと抱いて、大人たちを睨んだ。


「冗談……。分かってるの? 月夜の鬼なんて、俺らみたいなそこら辺のあやかしじゃない。そんなの谷に入れるのか? 谷のみんなは? 納得するわけがない!」


 今までわりと大人しく話を聞いていた圭もさすがにまくしたてた。当然だ、この静かで平和な谷に鬼が来るなんて、この話を聞いただけなら、それこそ大事件だ。


 しかし一方、壬はというと、二人とはまったく違う意味で言葉を失っていた。いろんなことを一気に説明されて、すぐには頭の中の整理がつかない。ただ、混乱する頭の中、壬は一つだけはっきりと理解した。


「……伊万里いまり、」


 突然、壬が呟き、皆が一斉に彼を見た。壬は猿師に目を向けた。


「伊万里───。先生、そいつ、伊万里ってやつか?」

「壬、どうしてそれを」


 驚いた様子で猿師が言った。壬は戸惑いがちに答えた。


「昼間、尾振おぶの峡谷で会ったんだ。そいつが伊万里って名前の鬼で……、月夜の里から来たって──」

「そうか、壬はもう会ったのか」


 猿師の顔がにわかにほころんだ。


「どうだ、美しい姫だったろう?」


 まるで自慢の娘を紹介するような言い方だった。壬は少し驚いた。こんな「先生」を見たことがなかったからだ。


「え、あ──、いや……まあ」

「きれいな人なの?」


 圭の腕の中、ふいに千尋が反応する。


「そのお姫さま、きれいなんだ」


 女っていうのは、どうしてこうも面倒臭い生き物なのか。

 壬は千尋がどうでもいいことに反応したことにイラッときた。ついでに言うなら、彼女の肩にかかる圭の手もなんとなく気にくわない。


「まあ、美人なんじゃない? それに普通に可愛い子だったけど」

「見てくれなんかどうでもいいよ」


 すると、圭が壬にくってかかった。


「美人だろうが可愛いかろうが、鬼だぞ。頭から人を喰ってしまいそうな奴を相手に何言ってるんだ」

「その見てくれを気にしているだろ、千尋が。それに、頭から人は喰わねえ。好物は、きっとおにぎりだ」

「……なに? この鬼姫の輿入れ話、壬は賛成なわけ?」

「なんでそうなるんだよ」

「さっき会ったか何か知らないけど、鬼姫さまの肩をえらく持つじゃん」

「肩を持ってるのはおまえだろ」

「俺が何を───、あっ」


 圭がかあっと赤くなり、慌てて千尋の肩から手を離した。壬はふんっとそっぽを向いた。

 その時だった。


 ガシャンッと、大広間で何かが派手に割れる音がした。同時に、怒鳴り散らす男の声が響いてきた。


「……大広間の方だな」


 猿師が顔を曇らせ部屋の外に目をやった。そして護に言った。


「伏宮の、大広間へ。何かあったようだ」

「はい」


 護が頷きながら立ち上がり、皆も一斉に立ち上がった。




 壬は大人たちと一緒に大広間へ急いだ。そして大広間に着いて目に飛び込んできたのは、母親のあさ美が両手をついて見たこともない男たちに頭を下げている姿だった。


「申し訳ございません」


 男たちは小袖袴の出で立ちで、額には二本の角があった。大広間は二十畳以上はある板張りの部屋なのだが、その床には陶器の破片が散らばっていた。


「母さんっ」

「圭、壬、下がってろ」


 駆け寄ろうとする息子二人を制止しつつ、護が妻の元へ駆け寄り、膝をついた。


「何か不手際でもありましたか?」

「不手際も何もあるかっ」


 鬼の男が「ふんっ」と鼻を鳴らす。


「よもや、このような器で姫を迎えようとしているわけではなかろうな」


 どうやら男たちは月夜の姫の付き人のようだった。護が困惑した様子で答えた。


「このようなと言われましても、この器はどれも我が本家に伝わる──」

「気に入らんと言うておる。狐の家に伝わる器など、いかほどのものか」

「まてまて、聞き捨てならんな。狐といえども姫が輿入れする家ぞ」


 騒ぎを聞きつけ、遅れてやって来た稲山の大叔父が両者の間に割って入った。


「その言い方は、いくらなんでも失礼ではないかのう」

「狐風情が、口答えをする気か」


「……おい、おっさんら」

 大人たちのやり取りを端で見ていた壬が突然口を開いた。付き人の鬼たちがぎろりと壬を睨む。


「なんだ、おまえは」

「じ、壬──。申し訳ありません、息子が失礼を──」


 母親が青ざめて息子をたしなめる。しかし壬はかまわず続けた。


