第17話 みすぼらしい二人
可愛い系美少女エリー16歳は、日の昇りきった迷宮広場の防壁脇で、ポニーテールにした金髪の毛先を弄っていた。
周りのパーティーメンバーもそうだが、あまり気分は良くない。
新しく仲間に入ったリットーという男が遅刻して、メンバー一同こうやって延々待たされているからだ。
周囲には、仲間以外どのパーティーもいない。皆、既に迷宮の中だ。
「ウィーダお姉さん、もうあの人置いていっちゃダメー?」
だって、グランデル地下迷宮の冒険者の中では中堅の実力を持つパーティー『星猫』のメンバーを待たせるなんて、許せない。
しかも、入ってわずか1週間で遅刻だなんて。
それに、年上のあの男はエリーを口説こうとする。内心では、あの男はウィーダお姉さんかエリー目当てにパーティーに入ったのではないかと思っている。
そんなのは、仲間に失礼だし冗談ではないと思う。
それに自慢じゃないが、エリーは自分が可愛いのを知っているし、そんな自分を安売りするつもりは毛頭ない。だから、あの男くらいではお話にならない。
「可愛いエリーの言う事だから聞いてあげたいわねぇ。うーん、ま、でも待ちましょう?」
パーティリーダーの戦槌【ウォーハンマー】使いウィーダがエリーを胸に抱き寄せて、その頭に頬ずりをしながら答える。
エリーは色白のやわらかな頬をエリーの胸に埋められながら、
「もう!ウィーダお姉さんは甘いんだからー」
そう言って、口を尖らせてウィーダのなすがままになっている。
パーティー『星猫』は、ウィーダをリーダーに鉄【アイアン】級迷宮では、中堅と呼ばれるほどに成長してきた。
冒険者登録をしてから最初の頃は、皆苦労するものだ。
なにせ、農民の倅、商家の三男坊、パン屋の息子等々、剣を持ったことすらない人間が命の危険を伴う戦いに初めて身を置くのだ。
夢があろうが希望があろうが、ともかく最初の迷宮は最も低級でありながら、最も途中で冒険者を辞めていくものが多い迷宮である。
その中で『星猫』は、大きな危険に遭遇することなく、順調に成長してきた。
それは一重に、人間と亜人種の中で最も剛力と言われるドワーフ兄弟2人を仲間にし、自らも人間としては高い魔力を持ち、かつ細身の長身でありながら、その容姿にそぐわぬ戦槌【ウォーハンマー】使いこなすウィーダの力だ。
ウィーダお姉さんこと、ウィーダ=ヤルマー19歳は、豪快で快活ながら相手の力を認めないと馬鹿にして相手をしないドワーフ兄弟に力を認めさせていち早く仲間に加えた。
田舎の迷宮では数少ないドワーフに目をつけて仲間にしただけでも凄いのだが、ウィーダは危険への嗅覚が高い。戦いのセンスともいえる才能が高かった。
その才を遺憾なく発揮し、危険への予感を徹底的に回避するウィーダだからこそ、パーティーはこれまで危機らしい危機には出会っていない。
だからエリーは、そんなウィーダに憧れている。
知的で綺麗なお姉さん顔に、豊満な身体。リーダーとしての高い資質。長い指先が繰り出す肉体強化や防壁の魔法。そして物腰に反する戦槌の強烈な一撃。
「ふう…」
エリーはウィーダの柔らかな胸の感触の中で、当のウィーダを想って吐息を洩らした。
「アタシはウィーダお姉さんのようになるんだから!」
パーティーとは、強いリーダーと頼れる仲間がもたらす才能の融合だ。
それにエリーの『星猫』は、ウィーダお姉さんの美しさとエリーの可愛さがある。
美しく可愛く才能に溢れるパーティー…それこそ、エリーが子供の時から思い描いていたパーティーの理想だった。
なのに…。
周囲の店が開店準備を始めようかという遅い朝の迷宮広場に現れた二人を見て、エリーは取り直しかけた気分を一気に悪くする。
珍しい真っ黒な髪の男は長身だがひょろりとしている。
筋肉らしい筋肉は見当たらず、あれで剣を振るえるのかと疑問なほどだ。
それでも顔がマシだったら良かったが、何をどう頑張っても褒めようがない顔をしている。
片や黒髪に並ぶのは、ちんちくりんだ。もうそれ以外の表現のしようがない。
黒髪の胸の高さもない低身長に、マントのフードから覗く顔は、目鼻立ちはまあまあだが、くすんだ茶色の髪に、そばかすの肌…。
これまた容姿が微妙なだけでなく、その小さな身体で魔獣とどう戦うのかと聞きたくなる。
そして最も悪い事に2人からは才能を微塵も感じられない…。
