稀に、訓練も受けてもいないのに極めて強力な魔術を発動する者もいるが、それは大体が命の危険を回避しようとして絞り出す一回限りの大技で、「火事場のバカ力」と呼ばれる。

(それにしたって、ディナのアレはそういう一時しのぎ的な力ではなさそうだよなぁ)

 考え事をしながら手を動かすのは得意だ。キアノスは籠から出した物を次々と台の上に並べながら、頭の中で学院で読んだ本をめくり始めた。


 床を拭き、鍋を洗い、各卓に備品の入った小箱を並べる。そうしてなるべくディナと同じ作業になることを避けていたのだが、結局酒場が開店する段になって笑顔のネーサに巨大なゴミ籠を示され、キアノスは苦笑いでディナを見やった。

「さ、二人で裏にゴミを出してきておくれ! それが終われば一休みだよ」

 了解の印に軽くうなずき、キアノスはゴミ籠の取っ手の片方に手をかけた。

 ディナは見るからに疲れた様子で、無言でもう片方の取っ手を両手で掴む。

 どちらともなく「せぇの」と声をかけ、二人はぐんと腰を伸ばして籠を持ち上げた。

「ハイハイ、仲良くね!」

 絶妙なタイミングでネーサが声をかけ、思わずキアノスの腰が砕けそうになる。

 カウンターを抜けて酒場と宿の共通の出入り口から外に出ると、既に外は暗く、すれ違いに物珍しそうな視線を投げつつ客が酒場に入っていく。

「はあぁぁ……あの倉庫、もうちょと、片付けてれば……大回り、しなくて、いいのにねぇ」

 息切れ混じりのディナの悪態にも、力がない。

 窓から漏れる灯りを頼りに建物を回り込んだところで、キアノスはガクッという衝撃を腕と肩に感じ、思わず籠から手を離した。

「うっあぁぁ、いててて……だ、大丈夫か?」

「大丈夫なワケないじゃぁん! ちょっとナニコレ、何日分のゴミなわけ!?」

 肩をさすったキアノスが見ると、いきなり籠を放棄したディナがプリプリしながら服を叩いている。

「確かに重いし……暗いや。よし、“明かり”を使うからちょっと待っ……」

「これさ、要は片付けりゃいいんでしょ? ならさぁ、わざわざ裏までヨッコラ持ってくことないじゃん」

「ど、どういう……?」

「まずは、こーしてっ」

 言うなりディナは腰を低くし、籠に全体重をかけて中身をぶちまけた。

「こーするっと!」

 そして両足を踏みしめると、両腕で外側から大きく円を描き、前方の空気をゴミに押し込むようにして息を吸い込んだ。

 ディナの髪房が、風もないのに勢い良く跳ね上がる。

「炎のお花が咲きますよっと!」

「だ、な、なに考えてるんだ! やめ……!!」

 キアノスの声は、一瞬にして熱の塊と化した空気に押し潰され、ついで爆風に煽られてかき消された。

 ゴミの山が赤く発光したかと思うと、一気に膨らんだ炎が大きく花開くように鮮やかにキアノスの背丈を超えていく。

 キアノスはとっさに腕を掲げて目を庇った。

「ば、ばかーっ! くそっ……メルラローメ・ダーリード(我、水を導き川と成す)!!」

 何とか薄目を開け、頭に浮かんだ術を成すと、キアノスの両腕から黒い煙のようなかりそめの魔力が噴き出す。

 キアノスは左腕の袖を引き上げ、むき出しの腕と掌で額の汗を拭った。この魔術は、水分が《触媒カタリスト》なのだ。

 そのまま両掌を突き出し、何かを捻るように指先で円を描くと、幾本もの水柱が左の掌を囲むように現れてのたうった。

「エンタル・シラウェイン・スァーツ(八方へ走り、そして包み込め)!!」

 キアノスの命令が続く。魔術によって生成されたもの自体を更に操る、高度な《共有魔術トランシェント》だ。

 完全に操られた水柱が枝分かれしながら伸びて炎を捉え、目の粗い網のように覆い尽くす。

「頼むから、おとなしくしてくれ……!」

 炎の照り返しの中で、黒い魔力の残滓が左手首のあたりに漂っている。祈るような、というより哀れっぽいキアノスの声に応じ、ジャアッという大きな音を立て、炎は不承不承といった態で消えていった。

「あーあ、もっと跡形なくカサカサのコナゴナになるはずだったのに。やっぱ今のじゃ《共有魔術》ごときにも負けるかぁ」

「……はぁ、あの、さ……僕のこと、バカにしてる?」

「今のはうちのクラスのシウルのモノマネ」

「……同じクラス、だったのか」

「あ、もしやイジメられた? そうでしょ!」

「いや、イジメじゃないけど……やっぱり君、僕のこと、バカにしてるよね?」

 キアノスは魔術の発動とディナの無茶苦茶への動揺で乱れた鼓動を静めるべく、深く息を吸い、吐き、癖っ毛を掻き回した。

「これでもだいぶ抑えられるよーになったんだけどなー」

 ディナは、黒焦げになった上に水でふやけた炭の塊を靴のつま先でつつきながら、ふくれっ面で言った。その横顔を見下ろしながら、キアノスはふと生真面目な表情になる。

「ディナ、昨日から聞きたかったんだけど……そういう炎の魔術ってさ、君の《独創魔術オリジナル》なの?」

 思わず顔を上げたディナも真顔で答える。

「知らない」

 二人で真剣な顔を見合わせたまま、妙な静寂が訪れる。

「最初学院に来た時は、全然意識しないでやってたよ。そりゃあ……ワタシ、トテモ、シゴカレタネ……」

 なぜか片言になるディナの視線が宙をさまよい、キアノスは何となくその光景が思い浮かんできて呆れながらもおかしくなった。

 ディナの脇には、片方の持ち手部分が炭化したゴミ籠が転がっている。

「はあ、まったく……どうするんだよ、コレ」

「げげっ、また怒られ……ま、まぁ、今回は別に誰かを傷つけたって訳じゃないし!」

「……前回のことは認めるのか……もういいや、このグジャグジャの炭は明日にでも片付けよう」

「よっ! 頼もしいっ!」

「君もだよ!」

 いい加減つき合いきれずに言い放ち、キアノスは空の籠を掴んで踵を返した。

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