「む……そうだ、森の方かもしれん。あっち側は見張ってるのか?」

「探せ探せ! 油断するな、遠くには行っていないはずだ!」

 目の前にいた男たちが険しい目つきで言葉を交わす。

「おい! 早く言え、そいつはどこにいる? お前たちのような犠牲がもっとでるかもしれんのだぞ!!」

 腕っ節の強そうな壮年の男の、恫喝とも言える声音がキアノスの顔面を捉える。周囲の張り詰めた空気をまとって突き刺さってくるようだ。

 挨拶をしている場合でないことだけ飲み込んだキアノスは、

(どうやら、学院の地理の授業で習ったことは古かったらしいや)

と、ため息混じりに悟った。

(『レインバストとレントラック中央都市に挟まれた大陸東部は、近年大きな争乱もなく治安は安定している』……っていうから、旅立ちをレントラック側の西門にしたのになぁ……)

 仕方なく、肩を引き上げるように息を吸うと、キアノスはおずおずと、大声を出した壮年の男に声をかけた。

「あの、僕らは別に襲われた訳ではなくて……その」

「何だとぉ!?」

 今のキアノスに精一杯の声が、さらに大きな声でかき消され、ついでに数人が振り向く。キアノスは早口で、できる限りはっきりとしゃべり続けた。

「ええと、僕は新米の魔術師なんですが、この傷は卒業のための試練みたいなものの途中で……ちょっとヘマを、あはは」

 人の良さそうな愛想笑いがうまくできていることを祈り、キアノスは自分を見ている人々とできるだけ目を合わせないように空を見上げた。

「すみません、お騒がせするつもりはなかったんです……ただ、食事と宿があればと思って来たんですが、こんなみっともない姿をさらしてしまって……」

 言葉をつなぐ間にも、町人たちの肩の力が明らかに抜けていくのが感じられる。

「うぅむ、なんだ勘違いか!」

「紛らわしい騒ぎを起こしてくれるなよぉ、まったく」

 大げさな身振りで毒づきながらも表情が緩みバラバラと雑談を始める町人たちを見て、キアノスはほっとした。

「えぇえ? 勝手に勘違いしたクセにあたしたちのせいにする気!?」

 納得がいっていないのはディナで、キアノスが声をかけた男にくってかかる。

「あたしたちだってドッキリしたんだから、ちゃんとワケ説明して詫びのひとつもしなさいよ!」

「ね、ディナ、ここの方たちには何か事情があるようだし、そんなに噛みつかなくても……」

「だからこそ聞いてんじゃん! あんたも事情ってのを知りたくないの?」

 さも当たり前の行為といわんばかりに胸を反らすディナを見て、キアノスは反射的に辺りを見回した。

「ちょっと……き、君の言い方だとケンカ売ってるだけのような気が」

「大丈夫、ここの人たちは何だかんだ言ってみんないい人だから大丈夫!!」

 なぜか小声で、しかも訳知り顔の笑みとともに、自信満々な答えが返ってくる。

「なにがどう大丈夫なんだ……」

 つぶやいた瞬間、体がぐらりと揺らいだ。

(あ、まずい……)

 視界が傾くのとほぼ同時に四方から複数の腕が差しのべられ、キアノスは転倒を免れる。

「おい、襲われたんじゃないにしてもふらふらじゃないか。大丈夫か?」

「確かにそっちの嬢ちゃんの言うとおりだ。驚かしてすまなかったな」

 先ほどまでの声とは明らかに違う暖かい声が、次々とかけられる。


 それをおぼろげに聞きながら、キアノスの意識はしばらく朦朧としていた。

 ごく自然に町の中に招き入れられ、ほど近い宿屋の待合いに腰を落ち着けるところまで、まるで地面が綿ででもできているようにフワフワとしていたのだ。

 どれほど経ったのか、ごちゃごちゃに溶け合っていた五感がゆっくりと固まってくる。同時に、当然痛みも戻ってくる。つい先刻の気絶よりはマシか、と心の中で苦笑いをしながら、キアノスはぴくりと右腕が引きつらせた。

 思わず袖をまくろうとして、左手にいつの間にかほのかに温かいマグカップがあることに気づく。

 中身はだいぶ減っており、胃腸にやさしいマァシ茶のほのかな甘さが舌に残っている。

 ようやく状況を飲み込み始めた頭を軽く振ってやると視界がぐらぐらと大げさに揺れ、本調子にはほど遠いことを訴えた。

 頭をなるべく動かさぬように辺りを窺うと、待合いはこの町にしては珍しい木造で、明るすぎも暗すぎもせず目に優しい。小さな窓から差す光はだいぶ角度がつき、辺りには微かな炭の匂いと物を煮炊きしたり談笑している数人の気配。

「あら、やっと顔色が戻ってきたって感じだね。大丈夫かい?」

 おおらかな笑顔で、中年の女性が声をかけた。周りの者から親しみとからかいを込めて「姉さん」と呼ばれている、この宿屋の女主人である。

「災難だったねぇ! いやあ、今年の魔術学院の卒業生には用心棒をお願いしようと思ってたんだけど……その様子じゃ無理だねぇ、アハハハ」

「えっ……」

 あっけらかんと笑う声に思わずはっと顔を上げた目の前には、至近でキアノスを覗き込むディナの顔がある。

 思わず身じろぎすると、尻と背に柔らかなソファーの弾力を感じる。

 そして始まった「姉さん」の話は、キアノスたちがよろよろと到着する四半日ほど前に遡った。

 キアノスがディナに、目をこじ開けられていた頃のことである。



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