こいつらには何もない…。そんな奴が視界に入る不快さ…。
観察していくうちに、気分は悪くなり、彼らがもたらした気分をどうしてくれるとばかりに、彼らに嫌悪と軽蔑の視線とともに言葉を投げた。
「なんなのあんたら、気持ち悪っ…」
2人は…黒髪長身の方が酷く傷ついた顔をしたが、そんな事エリーには知ったことではない。
「あんたらみたいな汚ならしくて弱い冒険者がいると目障りよ!」
そう内心で悪態を吐いた。
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『星猫』リーダーの女冒険者ウィーダは内心冷や汗をかいていた。
仲間の手前、リーダーが取り乱すわけにはいかない。だから平静を保ってはいるが、まずい状態だ。
ここは主戦場の第四層や第五層ではなく、第三層だというのにである。
「ウィーダ!フラワーワームの触手の匂いでどんどん集まっとるがな!」
盾職のドワーフ兄が懸命に盾を維持しながら訛りのある声を上げる。
ドワーフ兄が言った『フラワーワームの触手』は第五層と第六層で現れる芋虫型の魔獣の口から伸びる黄色い紐状の素材で、花口芋虫【フラワーワーム】の素材の中では最も高値で売れる。しかし、触手からは匂いが溢れ、第二層と第三層のハウンドは、その匂いに集まってくる習性を持っていた。
それが分かっていても、今更触手を捨ててもどうにもならない。
「ウィーダお姉さん、アタシも前に出るって!」
エリーはさっきからウィーダに訴えかけているが、駄目だ。
エリーの顔は恐がっていない。つまり、状況が分かっていない。
もともと、可愛いからという理由だけでウィーダが仲間にした女の子だ。
歳も若く、去年冒険者登録したばかりの初心者【ルーキー】に過ぎない。
『可愛さは正義』それは間違っていないし、反省もしない。
しかも、ウィーダが甘やかしてお姫様プレイをしたため、エリーが前に出て戦ったことは数えるほどしかない。もっと時間をかけて成長させるつもりだった事が原因だが、それについては反省してもいい。
ただ、今この状況でエリーを前に出す訳にはいかない。
今日は朝から、新参のリットーが遅刻をしてきた。
予定は狂うもの、それは分かっているが、見込みも同時に外れるとまでは思っていなかった。
見込み違い…リットーの事である。
彼は8日程前に、別の迷宮からこのグランデル地下迷宮に移ってきた鉄【アイアン】級の冒険者だ。
歳は22歳と年上で、彼の語る戦闘経験が、見栄をはりたがる男特有の嘘半分だとしても申し分ない経験に思えた。
なにより、装備が充実していた。高価な魔法剣を持ち、便利な魔法道具を持ち、皮製防具と部分金属鎧を併用と、どれだけ金を稼げばそんな装備にできるのかと感心した。
しかもリットーは農村出身、つまり目の前の男リットーは、それだけの稼ぎを自分でしてきた実力の持ち主だと考えた。
だから仲間に加えた。
「…なのにねぇ…」
ウィーダは左手首を押さえて泣き叫ぶリットーを見る。
仲間にしてからここまで、リットーは地下迷宮に慣れていないから実力を出せないと言っていた。確かに、彼が前に挑んでいたのは廃都市迷宮で、それは当然地上にある。
薄暗い地下迷路とは違うのだから、それも当然かと思った。
しかし、違った。
リットーは、明らかに鉄【アイアン】級冒険者としてさえ中堅には及ばない。
彼は、ドワーフ2人がもたらす強固な二枚の盾に守られながら、自慢の魔法剣を振るう。
『アクセラ系』と呼ばれる魔法のかかった剣は、振るう際に加速し、速度と威力を増した一撃を繰り出せる。
しかしリットーは、その魔法剣に振り回される。
加速して瞬時に弧の軌跡を描ききる剣に、身体はひっぱられ、重心はあっちへこっちへと動き、そのために剣撃には力が乗らない。
結果、第三層や第四層の固い皮膚を持つ魔獣に文字通り歯が立たない。
いや、懸命でさえいてくれたら、悔しさを胸に強くなろうという気概さえ持っていてくれたなら、力不足であってもその成長を待つこともできる。
ちょうどエリーのように。
しかし、リットーは違った。
やれ、調子が出ない、ここの魔獣とは相性が悪い、挙句にパーティーが俺の良さを引き出せていないとまで言い放つ。
そして、リットーに振り回されて早くに消耗し、迷宮探索を切り上げて脱出途中の第二層で、リットーは罠【トラップ】を踏んだ。