「これ、伊万里は知ってんのか?」


 付き人たちがギョッとした顔をした。


「い、い、『伊万里』などと、貴様っ、姫を呼び捨てに」

「うちに嫁に来るんだろ。呼び捨てにして何か問題でも? いいから、伊万里を呼んでこいよ」

「よくもぬけぬけと──」


 その時、大広間の空気がパシッと変わった。何かが吹き抜けていくようなこの感じ。あの時の渓谷と同じだ。

 廊下を見ると、そこに薄い黄色の小袖に萌葱もえぎ色の清楚な打掛うちかけを羽織った少女が立っていた。長い黒髪を後ろで緩く束ね、白くて華奢な手は前できちんと重ね合わされていた。そして、額には白い一本の角──。目の前の鬼の少女は、間違いなく渓谷で会った伊万里だった。


(あの時、空から風が吹いたと思ったのは、彼女のこの凛とした霊気だったのか)


 壬は、渓谷で伊万里が現れたときのことを思い出した。


「やめよ、何事です」


 静かな口調で言いながら伊万里が大広間に入ってきた。まず床に散らばった陶器の破片を一瞥いちべつし、それから壬と目が合った。彼女は彼に頭を下げた。


「……先ほどは、どこのどなた様とも知らず、大変ご無礼いたしました」

「あ、ああ」


 渓谷で会ったときとは打って変わって、なんともかしこまった態度に壬はぎこちなく頷き返した。


「して、これは何事でございますか」


 すると、付き人がここぞとばかりに前に進み出た。


「姫、申し上げます──」

「私は壬さまにお尋ねしているのです。ぬしらではない」


 伊万里がピシャリと言った。そして彼女は再び壬に目を向けた。


「何か、粗相がございましたでしょうか」


 壬が軽く肩をすくめた。


「うちの母親が用意した器が気に入らないって、難癖を付けてきたんだよ。そりゃ、おまえが普段使っているようなものよりは、安物かもしれないけど、これでも蔵からわざわざ出してきて用意してたんだぜ」

「そうでしたか」


 そう言うと、伊万里は足下にあった破片を拾い上げ、自らの着物の袖で包んだ。そして護とあさ美の元へと歩み寄り静かに座ると、両手を付いて深々と頭を下げた。


義父とうさま、義母かあさま、お初にお目にかかります。月夜の里が鬼、伊万里にございます。私めの付き人が大変失礼をいたしました。どうか、お許しくださいませ」

「あ──、いや……」


 二人は戸惑った様子で頭を下げる伊万里を見た。伊万里は頭を下げたまま微動だにしない。ややして母親が彼女に笑いかけた。


「姫さま、顔をあげてくださいな」

「………」

「では、イマちゃんとお呼びしてもいいかしら?」


 伊万里がぱっと顔を上げ驚いた様子で護とあさ美を見た。護が「うんうん」と頷き、あさ美がにっこりとほほえんだ。

 伊万里がふわりと笑顔を浮かべる。そして彼女は、一呼吸置いてから近くに控える付き人の鬼を厳しい目で見た。


「私は無事に着いたゆえ、ぬしらはお役ご免じゃ。里へ帰るがよい」


 途端に付き人たちが青ざめる。


「し、しかし、我らは婚儀を見届けよと──」

「いらぬ。ね」


 言って彼女は毅然とした面持ちで顔を背けた。付き人たちは、しばらく何か取り繕うとしていたが、彼女の強い態度の前に諦めるしかなかった。


「では姫、お申し付けどおり我らはこれにて消えましょう」

「……」


 伊万里は何も答えない。付き人たちは「ふん」と鼻を鳴らし不満そうな顔で立ち上がった。そして彼らは、両親や大叔父をはじめ、壬たち全員を睨んだ。壬はそんな彼らを思いっきり睨み返した。こいつらのせいで伊万里まで悪者になりそうな気がして一秒でも早くこの場所から消えてもらいたかった。

 付き人たちは、ひととおり大広間にいた全員を威嚇してから、踵を返し足音も荒々しく部屋を出て行く。しかし、その間際、


「ちっ、にえ姫がっ」


 小声ではあるが、はっきりとした声で付き人の一人が吐き捨てた。

 またしても──。

 ただ、明らかに伊万里を侮辱した言い方だと言うことは、そのさげすむような口調で分かった。

 壬はカッと熱くなった。


「おいっ、まてよ──!」

「壬さま、良いのです!」


 伊万里が壬を制止する。そして彼女は何もない宙を見据えながら繰り返した。


「去る者は追いませぬ。良いのです」

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