九尾の盟約と「にえ姫」(2)
護が「いやあ」と曖昧な顔で笑う。
「大人の事情ってやつだ。谷の存続にも関わる。とにかく先代
「全っ然、分からねぇ。谷の存続とか九尾の約束とか、急になんだってんだ」
すると、和真が静かな声で言った。
「この谷を覆う九尾の力がね、実は弱まりだしているんだ」
三人が一斉に和真を見る。和真が落ち着いた様子で話し始めた。
「三百年前、九尾によって施された結界だと言われているけれど、ここ数年はボロボロとほころびが出はじめてね。僕や稲山の叔父さんがいろいろ試してはいるんだけれど、どうにも止まらなくて。最近では、今まで入ってこれなかったあやかしの類いも見かけるようになってね。九尾の力が消えようとしている」
「え、でも、全然そんなの分からない──」
「そりゃ、おまえら全く見えてないからな」
護がすかさす切り返す。
「おまえらの中で一番鋭いの千尋ちゃんだろ。なあ?」
「ええと、頭痛が増えた……かな?」
千尋が自信なさげに首をひねる。壬はすかさず突っ込んだ。
「それ、全然関係ないだろ」
すると護が「いやいや」と否定した。
「谷の環境の変化は千尋ちゃんのように体調不良となって現れることもある。まあ、とにかく、谷が今までになくざわついているんだわ」
「でもそれって、まずいんじゃないの?」
圭が言った。護が小さく頷き返した。
「うん、まあ。だから──、必要なんだ。新たに力を引き継ぐ者が」
「それと輿入れと何の関係があるわけ?」
「三百年前、九尾はとある一族の
「だから嫁をもらう? 逆じゃねえのか」
壬が言った。圭も隣で頷いた。
「そうだよ。二代目九尾が現れたっていうのならともかく、誰もいないのに、そんな状態で輿入れしてもしょうがないじゃないか」
すると今度は、猿師が口を挟んだ。
「先方も代替わりしていて、今となっては九尾との盟約をもてあましている」
「でも、肝心の九尾が──」
「
猿師がきっぱりとした口調で言った。壬が思わず突っ込んだ。
「どうしてそんなこと分かるんだよ、先生。この伏見谷のどこを探したって、そんな霊力を持った奴いないだろ」
「壬、働きアリは知ってるな」
「何をやぶからぼうに──」
「働きアリってのは、みんな働いてるわけじゃない。その中に怠けアリってのが絶対にいるんだ。でも、他の仲間が死んで働いているアリの数が減ると、その怠けてたヤツが働きだす」
「……だから?」
「だから、必ず現れる。先代九尾の力が完全に消えようとしている今、それに代わる者が必ず出てくる。偶然でもなんでもない、必然だ。要は、姫がこの伏見谷に嫁ぐことに意味がある。あっちの事情なんざ、どうでもいい」
「……」
圭も壬も何も言えずに黙り込んだ。
話があまりに突然過ぎて、分かったと頷くことも、なんだそりゃと突っ込むことも、にわかにできない。
すると、ずっと黙って聞いていた千尋がおそるおそる手を挙げた。
「あのー、
「どうした千尋」
「さっき、『着いた』って稲山のおじさんが出て行ったけど……」
圭と壬がハッと互いに顔を見合わせる。
「って、」
「まさか、」
次の瞬間、二人は身を乗り出して父親に詰め寄った。
「着いたって、え? 今日なわけ?!」
「おいっ、俺たち、何にも聞いてねえぞ!」
護がハッハッハッ、と軽く笑い返す。
「だから、今話しているんじゃないか。この際だから白状すると、婚儀の礼は明日だ」
「明日って、だから九尾がどこにもいないのに婚儀ってどうするわけ??」
「うん、まあ、だから、お嫁さんのお披露目式みたいなもんだな。一人だから」
「そんな、めちゃくちゃな」
圭が絶句する。となりで壬がわなわなと体を震わせた。
「そんな大切な話、俺らに断りもなく何を勝手に進めてんだよ、ああ?!」
「だって、おまえたち絶対に反対するだろう?」
「おう、分かってんじゃねえか。だったら話が早い。今すぐ追い返せ」
「できるわけないだろう、相手が誰だか分かっているのか?」
その時、千尋のひどく冷静な声が割って入った。
「……誰なの?」
言って彼女は射抜くような視線を護に向けた。
「っていうか、さっきから気になっていたんだけど、そもそも今の時代に姫って何なの? おじさん」
壬と圭もピタリと冷静になる。
「そうだ、どこの狐だよ」
「おいっ、親父!」
「そりゃ、やんごとないってことだよ。いや~、おじさん、千尋ちゃんのそういう鋭いところ好きだなあ~。っていうか、千尋ちゃんまで心なしか怒ってる??」
護の目が完全に泳いでいる。壬は思わず父親の胸ぐらを掴んだ。
「ごまかすな。隠していること包み隠さず全部話せ」
「いや、さらに驚かせるだろうから、言うタイミングを図ってたんだがな、」
「そんなタイミング、もうどこにもねえよ。いいから話せ」
すると、猿師が壬の腕に手をかけた。
「壬、とりあえずその手を離せ」
「
と、刹那、猿師が壬の腕をねじ上げると、もう片方の手で壬の顔を座卓に押し当てた。ダンッという激しい音が部屋に響いた。
「いってっ、先生!」
「いくら怒っているからといっても、父親の胸ぐらを掴むっていうのは感心せんな」
猿師が静かな声で言った。彼は滅多に怒らない。怒らないから、なおさら怖い。
「さっきも言っただろう。あっちの事情なんざどうでもいいと。同じだ。おまえたちの事情など誰も聞いとらん」
壬の頭上で言いながら、猿師は圭と千尋を見た。その有無を言わせない物言いに、子どもたちは何も言い返せずに黙り込んだ。ようやく猿師が壬から手を離す。壬はムスッとした顔でねじ上げられた腕をさすり、圭の横にすごすごと座り直した。そんな壬の様子を見ながら猿師が口を開いた。
「輿入れされるのは狐じゃない」
「え?」
「谷に輿入れされるのは、
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