予め注意した罠を、注意した次の瞬間に。
どんな奴でも仲間は見捨てられない、皆そういう顔をしてくれていたから、皆で罠へ飛び降りた。
通常より遙かに多数の魔獣が待ち受ける『魔獣部屋』の罠の最中へ。
そして、守る陣形をとった時には、既にリットーは左手首を食われて失い、泣き喚くばかりだった。
「…見込み違いだったわねぇ…」
第二層から第三層へ落とされる罠『魔獣部屋』といえども、普通の状態のウィーダ達なら問題ない。
屈強なドワーフの二枚盾に、経験豊富な槍斧使いと、戦槌使いのウィーダという4人に、支援のエリー。加えて、皆にはウィーダの肉体強化と防壁魔法をかける。
それが、第四層や第五層に挑む基本体勢だ。
場面に合わせて炎弾や石弾の魔法も使えるし、何より治癒魔法が使えるウィーダ達のパーティーは継戦能力が高いといえる。
だから、中堅と呼ばれるまでになったのだ。
しかし今…。
「ウィーダ!肉体強化は使えんのか?」
ドワーフ弟が正面を向いたまま背後のウィーダに声を上げる。
「ごめんねぇ。もう魔力切れぇ…」
それもそのはずだ、既に下層で消耗した上に、もしもの時のためにとっておいたなけなしの魔力を今リットーに治癒魔法として使っているのだから。
人間にしては魔力量が高いウィーダであっても、肉体強化と防壁を全員にかけるのは2回が限度だ。時間にして約1時間。それでは足りない。
ではどうするか?
魔力結晶を消費して魔力を補うのだ。
倒した魔獣から得た魔力結晶も当然のように使いながら。
だから、ウィーダは万が一のためにとっておいた最後の魔力結晶が手のひらの中で小さくなって消えていくのを見ていることしかできない。
しかも、魔力結晶で魔力を補おうと、人間の魔力では治癒が限界だ。だから、ポーションより効果の高い治癒魔法だとしてもリットーの失った左手までは再生できず、左手首の断面を塞ぐことしかできない。
欠損した肉体の再生や、重症の傷には比較的消費魔力の少ない『治癒魔法』ではなく消費魔力が多い『回復魔法』が必要なのだから。
「おおい!まずいぞウィーダ!とんでもねえのが来やがっとる!」
その声に顔を上げると、部屋を貫く通路から、赤い身体のゴブリンが、灰色の体表と禍々しい赤色の爪を持ったハウンドに乗って現れるのが見えた。
「『レッドキャップ』に『レッドクロウ』とはねぇ…これはレアだわねぇ…」
ウィーダは、内心の焦りが仲間に伝わらないように祈りながら、周囲を見回す。
身体から汗を蒸気のように立てているドワーフ兄弟は疲労しているが、まだもつ。
槍斧使いの優男も冷や汗を浮かべているが、武器を持つ手には力が感じられる。
可愛いエリーは、恐がっていないのが珠に傷ではあるが、闘志は失っていない。
ウィーダはそれでも思う。
「皆のこの気迫も、あとどれくらいもつだろう…」と。
周囲にはもともといて全て倒しきった20匹ほどのハウンドとは別に集まってきた新たな16匹のハウンドに、通常の黒いハウンドより一回りも大きな身体を持つ赤大爪犬【レッドクロウ】。
挙句に、ゴブリンより二周りも大きく赤い肌で、太い腕を持ったゴブリンの上位種、赤小人悪鬼【レッドキャップ】。
共に滅多に見かけることのない魔獣であって、しかもそれが同時に現れるとはなんと運が悪いことか…。
部屋の中央に進み出てくるレッドキャップの身長は150cm程で、その腕には冒険者から奪ったであろう戦棍【メイス】が握られている。
その戦棍の頭部はいびつなほど大きく、側面に大きな棘を伴って鈍く光っている。
「ウィーダよ、こりゃあまずいわな!」
「ウィーダお姉さん、どうしよう?」
その声にウィーダが答える前に、部屋中に咆哮が響いた。
空気を震わせ、鼓膜を震わせ、頭部に響き渡り、そして心臓をわし掴みにするように。
気がつくと、皆動きと思考が止まっていた。
「そうだった。レッドキャップの能力は『威圧』。まさかこれほど…」
ウィーダは内心で驚き、隣でエリーが初めて怯えて震えているのを見て、仲間達の気迫が今の威圧一つで綺麗に消し去られたと気付いた。
…パーティー『星猫』の壊滅がすぐそこに迫っていた。
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ラヴィアンを知る男を避けて朝遅くの迷宮に向かったら、珍しく他のパーティーが佇んでいた。
遠目に見ても朝日に輝く金髪が綺麗なポニーテール美少女がいて、世の中にはアイドルみたいな美少女が実際にいるものなのだと関心した。
しかし、彼女は俺を見ると物凄く不快な顔をして「気持ち悪っ!」そう言い放った。
昔クラスの女子にさんざん同じことを言われたなと、過去を思い出して落ち込んだ。
そんな俺をラヴィアンが心配そうに見上げるのを、平気な顔で見返すのが大変なほどに。
ともかく、金髪美少女の視界を汚さないよう迷宮に入った。
迷宮第一層から迷宮第二層へ下りて、ハウンドと対峙していく。
もう随分と慣れ、動きの予測もできるようになってきた。
そして、どれくらい経った頃か通路の先から悲鳴に似た声が聞こえてきた。
「今助けるー!」
叫んで走り出そうとするラヴィアンの頭をがっしりと掴む。
「ちょいちょいちょいー…待って、待ちなさい!」
ラヴィアンの動きはもう読めている。だから、事前に暴走を止める。
ラヴィアンは俺をうらめしそうに見ると「早く行かなきゃー!」とジタバタする。
「行くななんて言わないから、一緒に行くの。頼むから一人で行かない!」
そう言うと、ラヴィアンは一瞬ウルウルと目を輝かせて、嬉しそうに頷いた。
声を頼りに通路を進むと、通路の先の部屋には床がなかった。
床があった場所からは、下の第三層のさらに大きな部屋空間が見えて、目の前の部屋が罠【トラップ】であることを理解する。
「これ、あの時の罠と同じだ…」
ラヴィアンの言葉は、きっとオスロウを守る事になったそもそもの切欠が、この罠だと推測するには十分だ。
ということは、下層には大量のハウンドが待っているはずだ。
「行くんでしょ?」
そこはラヴィアンにとってトラウマになってもおかしくない場所だ。
それでもやっぱり行くんだろうなと声をかける。
「もちろん!…ハルも来てくれる?」
「あたりまえでしょ!」
俺たちは、通路から床のない部屋へと足を踏み入れた。
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レッドキャップが騎乗しているレッドクロウの腹を短い足で蹴った事で、戦いは新たな局面で再開された。
人の腰を越える背のレッドクロウがドワーフ兄弟の二枚の大盾に突進し、ためらいも無く頭部から激突する。
ドガッ!強烈な衝撃音が響く。
ドワーフ兄弟の盾二枚で受けた衝撃は半分に分散したといえる。なのに、二人が構えた盾は1mは押し下げられ、盾を持つ腕と肩を痺れさせた。
そして、盾の上からドワーフ兄弟を見下ろしているのは、人の腰以上のレッドクロウの背に跨ったレッドキャップである。
ドワーフ兄弟は、その視線に戦慄し、本能でその弱気を押しのけるべく心胆から、
「おおおおおおお!」
と声を上げて武器を振り上げた。
しかし、眼前でレッドキャップが上段に構えた戦棍【メイス】は、二人が上げた武器よりはるかに高い位置にある。
それが何を意味するか、ドワーフ兄弟にも、仲間にも分かっていた。
どう足掻いてみても、頭上から振り下ろされる凶悪な鈍器の一撃は止められない。
あとは、どうやったら一撃で死なぬようにするかだけだ。
リーダーとしてこの事態を招いた責任に、ウィーダはかける声べき言葉を持たない。
槍斧の優男は息を呑み、エリーは口元に手を当てて声が出ない。
たった一度の突進で絶望がもたらされた。
聞こえるのはドワーフ兄弟の雄たけびだけ。
「…おおおおおおお!」
そこに、声が混じったように思えた。
レッドキャップの側面から、確かに声が聞こえる。
「せいやぁぁぁああああああああああ!」
その声の方を振り向こうとしたその時には、声は移動して正面から聞こえた。
恐ろしく素早い疾走が、金属の刃の切っ先が返すカンテラの灯の軌跡を引くように、真っ直ぐ、ただ真っ直ぐ、レッドキャップが戦棍を振り上げた無防備なわき腹目がけて突き刺さる。
「ギャァァァァアアアアアアアアア!」
ウィーダの視界には、レッドキャップのわき腹を貫いた剣先が反対側の胸横に見えた。
あまりの光景に理解が追いつかない。どんな突きをしたら、一撃でレッドキャップの身体を刺し貫けるというのか。
そして、それをやったのが…まるで子供のような身長の持ち主だなんて!
「ラヴィ!引いて!」
ウィーダはその言葉ではっとした。驚きで一瞬危機感を喪失してしまった。
しかし、レッドキャップの目が死んでいない。
目の前の少年が全身を使って剣を引き抜くその間に、レッドキャップが戦棍を少年目がけて振り下ろす。
少年の頭部をなぎ払うように捉えた鈍器の一撃を、突如床から飛び出てきた物が遮る。
戦棍が硬い物に当たる衝撃音が響く。
レッドキャップが完全に戦棍を振り下ろした格好で、体内を貫いた剣が抜かれる痛みに絶叫を上げる頭部側面に、三発の連続した石礫が命中する。
ゴブリンより大きいレッドキャップの頭蓋、それは石礫では破壊しきれない。
しかし、一発目がヒビを入れ、ニ発目がヒビを押し広げ、三発目がついに頭蓋を破壊して脳内に侵入する。同じ場所への三連発だからこそ成し得た破壊。
レッドキャップの側頭部がグシャリと歪み、レッドキャップはそのままだらりと上半身から床に落ちた。
ウィーダの目の前で、少年の頭部を戦棍から守った固い物が消失する。
石壁に見えたそれは、床から飛び出してきて、そして今消えたのだ。
そんな魔法など聞いたことがない。
それに、石礫が『連続で三発』とはどういうことだ?
視界の先には、黒髪の男が一人いるだけだというのに!
いや、考えるのは後だ。まだ危機は去っていない。
レッドクロウは騎乗するレッドキャップを失うと、本能を取り戻したように唸り声を上げた。
「兄、弟!持ちこたえて!」
その声と同時だった。少年がレッドキャップから剣を引き抜いて素早いステップで跳び退き、距離をとったと同時に床を蹴りだしたのは。
レッドクロウは瞬時に身体を捻って少年に向き直り、後ろ脚で立つかのように前肢を広げ、覆いかぶさるように少年を迎え撃つ。
その足先には、長く鋭い赤い爪が鈍く光っている。
レッドクロウが前肢を振り下ろせば切り裂ける間合いに少年が入る。
いくら鋭い突きだとして、その低い身長では上から来る凶爪を防ぎようがない。
ウィーダはそう思う。
しかし、レッドクロウの後ろ脚が突如持ち上がった。
瞬時に1m以上、それは打ち上げられたと言っていい。
レッドクロウの後ろ脚の下に再び床から飛び出してきたものが見えた。
レッドクロウは、後ろ脚が持ち上がったことで、シーソーのように上半身が下がる。
ハウンドの攻撃の意図は、突如意思に反して地面に打ち付けられそうな上半身を庇うことに切り替わり、自慢の爪は目前の獲物を切り裂くどころではなくなった。
「てりゃぁぁぁああああああ!」
そこへ、少年が突き刺さる。
喉を切り裂くように剣先が滑り込み、柔らかい体内を切り裂いて、剣身を埋める。
串刺しになったレッドクロウは絶命していた。
しかし少年の剣はあまりに深くレッドクロウに突き刺さっていて、少年は必死に引き抜こうとするのだが、その大きな隙に周囲のハウンドが跳びかかってくる。
一匹は再び床から突き出たものが遮り、二匹目も同様に床から突き出たものに顎下を打ち上げられて転がり、三匹目は石礫が撃ちぬき、しかし四匹目の跳躍には黒髪の男が飛び込んできた。
少年と爪を振り下ろすハウンドの間に飛び込み、背を抉られそのまま床に転がる。
そこでやっと剣を抜き去った少年がハウンドに突きを繰り出して牽制する。
「ラヴィ!一旦盾の中に入って!」
苦悶の表情で起き上がった黒髪の男が少年に指示する。
「また防壁【シールド】のかかった前面じゃなくて、背中を向けてたー」
黒髪の男は、背中から血を流しながらぶつぶつと呟いている。
だが、ウィーダはまだ二人が何をして、何を言っているのか理解が及ばない。
ドワーフ兄弟が盾を空けて少年と黒髪の男をパーティーの中に入れたことで、やっと思考を取り戻した。
何を言うべきか一瞬迷ってしまったウィーダに年上に見える黒髪の男が言った。
「ごめんなさい。皆さんの邪魔をする気はありません。もし邪魔ならすぐ出て行きます」
そう丁寧に…。
何を言ってるのだろう?邪魔?助けられて二人を邪魔扱い?
「そんな訳ないでしょうに。ありがたい限りよ。でも、まだハウンドが残っているから、ゆっくり話してる暇はないわねぇ」
その言葉を聞いて少年はほっとしたように息を吐き、それでも緊張の糸を切っていないのが目に現れている。
少年はどうやら、ハウンドも相手にしてくれようとしているらしい。
黒髪の男も、緊張の表情から少し安堵を見せたが、なぜかエリーの方を見て顔を伏せた。
「肉体強化と防壁魔法が使えます、もし必要ならそれくらいはお手伝いできるので…」
黒髪の男は頼りなげにそう言った。
「ありがたいわ。全員とまでは言わないから、ドワーフ兄弟とこっちの優男にはかけてもらえると助かります」
「全員かけるとまずいですか?」
「いや、できるのならお願いしたいけれど…」
黒髪の男はそれを聞くと素早くリットーを含めた全員に、肉体強化と防壁の魔法を付与していく。その詠唱はおそろしく早い。
ただ、気を失っているリットーの顔を見て驚き、エリーに魔法をかける時には「手を触れさせてもらえますか?大丈夫ですか?ごめんなさい」とえらく緊張した顔だった。
当のエリーも、少年と黒髪の男を見て、呆然としている。
「ハル。ボクも切れたみたい」
少年の言葉を受けて、黒髪の男は結局、ウィーダ達パーティー6人全員と、少年の計7名に、肉体強化と防壁の魔法を付与した。
こうして、最大の危機を乗り越え再び覇気を取り戻したウィーダ達は、ハウンド16匹と、さらに集まってきた新たな6匹を瞬く間に駆逐することに成功した。
累々と死骸が折り重なる一片20mにも及ぶ大部屋の中で、ウィーダは安堵の長い息を吐き出す。
皆無事だ。あれほどの相手に、皆無事なのだ。
それがどんなに嬉しいことか…。
見ると、ドワーフ兄弟は豪快に笑いながら少年をびょんびょんと胴上げし、黒髪の男は嬉しそうにそれを眺めている。
気がつくと傍らにエリーが立っていて、ウィーダの腕を両腕で抱え、甘えるように頭を寄せてきた。
エリーは、黒髪の男と少年を見ながら「アタシはもう、絶対に見た目で人を判断しない!」そう呟いた。
戦闘が終わって迷宮を出ると伝えると、黒髪の男は肉体強化と防壁の魔法は切れてるのでは?と聞き、信じられないことを言った。
「よかったら、皆さんにまた肉体強化と防壁の魔法をかけましょうか?」
信じがたかったが、黒髪の男の冷静な言い方からお願いしてみた。
「本当にまた7人全員にかけてしまうのねぇ…」
その事実に言葉を失ったウィーダに変わって、言葉を発した者がいた。
さっき目を覚まし、事のあらましを優男に聞いていた男…リットーである。
「お前やっぱりラヴィアンだな?ちょうどいい、一緒に迷宮を出ようじゃないか」と。
その声で少年は青い顔をし、黒髪の男は黙ってリットーを見ていた。
そういえば、『ラヴィアン』とは、ここ何日かの迷宮帰りの酒場で何度も聞いた名前ではなかったか。リットーから、出身村の出来事として。
確かその内容は…『親殺し』ではなかっただろうか。
目の前でリットーが嫌悪と怒りに満ちた視線を少年に向けているのが見えた。
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